5.許してください
5.許してください
「よし、できた」
両手についた木くずを払うように、ロジオンは両手を二度ほど叩いて窓を見た。西日を望む事が出来るその窓は今、板によってふさがれわずかな光も漏れていない。
窓を塞いでいるのは、城中の材木をかき集めて作った分厚い木の板だ。しかも、窓枠から絶対に外れないように、窓枠に直接釘を打ちつけて留めている。どうあっても開く事が出来ないようにするためだ。これで主人は、ロジオンには見えないところで砂になる事はありえない。
「これで一通り出来たな。私の部屋にはご主人は入らないから、これで万全だ」
工具箱に金槌と残った釘とをしまい、ロジオンは腰を伸ばした。両手で背中を押すようにして身体を反らし、その後金属製の工具箱を持ち上げ、主人の部屋を出る。廊下に出て、道具を片付けるために自分の部屋へと歩き出した。大抵の日用品の類を、自分の部屋に置いていたからだ。
「さてと、ご主人はどこにいるのやら」
その主人が日の当たる場所へと向かっているとは露知らず、ロジオンは楽観視して悠々と向かった。
明日は補強が出来ていないいくつかの窓を完全に塞ごう。そう明日の予定を立てる彼の足取りは、非常に軽いものだった。
ロジオンが自分の部屋へ向かっている頃、主人は真っ暗な地下道を一人で歩いていた。どんどん城から遠ざかって行くのが分かるが、主人は全く意に介さない。それどころかまだ見ぬ外の様子に思いを馳せて、意気揚々と先へ先へと向かっていた。明かりは無いが、足元がはっきり見えているおかげで躓く事もない。吸血鬼の体質のおかげなのだが、それは今の主人の知る所ではなかった。
「さあて、どこに着くのかなー?」
独り言を言いながらも足を止めず、主人は前だけを見て突き進む。
しばらくして、主人は道の先に扉があるのを見てとれた。終点、つまり外と中とを隔てる扉が見えたのだ。
「おおお、見えたぞ。ついに、私は外に出られる!さあ見てやるぞ、この目で、輝く太陽を!」
すっかり舞い上がった主人は石の扉に向かって走り出した。一気に距離が詰まり、扉の目前まで辿り着く。
後は扉を開けてしまえば、それで終わりだ。暗闇を切り裂くように陽光が差し、地下道が一気に明るくなるのは間違い無い。
ただし、真正面から光を受けた主人は瞬く間に雲散霧消してしまうだろう。本人はそれに気付いていない。それだけに、その後の行動に躊躇いは無かった。
「いざ行かん!まばゆく明るい、自由な世界へと!」
両手を前に突き出し、主人は扉に手をかけた。横にずらしてしまおうと、足を踏ん張って腕に力を込める。
石の扉は彼が思っている以上に、容易く開いた。指から扉が離れ、主人の前で右から左に流れる。
ただし、今の主人の顔には戸惑いの色が強く出ていた。本人以外の力が働いたからだ。
肩透かしを食らったように主人はよろめき、左に目をやる。何が起こったのか知ろうとしての、反射的な動作だ。
そこで、主人の視界は真っ白になった。眼球を刺すような痛みが襲う。主人は激痛からのけぞり、倒れた勢いで通路の奥へと転がってしまった。暗闇の中に長時間いたせいで、夜目の利いた状態で光を見てしまったからだ。吸血鬼としての性質も相まって、視神経の奥まで焼け付くかのような衝撃を受け、暗がりの中へと入る。
おかげで彼は消滅の危機を脱したのだが、今の彼にはそれを感じる余裕も、理由もなかった。
「眩っ、ちゃ痛ああぁあ!」
のた打ち回る彼の前に、扉の隙間から細い足が差し出された。その後、足の持ち主が顔を覗かせ、主人を見る。
「あ、あれ?何でいるの?」
女の声。大声を上げて喚く主人を見て、声の主は身体を地下道に滑りこませた。そして速やかに扉を閉め、辺りを暗闇の中に戻した。
女は主人を知っていた。もちろん、目の前にいた男が吸血鬼なのもだ。その主人はというと、閃光に目が眩んで顔を押さえ身をよじっていた。大の大人がみっともないとは、彼女は思わなかった。
「ちゃ痛ああぁい!おっかあ、目に何か刺さったよぅ」
「何だって?おっかあに見せてみな」
女は駆け寄って跪き、主人の顔を覗き込む。そして、一言。
「って、誰がおっかあよ」
その途端、主人の悲鳴はすぐに途絶えた。
