8.どうしましょう
8.どうしましょう
アンナはその日も機嫌が悪かった。いつものようにビールの飲み過ぎで頭が痛いのもあるが、今日は他にも理由があった。寝ている最中に大きな音が上がり、それに驚いたせいでまともに眠れなかったのだ。銃声ではないのは分かったし、起きるのも億劫だったので昨晩は調べようとしなかった。
だが今は朝。辺りが明るくなったので、行こうと思えば音の上がった場所を覗きに行ける。
気だるさを引きずりながら、アンナは思い足取りでキッチンに向かった。預かった留学生のいるガレージの辺りで音がしたのだけははっきり分かっていた。引き取ったはいいが、面倒を見る気の起きないその留学生が騒いでいるのかと思い、窓からガレージを睨もうとした。ホームパーティをするタイプには見えなかったが、万一という事もある。万一騒がれて近所に文句を言われるのは自分なのだから、たまったものではない。
「全く、何だっていうんだい」
面倒に思いながら彼女はブラインドの隙間から目を凝らした。
車庫の口から鼻先を出している白い自動車の向こうには、夫に手入れをさせている彼女の庭の芝生が広がっている。その先にはガレージの壁だ。白塗りの壁にカーテンのかかった窓。彼女から見て、その壁までの間には視界を遮るものは何もない。ここから見た限りでは、何の異常も見られなかった。
首をひねり、裏になら何かあるのかと見当をつける。これも面倒に思いながら、彼女はサンダルのまま外に出た。
「ああ、面倒くさい」
大股で庭を横切り、芝生の上を転がっている水撒き用のホースを蹴り飛ばす。口を宙に跳ね上げられて再び地面に倒れたホースには目もくれず、アンナはずかずかとガレージに近づいてその裏を覗きこんだ。
朝日が昇っているせいで、そこには影が落ちていた。ただ見通しはよく、そのおかげで平坦な芝生を望む事ができた。
「あら?……何もない」
肩透かしを食らったような気分で首をひねった後、アンナは素直に引き返した。何もなければここにいる理由もない。
ふと思い至ってガレージの扉を開き、部屋を覗く。誰かがいたり、隠れたりしているようには見えなかった。
「じゃああの音は何だったんだろうねぇ……?」
腑に落ちない思いを抱えたまま戸を閉め、彼女は家へと引き返していった。自分の背中を三人の人物が息を殺して見送っている事など、ちっとも気付いていなかった。
家の裏口が閉まってしばらく経った頃、リズは自分たちの周囲にかけていた魔法を解いた。彼等の頭上や、バイクとテントの真上に白い点が浮かび上がる。合わせて三つ。それらの点は中心から一気に膨らむように円へと変わり、対象を上から囲むように広がった。円の中にはバツが描かれており、円がゆっくりと回っている事を示している。円の範囲内にいるものを全て外部から認識させなくする、隠蔽の魔法。もちろんと言うべきか、魔女のリズによるものだ。
三つの魔法の円は降下を始め、円の中のバツを固まっていた三人の体やバイク、テントの中をすり抜けさせて地面に到達する。その直後、役目を終えた円は芝生の上で再び収束し、最後は消えてなくなった。
「よし、隠蔽成功」
魔法の効果がなくなったのが分かり、ロジオンが緊張を解いて深く息を吐いた。彼と彼女の様子を見て、遅れて主人も息を止めるのをやめた。ロジオンがすぐそばにあるバイクに目をやる。
「隠す暇がありませんでしたからね。危ない所でした」
「ホントホント。バイクもテントも片付けたいけど、場所がないのよねー。勝手にガレージにいれる訳にもいかないし」
「そこは流石に、安藤様の許可がいりますから」
「一宿の恩は重いなー」
首を傾けて困った表情を浮かべるリズ。ロジオンも解決策を見出せず、ううむと唸った。
人の街に降りた以上、目立つ真似はできない。彼等を人外という乱暴な言葉でくくる連中に見つかれば大騒ぎになってしまうからだ。掴まったりしてしまえば、良くて牢屋入りだ。研究所か見世物小屋か、どちらがマシかで悩む話になる。
「さっさと物件見てきた方がいいかな?」
「ですね。早々に行きましょう。……ご主人様?」
後ろに振り返ったロジオンは、そこで初めて主人の様子に気付いた。後ろをじっと見たまま、その場を動こうとしていない。落ち着きのない彼にしてはずいぶん珍しい事だった。
「どうかされたんですか?」
