-2-モノローグ・ボックス
それは、いわば独我論者の箱だ。
中には対話を拒んだ浪漫主義者たちの魂が閉じこめられている。他者に対しては寡黙でありながら虚無に対しては饒舌な魂たちは、自分が見ている夢の話をいつまでも囁き続けている。
――私が見るもの、聞くもの、感じるもの、ようするにそれが世界の全てなのです、と魂たちは言う。いま、ここにあるもの、それだけが存在していると確かに言えるもの。過去も未来もただ幻影でしかない。他者も然り。あなたは私が認知しているが故に存在し、私の知覚を離れれば、あなたの存在でさえも定かではなくなるでしょう、と。
「だとすれば」
戯れるように黒いドレスの女は微笑む。片手にはクリスタルショットグラス、注がれた竜舌蘭酒を軽く口に含んで。
「幽霊みたいなものかしら? 私に限らず、あなた方も?」
ヒア!ヒア!、と魂達は同意する。その応答さえも独白めいている。
「バカげた話さ。酔漢の戯れ言と何が違うんだ」
不機嫌そうに大柄な船員は言う。そういう彼の顔も赤く、酒臭い。
「お前の番だ、カードをひけよ」
白いスーツを着た髪の長い伊達男が、気障な仕草で男にカードの束を差し出す。
男は何かを呟きながら、乱暴に一枚のカードを引き、他人に見られないようにのぞく。描かれているのは大アルカナの二番、女教皇。軽く舌打ちする。
「じゃ、皇帝は?」
「あたし」
と、伊達男の問いに女が手にしたカードを示す。
「それじゃ、ご命令を」
「ええ……。女教皇は、誰? ……この箱を開けてみて」
船員は大きく唸る。俺だ、とカードを示して、バーテンからモノローグボックスを受け取る。
――あなたには見えますか? 聞こえますか? 私の姿が。私の声が。誰もが箱の中にいるのです。箱を開けようとしても無駄ですよ。あなただって箱の中に入っているんですから。あなたには開けられませんよ。無理です。無理なんですよ、絶対に。あははは……。
「やかましい!」
船員が、さらに饒舌になった箱と不平を言いながら格闘する様子は、その場のものたちが予想していたよりも、ずっとおもしろい見世物になったようだ。
意外と非力なのね、と女が茶化し、伊達男が、いやいやすぐにも開きそうだ、と世辞を言う。バーテンも唇の端に微笑を浮かべ、周りの客達も喝采を送った。
不満げだった男も、注目を浴びてまんざらでもない気分になり、陽気さを取り戻す。おどけるように身振りが大げさになる。
「ええい、この野郎! 見つけたぞ、ここが蓋だな」
力ずくで蓋をこじ開けようとし、うっすらと細い線のように開いた、暗い隙間をのぞいたとき、船員は一瞬、びくっと身体をこわばらせた。
次の瞬間、取り落とされたモノローグボックスは、床に打ちつけられて卵のように割れる。中からは、ばらばらになった歯車やバネなどの機械部品が飛び散る。どこかへ転がっていったのは翠玉色と琥珀色のコイン。
「おっと、悪い! 手が滑ったんだ」
「いえいえ、かまいませんよ」
バーテンは一点の曇りもない笑みを浮かべる。
「別に貴重な品だったわけでもありません。馴染みの骨董屋から、気まぐれで買ってはみたものの、何の役にも立たなくて、常連さんたちの話題にでもなればと思って持ってきたものですから」
「そうかい」
船員は安堵した表情で会計を済まし、女と出ていった。残された伊達男はバーテンや周囲の客たちと笑いを交わす。船員の動揺は誰にも悟られなかったようだ。
閉じこめられていた魂たちはまだ飛び去ることなく、その場に止まっているようだったが、箱が無くなってしまったいま、その姿を認知できるものは、少なくともその場には誰もいなかった。