彼は顔から手を離し、彼女を見る。目が眩んだだけに留まったので、眼球も視神経も無事だった。そして女の顔を見て、にやりと笑う。
「さすがだなリズ」
主人はすでに目を闇に慣らしていた。夜行性の吸血鬼ゆえに、暗順応は早い。女の方も、もう主人の姿を暗闇で見る事ができるようになっていた。こちらは吸血鬼ではないが、ゾンビでも只の人間でもない。
「私の求めるノリツッコミを理解しているとは、やるじゃないか」
「魔女だからね」
そう言って女は主人の腕を掴み、彼を立たせた。リズと呼ばれた女は立ち上がった主人を見上げ、笑みを浮べた。
「久しぶりね。元気してた?」
「もちろんさ。君も息災で何よりだ」
親しげに挨拶を交わし、二人は手を握り合った。
魔女のリズは、主人とは古い付き合いになる。とは言っても、この再会も数十年振りである。出不精になる前の主人と出会い、馬が合って以来の仲だ。
「ロジオンは元気?」
「ああ、今日もしっかり腐ってるぞ」
「でしょうね。そういう所、相変わらずね」
昔話に花を咲かそうとして、リズがふと主人に大して疑問を持った。
「ところで、あなた何でここにいるの?」
「決まってるだろう。外に出るためさ」
魔女は最初、相手が何を言っているのか理解できていなかった。分かった途端、彼女の口から息が漏れた。
プッ
魔女は口を押さえ、俯いて笑いを堪える。
「……お、面白い冗談ね。今は昼よ?」
「だからさ」
魔女は両手で腹を押さえて、さらに身体を曲げた。主人が当たり前のように言ったのが、彼女の壺に入ったのだ。ふらつく足元は今にも斃れそうだったが、彼女は笑いを止められないでいた。そんな彼女を、主人は不思議そうな目で見る。
「何なんだよ、もう」
「くっ、ぷぷ……、ひひ、もう、お腹痛い。あなた、ずいぶんジョークが上手くなったのね」
痛む腹を伸ばせず、リズはどうにか首だけを起こして主人を見た。主人は未だ笑われた理由が分からず、きょとんとしている。
「ジョークって何がだ?君はどうしたんだ?」
「こっちの台詞よ。吸血鬼が一体どうしたの?」
笑いすぎで目から出た水を拭い、リズは主人に問いかける。主人は面白くもなさそうな顔をしてこう言った。
「君まで言うか。ロジオンといい、私が吸血鬼だなどと訳の分からない事を。流行っているのかい?」
「え?」
ここでリズは主人の様子がおかしい事に気付いた。冗談を言われているとばかり彼女は思っていたのだが、不快そうな主人の反応は演技には見えない。笑いを押し隠している様子も見えず、彼が本気で言っているのが彼女にも分かった。
「とにかく、どいてくれ。私は外に出たいんだ」
主人はリズの前から離れ、扉に向かおうとした。躊躇いのないその動作に、リズが血相を変える。
「ちょ、ちょっと待ってよ!本気!?」
リズはすぐ横を通り過ぎようとする主人を必死で引きとめた。主人本人からすればこれは思わぬ反応で、反射的に足を止める。彼にすれば笑われる覚えがなく、不愉快であったので無視したかったのが本音だった。
「いや、本気だが。まずいのか?」
「まずいも何も……あんた、正気?」
「耄碌した覚えはないぞ」
「痴呆老人は皆そう言うの」
リズは額を押さえて視線を落とし、考えを巡らせた。
今は昼間で、太陽は高い位置から辺りを望んでいる。地下道を出た先は獣道に通じており、もう少し時間が経てば扉の真正面から日光が差してしまう。扉を開ければ遮るものは何もなく、ここにいる主人は瞬く間に形を忘れて消えてしまうだろう。
だというのに、彼は外に出たがっている。まるで自分の性質に気付いていないかのようだ。
リズにとっては、ロジオンがいない事も気になった。主人を一人で放っておくのを良しとしない彼が、こんな状態の彼を野放しにするだろうか。
「ロジオンはどこなの?」
「ああ、城だ。昨日から様子がおかしくてな。城中の窓を塞いで回っているんだ」
「それ絶対あなたのためよ」
「何で?」
魔女にはロジオンが、打てるだけの手を打っているのが分かった。ただ主人は本気で分かっていないらしく、首を傾げてみせた。
「何でって……」
「とにかく、私は外に出たいんだ」
「駄目よ、絶対」
