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7.いってらっしゃいませ

「本当にすいませんでした」

 妙な出で立ちの三人組は、揃って彼女に謝った。土足で上がるのが常識な国の家の床で正座になり、諸手を付いて頭を下げている。本家本元の国の出身である彼女から見ても、それは見事な土下座であった。

「もう顔を上げて下さい。怪我もしなかったし、気にしてませんから……」

 すでに眼鏡をかけ直していた彼女は、落ち着かない気分で彼等に声をかけた。現に怒りや恐れよりも、今は戸惑いの方がはるかに大きかった。見間違えでなければ彼等はバイクで空を飛んでいたし、聞いてみれば彼等自身もそれを肯定した。信じられないが、彼等の言葉を否定できる情報はない。

 とうに日も沈み、明かりも乏しいせいで外は真っ暗になっていた。申し訳なさからか、その場をすぐに逃げ出そうとしない三人を放っておく訳にもいかず、彼女は取り合えず彼等を家に招きいれたのだった。お人良しもいい所だと分かっていたが、聞いておきたい事もあったし、何より自身の良心が痛んだ。夜中のこの国は物騒この上ないし、彼等三人からは危険な雰囲気は微塵も感じなかった。

 おずおずと顔を上げた女性が、まず口を開く。

「壁やガラスはすぐに直すから、通報は勘弁してくれない?ビザもないし、パスポートもないの」

「え、それって……」

 銀髪の女の言葉に、彼女は不審の色を露わにする。その表情を読み取って、眼帯の男が慌てて口を開いた。

「違います、怪しい者じゃありません。潔白、真っ白な身ですよ、私達」

「まあ、あなたは見れば分かりますけど……」

 眼帯をしたいやに青白い男に同意し、彼女は頷いた。だが、疑わしい事に変わりはない。その男はなおも食い下がる。

「どうか、信じてください。悪気があったんじゃないです」

「もちろんそれは分かります。ですけど、せめて素性を教えてもらえませんか?」

 女と眼帯の男が顔を見合わせ、揃って困惑の表情を浮かべる。その様子を見て、彼女はますます彼等を信用できなくなってきた。さりげなくポケットに手を入れ、携帯を開けるように指に力を入れる。

 黙り込む二人の隣で、黒ずくめの男がようやく頭を上げた。帽子のつばの陰から、表情のない顔が現れる。

「なあ、メット取っていい?」

「まだかぶってたんですか。さっさと取りなさいよ」

 眼帯の男が彼に呆れた声を投げた。

街頭の男はバイザーを降ろしたヘルメットの上に帽子をかぶっていた。そのせいで男の目鼻立ちは分からなかったのだった。

眼帯の男の態度の変わりように彼女は目を引かれ、そして黒ずくめの人物の奇妙な出で立ちに改めて眉をひそめた。見た目の怪しさで言えば、三人の中で彼が一番だ。全身を覆う黒い外套に、つばの広い帽子。肌の露出は一切ない。

「あの、この魔法使いみたいな人は……?」

「それどっちかって言うとあたしなんだけど……。まあ、悪い奴じゃないから安心して」

黒い肌の女にそう言われても、彼女は首をひねるばかりだった。

彼女の思惑とはよそに、外套を来た男は帽子を取ってヘルメットに手をかけた。両手に力を込め、ヘルメットから頭を引き抜く。

金髪が零れ落ち、ほっそりした端整な顔が現れた。

「あ……」

 男の素顔を見て、彼女は思わず感嘆の声を上げた。多くの人が思い浮べる美男子の要素を、彼は全て持っていたのだ。それまでに良い印象を持っていなかっただけに、驚きはひとしおだった。携帯を掴む手が、思わずゆるむ。

 ヘルメットを取ったその男は、蒸れてかゆくなった頭を掻きながら眼帯の男に目を向けた。

「あー暑かった。ロジオン、早く言ってくれよ」

「普通はさっさと取るもんです。室内ですよ」

 窘めるように言う眼帯の男に、金髪の男は渋面を作った。傍で見ている彼女にも、なんとなく彼等の関係を読み取る事ができた。どこか抜けた所のある金髪の男を、ロジオンと呼ばれた眼帯の男が疲れた顔で嗜める。その様子は日頃何度も繰り返されているらしく、双方やけに慣れた様子だった。

