4.念入りにしました
4.念入りにしました
ロジオンは生前から規則正しい生活を送っていた。人間は習慣で生きる生き物だと言われるが、それは一度死んだ後も変わらなかった。
目を覚ますとすぐに彼は身を起こし、薄いかけ布団をはね飛ばして足を床に降ろした。召使のための狭い部屋にある薄いカーテン越しに、東から差す日の光が投げかけられている。ロジオンはすぐに服を着替えると、一目散に主人の部屋へと向かった。
もたもたしていたら主人が起きてしまう。早く主人の傍に行かねば、主人が何をしでかすか分からない。
ロジオンの心配事は、昨日起きた主人の変化によるものだった。
彼の知らないところで主人は頭を打ったらしく、ある事を忘れてしまっていた。
自分が吸血鬼である事だ。
指摘しても、ちっとも聞き入れてもらえない。出来の悪い冗談だと一蹴される度ロジオンは「じゃあアンタは何なんだ」という質問を喉の奥で堪えるのに苦労した。結局聞き届けてはもらえず、認識は改めて貰えなかった。
そのせいで主人は弱点に対する警戒心がすっかり抜け落ちており、日の光を浴びようとしきりに外に出たがるようになってしまった。
主人の部屋の前に着くと、ロジオンはそこの扉を三度ノックし返事を待つ。
「いいぞー」
主人の声が上がったのを聞いて、彼は静かにその戸を開いた。主人はベッドの上で身を起こし、ロジオンが来るのをぼんやりした目で見ていた。主人は元々、朝は強くない。
「おはようございますご主人様」
「ああおはよう。しかし、朝だというのに嫌に眠いぞ」
そりゃあそうだろう。ロジオンは敢えて口に出さず、黙って頷いてみせた。かつての主人は、日の出ている間はずっと眠っていた。日の沈む頃に目を覚まし、日が昇る頃に床に着く生活をしてたのだから、今が眠いというのは頷ける話だ。ロジオンも眠たかったのだが、主人の危機に惰眠をむさぼれるようなず太い根性は持ち合わせていなかった。
「そう仰る方は多いですね」
同意してみせた後、ロジオンは部屋のクローゼットから今日の主人の服を取り出した。二着しかない服の片方を主人に差し出すと、主人は黙ってそれを受け取った。
吸血鬼というのは貴族が大半だ。その為従者に服を着替えさせる吸血鬼は多いが、この主人は自分で服を着替えられた。理由は簡単だ。
「お前に裸見られるの嫌なんだけど」
「乙女かアンタは。こっちも嫌ですよ」
以上が出会って間もない頃の二人のやり取りである。その頃すでに、従者はロジオンしかいなかった。
そういう訳で、服を渡した後ロジオンはすぐに退室する決まりになっていた。その日も部屋を出ようとしたが、彼は主人に一言釘を刺すように言った。
「終わったらすぐに呼んでくださいね。すぐにですよ?」
言われた主人は訳が分からないという顔をしていた。ああ、と促されるままに頷いた後、首をひねる。
「何だ、心配事か?」
「ええ、まあ。余計な真似をされると仕事が増えるので」
「キツいな、朝から」
ロジオンは眉をひそめ、部屋を後にした。彼から言わせれば、箒とちり取りを取りに行く羽目になる方がよっぽど厳しい。
閉めた扉の前で静かに待ちながら、ロジオンは落ち着かない気分で時間を持て余していた。見ていない所でカーテンを開けられるのかと思うと、すぐにでも部屋に踏み込みたくなる。
ふと対面の壁にある窓に目をやると、外からの光は完全に遮断されていた。廊下に沿って並ぶ全ての窓が、板で作られた蓋で塞がれている。ロジオンが昨日徹夜で、城の窓という窓を塞いで回ったからだ。重労働だったが、万全を期さねば取り返しの付かない事になる。
主人の部屋にだけは勝手には立ち入れなかったので、そこの窓だけが彼にとって気がかりな点だった。
ほとんど徹夜で板を拵え、城中を走り回ったせいでロジオンは疲労していた。立ったままでも眠ってしまいそうで、うつらうつらしている内に意識が曖昧になる。
「いいぞー」