主人を掴んだ腕に力を込め、リズは地下道の奥へと引っ張った。ひ弱な主人は簡単に後ろに引かれ、かかとの先で歩くようによろける。そのままぐいぐい後ろに引っ張られ、主人は引き返させられ始めた。
「とっととと、何だリズ、どうするつもりだ?」
「ちょっとロジオンに会いによ。あたし、まだ彼に会ってないの」
「私を連れて行くのはなぜだ?」
「アンタを放っとけないからよ。いいから来なさい」
有無を言わさず、リズは城の方へと歩いた。主人は強引に引き返されて不服な顔をしたが逆らわず、されるがままに引きずられていった。
工具箱をしまい終えたロジオンは、暗い城の中を歩き回っていた。作業に時間をかけ過ぎたせいで、主人が今どこにいるのか、まるで見当がつかないでいた。
外出が出来ないように、外につながる扉はすべて塞いだ。窓も簡単には開けられないように蓋をしてあるから、城の中にいるのは間違い無い。砂になっているとは到底思えない。ロジオンはそう考えていたが、どこを見ても主人の影は見当たらなかった。
「どこにいるんだ?」
独り言を言って水瓶の中を覗くが、そこには自分の顔があるだけ。水の詰まった瓶の蓋を戻して、ロジオンは食料庫の部屋を出た。食料庫とは言っても、吸血鬼もゾンビも食事をする必要がないので、そこには水しかなかった。すぐそばにある別の扉の先は外に通じているが、そこはがんじがらめに縄で開かないように固定されている。この先でロジオンは毎日薪を割らなくてはならないのだが、それについては彼は後で考える事にしていた。まずは主人に思い出してもらわなくてはならない。
「外に出てるとは思えないが、どこにも見当たらないな。砂がないのは幸いだが……」
最上階の主人の部屋から順番に見てきたが、今の所主人を見つける事はできなかった。長い時間姿を見ないと、落ち着かない事この上ない。
「万全は期したが、呼んでも返事がない。全く、これだから目を離すとろくな事にならない」
愚痴をこぼした後、ロジオンはもう一度だけ主人を大声で呼んでみた。
「ご主人様ー!どちらにいるんですかー!?」
彼の声は石や漆喰の壁に反響して、廊下の奥へと消えていった。耳を澄ませてみても、小さくなる自分の声しか聞こえない。
「ああもう」
いらいらしながら階段を降り、一階の床に立つ。
「どこにいらっしゃるんですか?」
「こちらにいらしてます」
ロジオンは驚いた。振り向いて、声の出所を見る。
階段を出てすぐ後ろ、階段の陰になっている場所にある扉。そこには不要になったものを詰め込む、倉庫代わりの部屋があった。閉じていたはずの入り口は今は開き、一人の人物がその姿を現していた。
女だった。長い銀髪に色黒の肌、整った顔立ち。
彼女の顔を見た途端、ロジオンは腰を抜かした。足が曲がらなくなり、そのまま床に座りこんでしまう。
「り、りりりり……り、リズ様!?」
「あら、ご挨拶。そんなに怖がらなくていいじゃない」
にっこりと笑みを浮べて、魔女はロジオンにそう言った。ロジオンからすれば、晴天の霹靂とでも言うべき事態だった。
「おお、お、お茶もお茶菓子もありませんよ!?というか、なぜここに?」
「もてなして欲しいとは思うけど、ちょっとあなたに聞きたい事があるの」
そう言って彼女は片腕を引き、部屋の中から主人を引き出してみせた。襟首を掴まれて、主人が後ろによろめいた姿を見せる。
「あ、ご主人様!」
「おお、ロジオン。助けて」
「こっちの台詞です」
「せめて見えない所で言ってくれない?」
目の前で厄介事扱いされたリズが、笑顔で二人に言った。ロジオンが反応して、すぐに立ち上がって背筋を伸ばす。主人の友人にあたる相手なので、毅然とした対応を返そうと彼は自らを奮い立たせた。苦手意識を持つ理由は、別にある。
「はい、失礼しましたリズ様。して、なぜここに?」
「用があってね。地下道から入ろうとしたら、たまたまコイツに会ったのよ」
「え、そんなのあったんですか!?」
三度ロジオンは驚いた。地下道がある事も初耳だったが、そこに主人がいたというのも彼からすれば思わぬ出来事だった。
「そうなの。で、これが一人でのこのこ外に出ようとしてたの。あたしが来なかったらボン!よ」
「ボン?」
「た、助かりました、ありがとうございます。しかし、なぜここに?」