「そんなの知ってるさ。でも、リズが脱ぐなって言うからな」

「それはそうだけど、せめて帽子は取りなさいよ。屋内なんだし、人前だし」

 銀髪の女に言われ、む、と男は顔をしかめた。

「ヘルメットを外すのだって普通だろ」

「それは駄目だったんですよ、まだ明るかったんですから」

「何なんだリズもロジオンも。私の普通は普通じゃないのか!」

「普通かどうかは、私からは返答しかねます。でも、今は夜ですよ」

 ヒビの入った窓を指し、ロジオンと呼ばれた眼帯の男が言った。透明なガラスの向こう側は真っ暗で、部屋の明かりによって四人の姿がガラスの表面に映し出されていた。

「そうか、真夜中ならいいのか。全く、二人とも注文が細かいから困る」

「私はもっと困ってます」

「またそれか。好きだなロジオン」

「あなたはボンで済むけど、私はそうはいかないんですよ。あなたの世話以外する事無いんですから、あっという間にボケてしまいます」

「ボンって何だ、昨日からよく聞くけど」

「知った時にはあなた、もう手遅れよ」

 リズの言葉にロジオンが頷き、男は首をひねった。

 ずっと傍で聞いていた彼女も、彼等の会話の内容を理解しきれないでいた。三人で話しが進んでおり、置き去りにされている気もしていたので敢えて口を挟む。

「あの、何の話しですか?」

「ああ、いや失礼。この二人が……」

 男が彼女を見る。そこで、彼の言葉は途切れた。

男はずっと、ヘルメットのバイザーを下ろした状態だった。昼夜を問わず視界が暗くなっていたため、常に視界がぼんやりとしか見えなかったのだ。それが今ヘルメットを脱ぎ、明るい視界を得て初めて彼女の顔を見た。

男は目を丸くして、じっと彼女を見つめた。何となく気恥ずかしくなって、彼女はつい、と目を逸らした。その男にはなぜか、彼女を惹きつけるものがあった。目を見た瞬間背筋を冷たいものが走ったが、今は胸が躍っているのが分かる。

「……娘さん、名前は?」

 声をかけられ、彼女は口元が強張った。

「……安藤、あきらです」

「そうか、あきら。君に言いたい事がある」

 男は膝立ちになっていた足の片方を立て、あきらに近づいた。両手を伸ばし、空いた方の彼女の手を取る。リズとロジオンとが彼の行動に戸惑い、あきらが目を丸くする。男の手は冷たく、それでいて滑らかだ。

 男は青い瞳でじっと彼女を見つめ、そして一言。

「結婚してください」


7.いってらっしゃいませ


 ベッドの中で、あきらは朝が来たのに気付いて目を開けた。気だるさが身体にのしかかってくるが、今が何時か知りたくなり、目覚ましを手に取る。デジタル式のその時計は、七時二十分を表していた。

 そろそろ起きないとまずい。彼女はもそもそと掛け布団を押しのけ、ベッドから足を降ろした。ベッドサイドデスクからメガネを取り、顔にかける。

 と、そこで彼女は足元に寝ている人物に気付いた。地味な色の寝袋が一つ、中身を詰めた状態で転がっている。銀の髪が数条、顔の穴からこぼれているのが見えた。寝袋に入っているその女、リズは未だに寝息を立てていた。

 昨日の出来事の後、あきらは結局あの三人を泊める事にした。ただ女のリズはともかく、ロジオンと彼が主人と呼ぶ男には屋外に張ったテントで過ごしてもらっていた。冬の外は寒いからとあきらは屋内に入れようとしたのだが、ロジオンがこう言ってその申し出を断った。

「寒いのは慣れてますし、私には都合がいいんです」

 後半の台詞の意図は読めなかったが、その後畳み掛けるようにリズが男女別に分けようと押しきったので、今のようにガレージ内にはあきらとリズしかいなかった。

 彼女を起こさないように、あきらはリズの上をまたいで外に出た。あきらの住むガレージにはガスと水道は引かれていないので、この時ばかりはホストファミリーの家に上がらなくてはならなかった。車庫の裏を通って、裏口をあらかじめもらった鍵で開いて中に入る。すぐに家のキッチンに入る事ができた。広くて白いそのキッチンはものがないかのように整然としており、コンロに面した机の上にはシリアルの箱が一つ、ぽつんと置かれていた。今日もこれが、彼女に割り振られた朝の食事らしい。彼女は箱を一瞥すると、黙ってシャワー室に向かった。