「……ん?ああ、聞いてるよ。不動産だっけ?」
「ええそうよ。気になる事でもあるの?」
リズに聞かれ、彼は首を縦に振った。
「うん。あきらがな、元気が無い気がしてな」
「どういう事?」
「あきらは学校に行ったんだろ?なら何で嫌そうな顔をしてたんだ?」
主人の言葉に、ロジオンは思い当たるものがあった。あきらを見送った時、彼女がこちらに愛想笑いを向けた後にそういう顔を確かにしていたのを、彼も見ていた。そして先ほど主人が目を向けていた先も、あきらが走って行った方向と同じだった。
「私学校行った事ないから分からんが、人がいっぱいいるんだろ?で、それで何であきらは楽しそうじゃないんだ?」
二人にそう言いながら、主人は自分の昔を思い返していた。
今よりもずっと大きな城に両親と暮らしており、親の城で抱えていたゾンビの講師達に勉学を教わっていた頃だ。幼い彼はほぼ毎日、自分の部屋や城の庭、あるいはピアノの前で様々な講師に睨まれながらものを教えられていた。貴族的な教養と、貴族としての自覚を持つためだ。かつての彼はそれを当然の事と受け取っていたが、一方で学校というものに憧れを持っていた。
当時多くの吸血鬼は人間の貴族として振舞いながら暮らしていた。庶民の吸血鬼は人間に見つかりやすくすぐに駆逐されていったので、自然と権力を持つ身分の者だけが生き残った結果だった。彼の両親もその例に漏れず、村の領主として君臨していた。そして村を統括する領主らしく人々の生活の様子を見て回り、その話を息子である彼に聞かせていた。学校を知ったのも、それがきっかけだった。
一つの部屋に多くの子供達が集い、勉学に励む。その様子を想像し、改めて城を見ると、そこには大人しかいない。当時子供だった彼が孤独感を持ち始めるのも、無理からぬ事だった。
社交場に連れて行かれる事も殆どなかったので、同じ年頃の友達も作りにくかった。長命な吸血鬼は子供を作る必要があまりないので、それが更に主人のしたい事を困難にさせていた。
ただ、巡り合わせが無かった訳ではない。同じ位の歳の子と出会い、語らい、遊ぶ。年に一回あればいいその機会に、彼はいつも胸を躍らせていた。事実、仲の良かった友達はいたし、楽しかった思い出もある。
「あの子は簡単に友達と会えるんだ。私と違ってな。……もしかしたら、友達がいないのかも知れん」
深刻な顔になった主人に、ロジオンとリズが顔を見合わせた。二人とも主人の心配している事の内容は分かるが、それがどれだけ重大な悩みにつながっているかは計り兼ねていた。
「……そうかもしれないけど、あたしらに出来る事ないでしょ?それは、あの子がどうにかするべき問題よ」
「冷たいな君は。屋根の恩はどう返すんだい?」
リズが口を曲げて黙りこむ。唸るリズを落ち着けようと、ロジオンが代わりに主人に尋ねた。
「ですが、できる事もありませんよ。それに、いささか踏み込みすぎでは?」
「何を言ってるんだお前は。プロポーズした相手の悩みをそのままにできるか」
「何を言ってるんだアンタは」
ロジオンは思わず素になって主人に聞いた。
「あれやっぱり本気だったんですか!?」
「もちろんさ。私は常に本気だ」
「冗談みたいな存在のくせに……」
「お前に言われたくはない」
吸血鬼とゾンビが互いに言い合うのに、魔女が冷めた目を向けた。水掛け論に興味はないと、リズは口を挟む。
「……で、アンタはどうしたいの?」
「決まってるだろ。彼女の助けになるのさ。私達は恩を返せるし、あの子は友達を作れる。ひょっとしたら、あの子が君の物件探しを手伝ってくれるかもしれないぞ」
「む……」
リズにとって、それは望ましい事のように思えた。何も知らないで探すよりは、土地に馴染んだ人間に協力してもらった方が当然良い。加えて、素性を隠す必要があるので望む条件も必然的に多くなる。
土地勘があり、且つこちらの事情を知っておりその秘密を漏らさない人物。あきらがそんな人物になりえるのなら、リズには願ったり叶ったりだった。
「……問題は、あの子の口の堅さね」
腹を決めたリズが、バイクに歩み寄った。
「リズ様、まさか」
「そうよ、彼女を見に行くの。一旦、荷物をテントに入れて頂戴」
サイドカーに高く積まれた荷物の山を叩き、リズはロジオンに言った。彼には彼女が何らかの考えを持って主人に賛同しているのは察せたが、素直にこれに同調しようとは思えなかった。