「それは後。言ったでしょ。聞きたい事があるの」
リズは主人から手を離し、ロジオンの傍に近づいた。顔を寄せ、小声で尋ねる。
「あいつどうしたの?頭でも打った?」
「全くもってその通りです」
ロジオンは昨日あった出来事を余さず伝えた。抱える苦労を軽くしたい一心からか、彼の舌はよく回った。
一通り聞いた後、リズは渋面を作ってロジオンを見、主人に目を向けた。その主人はというと、すぐ近くの窓に施された蓋をもの珍しそうにつついている。二人の様子に関心はないらしい。
リズは額を指で押さえ、はあ、とため息をついた。
「そりゃまた、大変ね」
「ええ。こんな事になるとは思いませんでしたよ」
疲れたように言うロジオンに、リズが同情の目を向ける。ロジオンは続けた。
「本人が無警戒な分、性質が悪くて。おかげで初日から心労が絶えません」
「でしょうね。あなたって本当に苦労性ね」
「今回みたいなのは初めてですよ」
恨めしげに主人に目をやると、彼は蓋に指をかける所がないか手探りで探していた。
ロジオンは震え上がった。行動の意図は見え見えで、主人は明らかに蓋を外しにかかろうとしていたのだ。
「ちょ、おやめくださいご主人様」
「これ邪魔、暗すぎる」
確かに主人の言うように、彼のいる扉の前には燭台がなかった。階段の前に伸びる大きな廊下の両側には燭台があり、二つ置きに火が灯っているが、辺り一帯を照らすには光が足りない。
なんとか指先が入るほどの木目の窪みを見つけると、彼は壁を足で押し、力を込めて板を引き剥がしにかかった。ぎしぎしという木材のこすれる音が上がり、徐々に蓋が窓枠からはがれていく。
ロジオンは焦った。流石に一晩で城中の窓を塞ぐのは彼にも困難で、いくつか固定が完全ではない窓があったのだ。そのうちの一つが、災難な事にこの窓だった。その窓には釘を一本も打っておらず、ぴたりと合った板の寸法だけをあてにしてはめ込んでいたのである。非力な主人でも、力を込めればはがせられる。
「お願いです、思い直してください!」
「いや、でもこれそろそろ外れそう」
「だから駄目だっつってんだよ!いいから手を……!」
そこから先は、言葉にならなかった。がたん、と大きな音を立てて、蓋が床に落ちたのだ。
差し込む日差し。明るくなる通路。
光を嫌う吸血鬼の全身を、容赦なく陽光が照らし出す。主人は窓を見たまま立ちすくみ、微動だにしなくなった。ロジオンやリズ、そして主人本人にも長く感じられる一瞬。
主人の全身が、色を変えた。白い色の肌が、暗い灰色の粒子に変わる。
全身の至る部分に細かい日々が入り、細かい粒が落下し始めた。このままでは五秒と待たずに、主人の身体を構成する成分はつながりを失ってしまうだろう。
ロジオンが動くよりも早く、リズが主人に手を伸ばした。
指差すように立てた人差し指を主人と窓の蓋に向け、小さく円を描く。その円は彼女から見ると、体が崩れそうになっている主人と、床に落ちた後倒れそうになっている木の板とを囲んでいた。
火が付いている訳でもないのに、その指先には白い、小さな光が灯っていた。何時の間に出したものなのか、ロジオンには分からなかった。光は軌跡を残し、指が動くままに円を空中に描いてみせる。
空中に白い円を描ききった後、リズはその指先を左に少しだけずらした。まるで時計の針を、ほんの一瞬の間だけ逆に回すようにだ。
指が止まると、空中で描かれていた円が、線を細くしながら径を広げていく。一瞬で魔女の視界一杯まで大きくなると、弾けたように円は消えてなくなった。膨らんで消えるその過程は、水面に浮かぶ波紋を思わせる。
すると不思議な事が起こった。
落下している主人の体の粒が、空中で静止したのだ。砂粒だけではない。床に落ちた板が前のめりに倒れそうになっているのも、意識していなかったためロジオンが気付かなかった空中の埃の粒子の流れも、全てが絵に変わったかのように動かなくなったのだ。
そして変化は、それだけに留まらなかった。空中の砂が浮き上がり、主人の崩れた部分を補おうと集まり始めた。同時に板が起き上がり、その後空中に浮き上がって自分から窓に吸い寄せられていく。肌の色が元通りになった主人が板を掴み、押し付けるようにして窓の蓋を閉めた。光が遮断され、城の中に薄暗さが戻る。
