009話 竜姫 シノ
「それで!どうなのじゃ?さっさと、この呪いを――パクっとやってくれるのかや?」
竜の姫は翼をばっさばっさと揺らし、期待に輝く大きな瞳でアレフを覗き込んできた。
アレフは慌てて手を振る。
「おい待て! そんな軽々しく言うな!本当に大丈夫なのか!?」
「だいじょうぶに決まっておろう! ご覧あれ、この通り妾は元気そのもの!喋れるし、飛べるし、火だって吐けるのじゃぞ! むしろ絶好調じゃ!」
「……そういう問題じゃないだろ」
「ふふん、じゃが困っておるのも確かじゃ。人の姿に戻れぬと、妾の大好物の焼き菓子も食べられぬし、彼氏もできぬのじゃ!」
巨大な竜の口から「焼き菓子」「彼氏」という言葉が飛び出し、緊張感はたちまち崩れていった。
そこへ冷静な声が割って入る。
《――選択を迫られているのは、お前だ、アレフ。呪いを喰らうか否か》
「だから待てって!」
今からダンジョンに挑むことを考えると、少しでも余計なトラブルは避けたいーー
「もし呪いを喰ったら、あいつの中の記憶とか魂まで……消えたりしないのか!?」
《――不要なものまでは喰わぬ。対象は“呪い”そのものだ。》
グラトニーは淡々と告げる。
「おおっ!それは心強いのう!さすが暴食の魔剣、妾の見込んだ通りじゃ!」
シノは嬉しそうに尻尾をばっさばっさと振り回す。その度に地響きが響き、アレフはよろめいた。
「や、やめろ! 尻尾で揺れるだろ!」
「おお、これはすまぬ!嬉しゅうてのう、ついはしゃいでしもうたわ!」
そして竜の顔をぐいっと近づけ、満面の笑みを浮かべる。
「では頼む!妾の呪い、喰らってくれぬか!」
《……承知した》
グラトニーの刃が黒く輝き始める。
アレフは深く息を吐き、額の汗をぬぐった。
「……ほんと、なんで俺の旅は、いつもこうなんだ……」
「ふふ、楽しければよかろう? 退屈ほどつまらぬものはないぞ!」
無邪気に笑う竜の娘と、冷徹に輝きを放つ魔剣。その狭間に立たされ、アレフはひどく居心地の悪い心境に陥っていた。
それでも、黒く輝く魔剣グラトニーが、竜姫の巨体へと向けられた。
アレフは深く息を吐き、剣を突き出す。刃先から黒き靄が広がり、竜姫の鱗にまとわりつく。
「んん……? なんだか、こそばゆいの……」
姫は首を傾げ、翼をぱたぱたと震わせる。苦痛ではなく、むしろ不思議そうな顔だ。
やがて、竜の全身を覆っていた淡い呪符のような紋様が、黒い靄に吸い込まれていった。
――そして。
一瞬、まばゆい光が爆ぜる。
次の瞬間、そこに立っていたのは――
長い黒髪を背に流し、天衣のような衣を纏った一人の少女だった。
「……おおっ!戻れたのじゃ!ちゃんと人の姿に……!」
姫はくるりと回り、袖をひらひらさせて大はしゃぎする。
だが、アレフが安堵して肩を落とした時、グラトニーの声が低く響いた。
《――終わりではない。呪いを喰らった今、残滓がある。発した者の名だ》
「残滓……?」
アレフが身構えた瞬間――
黒煙が宙に集まり、ゆらりと形を結んでいく。
冷気を孕んだ風が吹き抜け、周囲の空気が凍りついたかのように重苦しくなる。
そこに現れたのは、仮面をつけた聖職者の幻影。
顔は影に沈み、仮面の奥からは光なき瞳がこちらを睨んでいる。
『……異端を解き放つか』
声は肉体を通らず、頭蓋の内側に直接響いてくる。
抑揚も感情もなく、ただ冷え切った鐘の音のように――しかし心臓を鷲掴みにする重さで。
『愚かなる者どもよ』
「貴様は……!?妾に呪いをかけおった――!」
姫が怒気を含んで声を上げる。だが幻影は一切動かず、ただ淡々と告げる。