トイレと一体になっているシステムバスなので、彼女は脱衣所に入る前にノブにかけている札をひっくり返した。手早くシャワーを済ませ、着替えていそいそと出る。

廊下を歩く途中、家の主であるアンナと鉢合わせた。五十を過ぎた、太った女性である。

「あ、おはようございます……」

 屋根を借りている以上、礼儀をわきまえなければならない。自分からあきらは挨拶したが、アンナは彼女を一瞥しただけでむっつり黙ってその場を後にした。慣れたもので彼女の態度に気を害する事も無く、あきらはキッチンに入って牛乳を取り出し、手早く朝食を終わらせた。二ヶ月間学校のある日はほぼこれで、もはや作業のようであった。味も、普段と変わりない。

その後すぐ外に出、ガレージへと向かう。その途中、男が一人テントの入り口で屈んでいるのが見えた。見れば眼帯をしている方、つまりロジオンが入り口から出ようとしているもう一人を押さえて外に出すまいとしていた。開いたジッパーの間に手を突っ込み、腰を落とした格好だった。

彼等は大声で言い合っており、少し離れた場所にいるあきらにもその内容は聞こえていた。

「はーなーせー!もう朝じゃないか!私の朝を邪魔するな!」

「あなた普段は夜に起きるでしょ!昨日といい今朝といい、気楽に外に出ないでください!」

 ああもう、と唸るロジオンとその主人の様子が気になり、あきらはテントの傍に近づいた。彼女に気付き、ロジオンが首を回す。

「あ、安藤様、おはようございます」

「はい、どうも。何をされてるんですか?」

 彼女の声に気付いたのか、テントの中からロジオンが主人と呼ぶ男の声が聞こえた。

「おおあきら、こいつが私の邪魔をするんだ。ゾンビめ、主人を何だと思ってるんだ!」

「だから、あなたは吸血鬼でしょ」

「またそれか。冗談にしては度が過ぎるぞ!どうかなってしまったのかロジオン」

「アンタが頭を打ったんだよ!っとと、失礼」

 思わず怒鳴った事をロジオンは謝り、あきらに頭を下げた。主人という男はまだテントの中に押し込められており、指の一本も外に出せないでいた。

 天気は雲もまばらな晴天。吸血鬼という単語が頭の中で引っかかり、あきらはロジオンに小声で尋ねてみた。

「あの、吸血鬼って本当ですか……?」

「本当ですよ。貴方には信じがたいでしょうが。かくいう私もゾンビでして、今もこの辺りの暖かさにやきもきしている所です」

 冗談のようにロジオンは言うが、あきらには笑えなかった。普通なら冗談として聞き流すだろうが、彼の言葉を裏付ける事実が一つある。

 臭うのだ。

 以前買ったばかりの肉を室内に放って置いてしまい、腐らせてしまった事がある。その肉の臭いをもっとひどくした、鼻にくる臭いが、わずかだが確かにロジオンから漂っていた。体臭だけではこの刺激臭は再現できないだろう。一瞬彼がおぞましいものに見えたが、自分に対する紳士的な態度や物腰のおかげで嫌悪感は大分薄れていた。