一連の現象は、それまで起こった出来事の終始が逆転したかのようだった。
「……あれ?何か起こってたような……?」
窓の蓋に手をかけたまま、主人が目を瞬かせる。その全身には、傷もなければ欠けもない。
目の前でこれを見ていたロジオンが、安心して深く息を吐いた。そして、腕を下ろしたリズを見る。
「……ありがとうございます、リズ様」
「間一髪ね。間に合って良かった」
彼女もまた胸を撫で下ろし、成功と安堵のため息を漏らした。
特定範囲の全ての事象を巻き戻す、逆行の魔法。リズはそれを使って、主人とその周囲の物体の時間の流れを逆にしたのだ。力を集中させた指先で円を描く事で、見据えた円の中にある全ての物体の時間を、指を左に回した分だけ逆行させるのである。
「すごい魔法を使えるのですね」
「まさかこれで命の危機を救うとはね。落ちたもの拾う時に使うんだけど」
「それは知りたくありませんでした」
主人はというと、自分の身に起こった事が理解できずに、未だ板に手をかけたまま目を白黒させていた。
客間に通されると、リズは椅子に掛けて長い机に両肘を乗せた。下座だったが主人も、彼女自身も気にしていなかった。二人はすでに、城主とお客様などという堅苦しい関係ではない。ロジオンは指摘すべきか迷っていたが、二人が何も言わないので口を出さないでいた。
主人が魔女の対面に座る。面と向かい合う格好になって、主人がリズに尋ねた。
「で、何で君はここに来たんだい?」
「ちょっと、ね。あなたに頼みたい事があるの」
言いにくそうに指をいじった後、リズは主人の方を見て言った。
「……住む所探してくれない?」
「「は?」」
主人とロジオンの口から、そんな声が漏れた。戸惑う彼等に、魔女は事情を話し始めた。
「この間うっかり人間に見つかっちゃったのよ。それでテレビだとかオカルト研究会だとかが家に近づいてきてさ、もう面倒くさいの。だから、他の場所に引っ越したいのよ」
吸血鬼の主人やゾンビのロジオンには魔女の抱えているこの問題の面倒さがよく分かった。
人間から見れば、彼等の存在は非常に珍しい。桁違いに数が少ないからだ。珍獣扱いされればまだいい方で、宗教関係者に見つかりでもすれば命はない。そのため、彼等は人目を避けて暮らさなければならないのだ。
「全く、ドジだなあ君は」
「アンタに言われると腹立つなぁ。でも、そういう事よ」
肩をすくめて、お手上げだとリズは溜め息をついた。主人は腕を組んで思索を巡らせる。
「そうは言うけどねリズ、僕にはアテはないよ」
「でしょうね。でも、あたしにも無いのよ」
「じゃあどうしよう」
「どうしましょうねぇ」
不毛な会話を交わす二人に、主人の傍で聞いていたロジオンは眉をしかめて口を挟んだ。
「……あの、ここに住まうのですか?」
彼の問いかけに、二人が同時に首を横に振った。
「いやいや、それは無い無い」
「うん、無い無い。こいつはいい友人だけど、そこまで世話にはなれないよ。信用もしてるから、なおさらね」
リズの言葉に、主人はうんうんと頷いた。ロジオンはすっきりしない顔で首をひねる。
「ですが、他に方法はないですよ。家を建てようにも、この辺りは猛獣も多いし」
ロジオンの言うように、城を囲む森には様々な獣が生息している。熊もいれば狼もいる。そして、命の危機に晒され続けて気の荒くなった鹿や猪もいる。魔女とはいえ、女が一人で生きていくには厳しい世界だ。
「この辺りじゃなきゃいいんでしょ?」
リズは気楽にそう言って席を立った。主人が座ったまま彼女を見上げ、ロジオンが怪訝な表情を浮かべる。
魔女は名案が浮かんだかのように表情を明るくすると、指を立てて言った。
「人の街に住みたいの」
主人が椅子からずり落ち、ロジオンが危うく倒れかけた。
「どど、どういう事?どういうつもりだリズ」
主人までもが血相を変えて友人の正気を疑った。しがみつくようにして胸を机の上に乗せ、リズを見上げる。
「簡単よ。人間になりすますの。あんた等と違って私は気付かれにくいから、難しいマネじゃないと思うけど」
「それで、何で私達に協力を?」
ロジオンが聞く。魔法の使える魔女なら一人でもどうにかなりそうな問題だ。