主人の声に目を覚まし、ロジオンは垂れたよだれを拭きとりながら部屋に入った。
いつものように、主人は着替え終わった姿でロジオンを迎えた。窓は開けられていない。
安堵するロジオンに、主人は訝しげな目を向けた。
「何だ、今日は挙動不審だな。心配事か?」
「ええ少し。申し訳ありませんが、どこかで時間を潰していて下さいませんか?」
ロジオンの提案に、主人は表情を明るくした。いつもなら大人しくする事を余儀なくさせられていただけに、主人は自由を得たような気分になった。
「お、いいのか?外に出て、散歩とかしちゃうぞ?」
「どうぞどうぞ」
意地の悪い笑みが浮かぶのをロジオンは堪え、平然とした顔で頷いてみせた。裏口含め、外と城内とを隔てる扉は全て縄で施錠済みだ。何度もきつく縛って作った結び目も、容易に解けるものではない。刃物のある場所も、主人には教えていなかった。
そんな彼の様子に、主人は首を傾げた。
「何だ、聞き訳がいいじゃないか。いつもなら『勘弁してくださいよー、ホントご主人様ったら破天荒なんだから、トホホ』くらい言って私を困らせるだろ」
「そんな茶目っ気はありません」
一言たりとも主人の言う、ひょうきんな台詞を言った覚えはなかった。付き合いでも、小芝居のようなやり取りに応じた事など一度も無い。
「だろうな。だから私が代わりに」
「しなくていいです。意義が見出せません。第一、今困っているのは私です」
「同じくらい、私もお前に困ってるぞ」
「なら私はもっと困っています」
子供の言いがかりのようだが、事実だ。主人は従者に行動を制限されている事に、従者は主人の今の状態が気がかりで、且つそれが主人に伝わっていない事にそれぞれ頭を痛めていた。
「ロジオン、私はお前に何かしたのか?言ってくれれば直すぞ?」
「……いえ。お気持ちだけで充分です。どうぞ、お好きになさっていてください」
ロジオンが片手を差し出すようにして、外出を促す。主人はすっきりしない顔を浮べたが、すぐに廊下に踏み出した。そして暗さと、その元凶を見て驚く。
「あれ?窓塞がってるぞ?なんでだ?」
「僭越ながら、昨夜私が全て閉めておきました」
「お前なんでそうしたの!?」
頼んでもいないだけに、主人の驚きは並ではなかった。もちろん、ロジオンとて意味の無い事をしたつもりはない。
「この頃は日差しがきつくなってきましたので、日焼けをされないようにと。後はこの部屋だけです」
「えぇー、一体何事?外ってそんなに怖いのか?」
「ええ、あなたには殊更」
頷きながら、ロジオンは持ってきておいた工具や材木を引っ張り出した。その用意の良さに主人は感心したが、その必要性には疑問を持っていた。
「別に日差しくらい、大した事じゃないだろ?何がお前をそうさせるんだ」
「アンタだ、アンタ」
ロジオンは聞かれないよう、小声で呟いた。その後すぐに、ごまかす為に適当な理由を口にする。
「……あなたの為です。お嫁さんが欲しいのでしょう?」
「おお、もちろんさ。でも、関係あるのか?」
「大いに」
大げさに頷いて、ロジオンは主人の興味を引いた。日頃愚痴をこぼしているだけに、反応は非常に良かった。
「ほほお、興味深いな。それと窓とが、どうつながるんだ?」
「そうですね。まず、貴方様の理想を聞かせて下さい」
「いいとも。聞かせてやろう。まず、才女であるべきだな。賢い女がいい。ただし、私を立てるべく、一歩引く癖があるのがベストだ。そして、私を愛してくれるのが言うまでもなく必要な条件だな」
饒舌に話し出す主人に、ロジオンは相槌を打ちながら先を促した。気を良くして、主人はさらに続ける。
「性格はもちろん優しくて、甘え上手ででもきちんと自立もできている。普段は淑女で、でも時たま大胆に……」
「あの、すいません。見た目をお願いします」
長くなってきたので、ロジオンは軌道修正を図った。彼が言いたいのは、中身の事ではない。
「見た目?そうかそうか、そこを聞くか。お前もなかなか分かってるじゃないか」