「ですが、まさかあの方の学校に立ち入るのですか?私達は部外者ですよ」
「大丈夫よ、その辺はどうにかなるから」
「ああ、どうにかなるな」
「……本当ですか?」
胡乱げな目を向けるロジオン。
「何、簡単さ。生徒のふりして入ればいい」
「そうよ、堂々としてればばれないものよ」
「まずは皆で鏡を見ましょう」
黒い帽子と外套で全身を隠す男と長い銀髪の黒い肌の女に、アイパッチをした色の白過ぎる男は冷静な一言を送った。
ホームルームが終わり、五分後の一時限目を待つ時間になる。窓の外に目をやりながら、あきらは暇を潰していた。一日の中で、一番持て余してしまう五分だ。授業で使うノートやペンを出してしまえば、後は何も考える事が無くなってしまう。
窓から目を離し、何の気なしに手先をいじる。そこでふと人の気配を感じ、彼女は顔を上げた。
そこには、あきらを見下ろす男が一人いた。彼女の知っている顔だ。
「やあ、アキラ。その、次の授業は何だったっけ」
そばかすの目立つその青年は、言いにくそうに彼女に尋ねた。
彼女は彼を知っていた。同級生のジェームスで、彼女のクラスの中心になっている男だ。ラグビーをやっているらしいが、その割に選ぶっている所がないのであきらも彼に悪い印象を持っていなかった。むしろ好意的に思っている。ただ、それを態度に表せるかどうかは別だ。
「……数学」
「あ、そうなんだ。どうしよう、確か次までが期限の課題があったんだ。君は終わったの?」
「……うん、まあ」
「すごいな君は。俺なんてさっぱりだったよ」
ジェームスの言う課題は、彼の言うように提出の期限が迫っていた。加えて、担任が厳しいので生徒達からは非常に恐れられていた。あきらは常に締め切りを守っていたが、彼女の知る限りジェームズは期限をよく破る常連だった。
「申し訳ないんだけど、写させてくれないかな?」
あきらは目を瞬かせた。ジェームズを見、相手が正気かどうかを探る。
「他の人は?」
「君に頼みたいんだよ」
こう言われては、彼女は警戒せずにはいられなかった。
親しくない人間にものを頼むのは、知人相手にはできない事をしたい時だ。ノートの持ち逃げは大いに考えられるし、本当に写したとしてもすぐに返ってくるとは思えない。ジェームズが他の同級生に又貸ししてしまえば、当然手元に戻る可能性は低くなる。
彼女の目つきが険しくなるのを見てとったのか、ジェームズはなおも食い下がった。
「頼むよ、今日居残りだと、デートに遅れちゃうんだ」
情けない顔になる彼に、あきらの仏心が揺らぐ。
「……すぐに返してよ」
釘を刺しながらも、彼女は自分のノートを差し出した。ジェームズの顔がぱっと明るくなる。
「ありがとう!次のホームパーティには招待するよ」
ノートを受け取ると、彼は前列にある自分の席に急いで戻っていった。鞄のジッパーを開き、開いた隙間に手を突っ込む。あきらはその様子をぼんやり見ていたが、すぐに興味を失って窓の外にちらりと目を向けた。
と、そこで見えたものに気付く。
教室の窓から見える、グラウンドに面した道。そこに沿って等間隔に植えられた樹の陰から、黒くとがった帽子が生えているのが見えた。見間違いかと思い眼鏡を外し、目元をこすった後にまた眼鏡をかけてそこを見る。帽子は変わらずそこにあり、その根元からは見覚えのある顔がこちらに目を向けていた。唖然とした顔になった彼女に気付いたのか、彼女に向かって小さく手を振っている。見間違い様がない。昨日、彼女のガレージのそばにテントを立てて寝た黒ずくめの男だ。
何でここに?
口から出かかる疑問を必死に押さえ、彼女は彼を見る。彼はにんまり笑うと、外套の下から布を出し、それを誇らしげに両手で広げてみせた。その布はバスタオルくらいの大きさで、真っ赤なインクで以下の文字が書きつづられていた。
『10月31日はハロウィン』
お久しぶりです。待っていてくれた皆さん、ありがとうございます。
次の回ですが、事情により一月ほど投稿できなくなってしまいました。
なので一月、あるいはそれ以上お待ちいただくようになってしまいます。
申し訳ありませんが、気長にお待ちくださるようお願い申し上げます。
ここで投げ出すつもりは毛頭ありませんので、お付き合いの程よろしくお願い致します。