リズは恥ずかしそうに頭を掻いて、顔を伏せた。目だけでちらちら二人を見て、小さな声で言う。
「いやあ、あたし物件の見方や不動産屋の場所が全然分からないからさ。どういう家がいいか、色々教えて欲しいのよ、現地で」
「現地でって……、私達に同行しろって言うんですか!?」
「駄目?」
魔女は手を合わせて、小首をかしげてみせた。大人のリズがすると妙な愛嬌があるが、ロジオンは誤魔化されなかった。
ロジオンからすればとんでもない提案だ。人の集まる場所はどうであっても気温が高くなるので、自身の肉体の手入れも面倒になる。加えて、今の状態の主人をのこのこと街に連れて行くのは不安が残る。
主人の態度もつれないものだった。
「駄目だよ、リズ。そういうのは自分でやらないと。勝手を知らない女が一人じゃ、店に舐められるのは分かるけどね。でも、きちんと断る姿勢を持って行けばいい経験になるよ?」
「流石にあなたが言うと違いますね」
「いい意味で?それいい意味で言ってるの?」
ロジオンの指摘に主人が口を挟む。そこで、魔女が思い出したように一言。
「お嫁さん探せるよ?」
「よし行こう準備だ急げ」
席を立ちあがる主人。彼と魔女とをロジオンは交互に見比べ、信じられないものを見る目になった。息巻く主人が、心持ちいつもより血色のいい顔をロジオンに向ける。
「何をしているロジオン、さっさと支度をするんだ」
「ああちょっと待って。彼を借りたいんだけど」
主人の返事を待たずに、リズはロジオンを手招きして部屋の戸を開けた。話したい事があるのだと察し、ロジオンは彼女に頷いて後を追った。
二人で廊下に出ると、ロジオンは扉を閉めた。主人には聞かれたくない話だろうと思い、ロジオンは魔女の言葉を待った。
彼の思った通り、リズは口を開いた。
「……ちょっとあいつに、あんたが窓を塞いだ理由を聞いたんだけどね」
ロジオンは身構えた。リズが明らかに、先ほどまでと違って不機嫌になっていたからだ。
思いあたる点が分からずロジオンは戸惑うが、動揺を見せないように努める。
銀髪の黒い肌の魔女が、一つしか無いロジオンの目を睨んで言った。
「色の黒いのが悪い、みたいな事言ってたんだって?」
ロジオンにはその言葉の意味が分からなかったが、ふとある事を思い出した。ロジオンが主人に向かって言った言葉だ。
『あなたが日に焼かれて真っ黒になったとします。……あなたの理想とする女性は……離れてしまいます』
「ああー。え、あ、いや、違いますよ?そういう意味じゃ……」
「やーねぇ白人主義って。時代錯誤と思わない?」
親しげに問いかけるリズの目は、笑っていなかった。ロジオンは自分の背に、冷たい汗が流れた気がした。
もちろんロジオンは、彼女の言うような事を言ったのではない。見た目を過剰に飾る事は良くないと言ったのだ。主人がどう説明したかロジオンには分からなかったが、誤解されているのは明白だった。
「あの、だから話を……」
「ねえロジオン、一緒に熱帯に行かない?あなたの体に沸いた蛆の数を、毎日記録につけてあげる」
ロジオンは震え上がった。
「か、勘弁して下さい!怖い!」
「大丈夫よ、痛くはないだろうから」
「二度目の生を食われて終えるなんて嫌です!」
「あなたゾンビでしょ。生ける屍が、口を利くの?」
余談を許さない物言い。リズが本気で起こっているのが、ロジオンにも良く分かった。
「こ、コンプレックスなんですか?」
「逆よ。プライドがあるの。それを馬鹿にされちゃ、黙ってらんないでしょ」
リズが手を上げ、指先に小さな明かりを灯した。あらゆる魔法につながる予備動作だ。どんな魔法をかけられるか、ロジオンには予想がつかなかった。それだけに、感じる恐怖も大きい。
「ち、違います!例え話です!生まれつきのものを馬鹿にする話ではなくて……」
「あたし、五秒で済まない言い訳は聞き流してるの」
「だからアンタ苦手なんだよ、もう!」
「追いつめられると正直ね。好きよ、そういうの」
城の中で、ロジオンの悲鳴が響き渡った。
ずいぶん間隔が開いてしまいました。
申し訳ありませんが、また長く待たせてしまいそうです。
止める気は毛頭ありませんので、気長にお待ちしていただければ幸いです。