『我ら《聖浄の神殿》は、世界から異端を一掃する。竜人、魔族、混血……そのすべてが世界を蝕む穢れ』
その言葉に呼応するように、幻影の足元からは聖印をかたどった黒い炎がじわじわと広がっていく。
耳鳴りのような祈祷の声が遠くから重なり合い、現実と夢の境目が曖昧になる。
『お前は竜の血を持つがゆえ、存在そのものが罪なのだ』
「……聖浄の神殿……!」
アレフは目を見開く。噂には聞いたことがある。亜人を異端と断じ、処刑や浄化を正義と叫ぶ狂信的な組織だと。
ただし、長い歴史の中で、人間と深い交流を築きあげてきたエルフやドワーフはその限りではない。
幻影は、まるで彼らの動揺を見透かすかのように、さらに冷たく告げる。
『呪いを解かれようと無駄だ。異端は必ず粛清される。いずれ、聖火のもとにその首を差し出させようぞ』
言葉と同時に、頭の奥に焼き付くような痛みが走る。
まるで「滅びの予告」が刻印として心臓に押し付けられたかのようだった。
「誰が貴様らに屈するものか!妾は妾じゃ!誰にも縛られぬ!」
姫は拳を振り上げるが、幻影はすでに霧散し始めていた。
ただその残滓は、なおも嘲笑うかのように耳に木霊していた。
グラトニーが低く告げる。
《――奴らは本気だ。聖浄の神殿は、異端を根絶やしにするまで止まらぬ。そこの娘もいずれ……》
アレフは剣を握り直す。
「……ハーフエルフもやつらの対象ってわけか。なら、これははっきりとした“宣戦布告”だ」
「不幸体質とは、やはり厄介な呪いですな……アレフ坊っちゃま」
ジェームスが肩をすくめる。
そんな彼の心中などお構い無しに……
「ふぅ……やっと呪いも解けたのう」
竜の姿から解き放たれ、人の姿へ戻った竜人族の姫シノは、黒髪を揺らしながらしなやかな身体を伸ばす。
その横顔には余裕の笑み。
「どうじゃ、妾の姿。見惚れてもよいのじゃぞ?」
《……騒がしいやつだ》
冷ややかに返したのは、アレフの腰に佩かれた魔剣グラトニー。呪いを喰らい尽くしたばかりでありながら、その声音は冷淡だった。
アレフは肩を竦めながらも、すぐに真剣な表情へ戻す。
「呪いが解けたなら良かった。だが、これからが本番だ。俺たちの目的は魔導書の確保――ダンジョンに挑むぞ」
「うむ、それなのじゃがな」
シノは腰に手を当て、挑むような笑みを浮かべる。
「妾も同行することに決めた」
「は?」
アレフが目を丸くする。
「神殿の輩は妾を“異端”と呼んで狙っておる。ならば一人で隠れるより、剣を持つ者たちと共に歩むがよい。……それに妾は退屈を嫌う。そなたらと共にあれば、退屈せずに済みそうじゃからな」
「やったぁ!仲間が増えたのね?」
ライカは飛び跳ねて喜び、尖った耳をぴょこぴょこと揺らした。
「……お嬢様、軽率に決断なさらぬように」
執事ジェームスが控えめに進言するが、声色に強い反対はない。
アレフは溜息をつきつつも、魔剣へ視線を落とした。
「どうする、グラトニー」
「好きにしろ。喰える呪いが増えるなら、それでよい」
その隣で、左手に嵌められた黒鉄の手甲――憤怒の神器ラースは、何も言わずただ鈍い光を放っているだけだった。
「ふふ、決まりじゃな」
シノは愉快そうに笑い、闇に口を開ける洞窟を見やる。
「さあ行こうぞ。魔導神書が眠るダンジョンへ!妾とそなたらの冒険、ここからが本番じゃ!」
冷たい風が吹き抜け、ダンジョンの奥からは不気味な鼓動のような音が響く。
一行は新たな仲間を加え、いよいよ未知の迷宮へと足を踏み入れた。
次回タイトル:010話 魔導書のダンジョン