嬉しそうな主人に冷めた目を向けて、ロジオンは適当に頷いた。同意していると思われたのか、主人は気を害した様子もなく続けた。
「人は見た目ではないというが、それは二十歳前までだ。それを過ぎれば、大抵の奴の性格は見た目どおりだ。にじみ出るものは間違いなくあるからな。そういう意味では、見た目と性格は切り離せないぞ」
「だからご主人様は間抜け面なんですね」
「そうだな。……おいどういう意味だ」
「愛嬌があるという意味です。いいから、続きをお願いします」
「そうか、ならいい。それでな、外せないのはもちろん、清楚さだな。嘘なんかついた事のないような朴訥な子がいい。が、それは少々高望みかな?私も時々、お前に嘘つくし。そうなると、やはり相応の落ち着きや品格が」
「もっと些細な所を。背とか胸とか言ってください」
いい加減自分で言ってしまおうかとも思ったが、ロジオンは堪えて、ある事を喋らせようとした。主人本人に言わせなければ、ロジオンの言いたい事を理解して貰えないと思ったからだ。
「うーむ、そこにはあんまりこだわらないんだけどなぁ。あ、でも男遊びしてそうなのは嫌だな。やたら化粧が濃かったり」
「そうです、それです!」
待ちかねたロジオンが、思わず大声になって主人を指差して言った。思わぬ反応に、主人は思わず身を引いて口を閉ざす。目を何度も瞬かせる主人に、ロジオンは一気にまくし立てた。
「ご主人様に、そういうご主人様の好みの子に好かれて貰うために、窓を塞いで回ったのです。いいですか?考えてもみて下さい。お似合いの二人というのは、どこかしら似ているものでしょう?ご主人様の仰るような好みの子にも、選ぶ権利はあります。その際、その子が選ぶ基準とするものは何か。決まっています。どれだけ共通の認識があって、その男に対する理解が容易かどうかです。早い話遊んでいる女は遊んでいる男を、清楚な女性は身奇麗な紳士を選ぶという事です。ご主人様は淑女をご所望なんですよね?」
主張から質問に切り替え主人に尋ねると、主人は一拍置いて首を縦に振った。ロジオンの熱心な話し振りに呆気に取られていたようだが、彼のその主張には同意できたらしい。流れを掴んだとばかりに、ロジオンは続けた。
「ええ、良く分かります。ですから、考えてもみて下さい。あなたが日に焼かれて真っ黒になったとします。生まれつきの色ではありません。そんな状態で外に出れば、あなたの理想とする女性はあなたから離れてしまいます」
「……そ、そうなの?」
「そうです」
暴論になっている気もしたが、ロジオンはそれを押し通した。主人は未だ理解しかねているようだったが、ロジオンの言う事に納得し始めているのは間違いなかった。
「ですから、ご主人様の理想を叶えるべく私は尽力したのです。褒められる事はあれど、お叱りを受ける覚えはございません」
「なるほど、そうか。私以上に良く考えたな。感謝するぞロジオン」
納得し、明るい顔になった主人は指を鳴らした。
「そうと分かれば、迂闊に外など出られないな。城のどこかで、暇を潰そう。仕事が終わったら、呼んでくれ」
「分かりました」
すっかり気を良くした主人は、そのまま部屋を出て行った。廊下の暗さも気にとめず、ロジオンの見えない所に消えてしまう。
何とか気にして欲しい事に気をつけるようになってくれた。ロジオンとしても、肩の荷が降りたような気分だった。
喋りすぎて喉がひりひりする。ロジオンは一度咳払いすると、板を抱えて窓を塞ぐ蓋の製作に取りかかり始めた。
城の中を散策しているうち、主人はある事に気付いた。
城中の窓がロジオンによって塞がれていたが、城の中は暗くはない。夜中に使うために壁に設けられた、燭台のいくつかに火が灯されていたからだ。蝋の調達が容易ではないからか、二つおきに間隔を空けられて漆喰の壁に円を映し出していた。ぼんやりとした輪郭が、暗い部分と明るい部分との境目になっている。