「信じがたいですか?立証したいのはやまやまですが、そうなると少々心臓に悪いものを見せなくてはなりません。どうしてもと仰るなら……」

「あ、いえ結構です。信じてますよ」

 彼の発言に嫌な予感を感じ、あきらはロジオンの言葉を遮った。

「そうですか。ご理解が早くて助かります」

 頭を軽く下げるロジオンに、テントから野次のように声が上がった。

「いいから出せロジオン、ジョークはいらん!」

「こっちは本気で言ってんですよ」

「何て事だ、ロジオンがおかしくなった!」

「もう面倒くさいですねアナタは!頼みますから外套と帽子はつけて下さい!」

「断る!私は外に出しても恥ずかしくない子だ!」

「それを決めるのはあなたじゃありません!いいから着てください!」

 押し合いながらの押し問答は依然終わる気配はない。主人はロジオンの言い分を聞く気はないらしい。

 このまま放っておく気にならなくなり、あきらは出入り口の隙間から主人に声をかけてみた。

「あ、あの……」

 二人が黙り、動きを止める。注目されているのが分かって彼女は緊張したが、構わず続けた。

「えーと、主人、さんはですね……、顔を隠した方がいいかな、と」

「なぜだ!恥じた行いなどした覚えはない!清く正しく素敵に生きたのに!」

「落ち着いてください。その、あなたはいいかも知れませんが、えっと……女の子が皆困ります」

 主人がえ、と声を上げ、ロジオンが目を丸くした。

 あきらから見れば、二人は素性がおかしいのを除けば外国人にしか見えない。緊張はひとしおだったが、彼女はガレージに逃げ込みたいのを堪えて続けた。

「その、ですね。昨日あんな事言われて、ちょっとびっくりしたでしょ?」

 思い当たる所があり、ロジオンがまなじりを吊り上げて主人を睨んだ。その主人はさっと目を背け、聞こえないように小声で「私は悪くない」と渋面を作って呟いていた。

「ああ、怒ってませんよ、びっくりしただけです。その、主人さんって綺麗だから」

 主人の耳がわずかに動いた。耳が動かせる事にあきらは驚いたが、その主人があきらに目を向けてきたのにも息を呑んだ。

「きれい?つまり、格好いいと言う事か」

「え?あ、は、はい、そう、ですね。だから、迂闊に顔出しちゃうと大騒ぎになっちゃいますよ……?」

 何を言っているんだ、と自分でも呆れてしまいそうな内容だった。顔が熱くなるのが分かる。

 ただ昨日、初めて彼の顔を見た時の感情だけは否定できなかった。刃物を見たような背筋の冷たさと、目を離さずにはいられないような束縛された感覚は忘れようがない。あの時心のどこかで、彼に好意を持ってもらいたいとすら思ってしまった。危なげなのに吸い寄せられるような、引きつける力がこの男から感じられたのだ。

 彼女の思惑を知ってか知らずか、主人は弾んだ声を上げた。

「あそう?そうか、大騒ぎかー、確かにそれはよくないな。疫病が流行るかのごとくバッタバッタと倒れる訳かー」

「もう災害ですね。ですから、身を隠してくださいと」

「お前はそんな事言ってないだろ」

「あなたに望むものは同じです。忘れたんですか、美白のためです」

「おっととそうか、そうだった。近頃は朝日も肌を焼くらしいからな。私とした事が用心を欠いてた訳か。そうかそうか、すまんなロジオン。今着てくる」

 すっかり大人しくなった主人は外に出ようとするのをやめ、テントの中でもぞもぞと動き始めた。

 面倒から解放されたロジオンがふう、と息をついて腰を伸ばす。

「助かりました、安藤様」

「いえ、そんな。……その、ロジオンさん、本当にあの人」

 ロジオンはすぐにあきらの言いたい事を悟った。ロジオンは彼女がただの人間である事を知っていた上、彼女が主人にどういう感情を持っているかもすぐに悟る事が出来た。その説明は、吸血鬼の特性の一つで説明がつく。

「はい、吸血鬼です。日の光にあたれば瞬く間に砂になってしまいます」

 あきらは大して驚きはしなかった。何となく、吸血鬼という言葉が主人のこれまでの言動や雰囲気に合致していると思えたからだ。

「砂に、ですか……。灰じゃなくて?」

「はい、消え方が灰と言うより砂なんです。漂わず、一気に粒子が落ちるんです」

「見てきたかのように言うんですね」

「危うく目撃しかけましてね。っと、それより安藤様、お時間はよろしいのですか?」

 言われてあきらは気付いた。腕時計を見ると時刻は八時十分前を過ぎていた。

「わ、遅刻しそう!それじゃ失礼します!」

 お気をつけて、というロジオンの声を背中に受けて、あきらは慌ててガレージの扉を開いた。中ではすでに目覚めていたリズが、寝袋を脱いでそれを丸めている最中だった。

「あら、おはよう」

「おはようございます!」

 返事もそこそこに鞄を掴むと、あきらはそのままガレージを飛び出して学校へと急いだ。

 それを入り口からリズが、テントの前からはロジオンと、外套と帽子で肌を隠した主人とが見送る。

「おー、あきらいってらっしゃーい」

「ご主人様、手!指が出そうです!安藤様、いってらっしゃいませ」

 手を振ろうとするのをロジオンに止められる主人を横目に見ながら、あきらはバス停へと駆けて行った。



お待たせしました。


ホームステイ先の一家には親密にしてくれる所もあればろくに接触を図ろうとしない所もあるとホームステイ経験のある知人から聞きました。

どんな事も、結局は関わる人次第みたいですね。

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