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「……お父さん。なんで『スマッシュ』は、一回殴るだけで全部直せるの?」
夕食後のリビング。
テレビ画面の中では、蒼い装甲を纏ったキャプテン・スマッシュが、勝利のポーズを決めていた。
ソファに座るコウタの膝の上で、息子がコントローラーを置き、真っ直ぐな瞳で見上げてくる。
「え……? それは、キャプテンがすごいパワーを持ってるから、かな」
コウタは濁した。
だが、息子の追求は止まらない。
「なんでパワーがあると、壊れたものが直るの? 壊す力と直す力は、違うものじゃないの?」
カウント1。
「……そうだな。でも、キャプテンの拳は『悪いもの』だけを選んで壊すから、その衝撃で正しい形に戻るんだよ」
「なんで『悪いもの』だけ選べるの? 拳に目があるの?」
カウント2。
「目はないけど……キャプテンの心と繋がってるから、心が『これは理不尽だ』って思ったものだけが砕けるんだ」
「なんで心で思ったことが、拳に伝わるの? 脳みそから電気が出てるから?」
カウント3。
「……そう。強い電気だ。ピカッとな。だからキャプテンは光ってるんだよ」
コウタは冷や汗をかいた。
会社で部長に突きつけられる「なぜなぜ」とは種類が違う。
だが、純粋ゆえの鋭さは、時に部長の罵倒よりも深く、コウタの思考を追い詰めていく。
「なんで電気が出ると、光るの? 太陽も電気が走ってるの?」
カウント4。
「太陽は……また別の仕組みだけど……。ほら、もう寝る時間だぞ。続きはまた明日だ」
「なんで明日にするの? 今知りたいのに。お父さん、本当は知らないの?」
カウント5。
真因の特定。
「父親は、何でも知っているヒーローではない」という現実の露呈。
コウタは言葉に詰まった。
昨日、離婚届を破り、妻と向き合う決意をした。
ヒーローのように「立ち上がる」と決めたはずなのに、子供の純粋な問い一つに、自分の中の「無知」という理不尽が暴かれていく。
「……ああ。お父さんも、本当は全部は知らないんだ」
コウタは観念して、息子の小さな手を握った。
「キャプテン・スマッシュみたいに、一発で全部を解決して、全部を元通りにする魔法なんて、本当はお父さんも持ってないんだよ。……ごめんな」
リビングが静まり返る。
キッチンで洗い物をしていた妻の手が、一瞬止まった。
息子は少しだけ寂しそうな顔をして、それから、コウタの右手をじっと見つめた。
マメの潰れた、労働者の、ただの男の手だ。
「……でも、お父さんの手、あったかいよ」
「え?」
「キャプテンの拳は光ってるけど、お父さんの手はあったかい。僕は、こっちの方が好き」
息子はそう言うと、満足そうに欠伸をして、寝室へ向かおうとした。
だが、ドアの前で立ち止まり、パジャマの袖を握りしめたまま戻ってきた。
その手には、使い込まれた青いコントローラーが握られている。
「……お父さん。もう一回やろう。次はお父さんと、ボクがチーム」
コウタは一瞬、妻の顔を見た。
「明日も早いんだから」という小言を覚悟したが、彼女は静かにコーヒーを啜り、テレビの方へ顎をしゃくってみせた。
「……よし、一回だけだぞ。最強のチームを結成だ」
「やった! ボクがスマッシュを援護するね!」
画面が再び、蒼い光を帯びて動き出す。
選んだのはもちろん、キャプテン・スマッシュ。
そして息子は、その背中を守る高速機動のパートナー機を選択した。
ゲームが開始されると同時に、ステージには無数の『理不尽な敵』が溢れ出す。
かつてのコウタなら、敵の群れに圧倒され、ただ闇雲にボタンを連打して自滅していただろう。
だが、今の彼は違う。
「お父さん、右から『ザコ』の群れが来るよ!」
「分かってる。そいつは——俺が引き受ける!」
画面の中のキャプテンが、重厚なステップで前に出る。
敵が放つ黒い弾幕を、今のキャプテンは銀河のマントで鮮やかに弾き飛ばす。
「今だ、お父さん! 隙ができたよ!」
「スマッシュ・コンビネーション!」
息子の操作する小型機が敵の足を止め、そこへキャプテンの巨大な拳が吸い込まれていく。
ドゴォォォォォン!!
物理法則を無視した衝撃波が画面を埋め尽くし、敵が次々と光の粒子に変わる。
その粒子が散らばるたびに、ステージの背景にある「荒廃した街」が、みるみるうちに美しい公園へと修復されていった。
「すごい……! お父さんと一緒だと、直るのが早いね!」
息子が興奮で頬を紅潮させて叫ぶ。
コウタは、指先に伝わる振動を感じながら、不思議な高揚感に包まれていた。
二人で一つの勝利を目指す。
それは、昨日まで彼が忘れていた「誰かと向き合う」という感覚そのものだった。
「——ラストだ! 行くぞ!」
「うん!!」
二人の指が同時に動く。
蒼い光と金色の光が重なり合い、巨大な理不尽のボスを真っ向から貫いた。
画面には大きく『MISSION ACCOMPLISHED』の文字。
夕焼けに染まる修復された世界で、キャプテンとパートナー機ががっしりと握手を交わす。
「……勝ったね、お父さん」
息子はコントローラーを置くと、満足げにコウタの腕に寄りかかった。
「ああ。最強のチームだったな。……ゲームだけじゃない。明日からは、毎日がチームだ」
「うん! おやすみなさい!」
息子が今度こそ軽やかな足取りで部屋へ戻っていく。
静かになったリビングで、コウタは消えかけたテレビ画面を見つめた。
暗転した画面に映る自分の顔は、もう「疲れ果てた男」ではなかった。
不器用で、間違いだらけで、それでも大切な誰かのために拳を握り直すことができる——ただの、父親の顔だった。
「コーヒー、淹れ直したわよ。……今度は、少しだけ砂糖を減らしておいたから」
キッチンから妻が歩み寄り、コウタの隣にカップを置いた。
湯気と共に、懐かしい香りが鼻をくすぐる。
「……お父さん。明日、洗濯お願いできる?」
不意の言葉に、コウタは顔を上げた。
以前の彼女なら、諦めたように一人で抱え込んでいたはずの家事。
それを、彼女は「問いかけ」としてコウタに投げた。
「ああ、わかったよ。頼ってくれて嬉しい」
コウタの返事に、妻はほんの少しだけ、驚いたような、それでいて深い安堵を湛えた笑みを浮かべた。
窓ガラスの外には、満天の星空。
何もかもを粉砕し、一瞬で修復する魔法はどこにもない。
けれど、温かいコーヒーの苦味と、頼られたことへの小さな喜びが、コウタの胸を確かに満たしていた。
明日になればまた、図鑑を片手に太陽が光る理由を調べ、仕事のミスに頭を抱える日常が始まる。
それでも、この「最強のチーム」がいれば、何度でも立ち上がれる気がした。