この時彼はすでに玄関の方を回っており、親の仇のようにがんじがらめに固定されたノブを見ていた。徹底された処置に内心で感心し、その一方で恐ろしいとも思っていた。歩くうちに驚きは薄れ、代わりに疑問が彼の中に生まれた。
「あいつは何故ここまでしたのだ?」
ぽつりと呟いた時、一つの可能性が彼の中に現れた。
「外にはもしかして、見てはならないものでもあるのか?」
疑問が出来上がると、彼の中で好奇心が頭をもたげてきた。見るなと言われると、見たくなってしまうのが性である。ここで自制できる者とできない者とに分かれるが、彼は後者に分類された。
「……ほんの少しでいい、見てみたい。折角だ」
彼は意を決すと一階に降り、物置にしている部屋の一つに入った。ロジオンに見られていないかどうか周囲を確かめた後、滑るように中に潜り込む。
物置の部屋の角には蜘蛛の巣が張っており、床中に散らばった様々なガラクタの上には分厚い埃の層が積み重なっていた。扉から一本の線を描くかのように埃の薄い部分があるが、それは先日地下牢から移動させたかびたクローゼットを運ばせた跡だ。その証拠に、黴の色に染まった大きな箱が、身を隠すようにうつぶせに倒れていた。物置というよりは、不要になったものをしまうガラクタ部屋であった。
その荒れ果てた部屋の中で、主人は噎せながらしゃがみ込み、床の様子を探り始めた。一度倒してへし折れてしまった帽子かけや、飽きてここに放り込ませておいたゴルフクラブなどを押しのけ、目当てのものを捜す。
「えほっ、えほっ。確かここに……と」
作らせたはいいが趣味に合わなかった大きな熊のぬいぐるみを放り捨てると、ようやく主人の捜し求めているものが現れた。
表面のひび割れた、木製の板。ただしそれは辺の部分を金具で補強されており、埋め込まれたかのように床の平面に同化していた。
それも当然。これは抜け道への入り口を塞ぐ扉だったからだ。
「やはりロジオンもここまでは知らなかったか。よしよし」
思い返せば、ロジオンを作った頃はすでにここはガラクタ部屋として扱っていた。以来ここの掃除もさせていなかったので、彼が知らないのも無理からぬ事であった。
主人が扉を引き開けると、真っ暗な石の通路が口を開けて彼を出迎えた。反響する隙間風の音と冷たい風とが彼の肌を撫で、背筋を震え上がらせる。石の階段が主人の膝のすぐ前にあり、底の見えない暗闇から何かが手招きしているようにも感じられた。
主人が普通の人間だったとしたら、ここでやめようと思い、すぐに扉を閉めていたかもしれない。主人も例に漏れず、外した扉を閉めようと手を伸ばそうとした。
しかし、そこで主人は気付いた。
真っ暗な底を見つめているうち、その暗闇の中にあるものが見え出してきたのだ。
「……あれ、見える?見えるぞ?」
夜行性の吸血鬼は、夜目が利く。さらに頭を入り口に突っ込み、そこから伸びた地下道を覗き込んでみる。
すると壁を構成するブロックの一つ一つや、その上を撫でるように滴り落ちる地下水、何かに睨まれている事に気付いたネズミたちが逃げ惑う様などが鮮明に見えてきた。
「おお、見える見える!すごいな私!」
こうなると見えないものに対する恐れが無くなり、暗闇への恐怖が薄れる。地下道の奥深くまでを見通せるようになった主人は、すっかり調子を取り戻し、階段を降りてしまった。降りきってしまうと、石や地下水の冷たさが肌に馴染んでいくのが分かった。
ここは元々は、城が攻め落とされる前に逃げ出せるよう、設計の段階で設けられていた地下道だった。離れた場所に出口があり、そこからなら外に出る事ができる。
用心のためにと、主人は再び階段を上がって部屋の様子を見回した。ロジオンが来る気配は、全くない。
「よぅし、行くか」
二段飛ばしで階段を降りると、主人は軽やかな足取りで外へつながる出口へと向かった。
盆の帰省の前に書き上げました。
次はどうなるんでしょう?