010話 魔導書のダンジョン
冷たい湿気が肌にまとわりつく。
ダンジョンの入口を抜けると、そこには広大な石造りの回廊が広がっていた。
壁には無数の古代文字が刻まれ、青白い光をぼんやりと放ち、幽玄な輝きが薄闇を照らしている。
「うわぁ……すごい……!」
ライカは瞳を輝かせ、幼い声で弾むように歓声をあげた。
「ほほぅ……ここは中々趣があるのう」
シノは興味津々に壁へと手を伸ばす。
「むやみに触れるな!」
アレフが制止するより早く――
――カチリ。
床石が僅かに沈み込んだ。
「っ!伏せろ!」
アレフの叫びと同時に、天井から鋭い鉄槍が雨のように降り注ぐ。
ジェームスは即座に銀のトレイを掲げ、ライカを庇って飛び退き、アレフは二本の槍を剣で弾き飛ばし、シノの腕を掴んで転がるように回避した。
「おおうっ!?いきなり命を狙うとは、随分と手荒い歓迎じゃの!」
床に倒れ込みながらも、シノは笑みを浮かべる。
「笑ってる場合かッ!!」
アレフが怒鳴った次の瞬間、槍の突き刺さった床石から――黒い影が溢れ出した。
「……モンスターか」
人の形を成した影が、次々と地面から這い出る。闇を纏う兵士のような姿――《シャドウナイト》だった。
「ふふ……丁度よい。体もまだ温まっておらぬしの」
シノの口元が吊り上がり、紅の瞳が妖しく輝く。竜の血を宿す者の威圧が空気を震わせた。
「グラトニー!」
アレフが呼ぶと、腰の魔剣が低く唸る。
「承知。呪いは微弱だが……喰える」
次の瞬間、アレフは踏み込み、影の兵士を一刀のもとに斬り裂いた。黒い霧のような呪力が刃に吸い込まれていく。
「おおっ……ホントに喰らっておる……」
シノが目を丸くして見守る。
「坊ちゃま、後方はお任せを」
ジェームスは長杖を構え、的確無比な魔法で次々と影を撃ち抜いた。
そのとき、アレフの左腕の“憤怒の手甲”ラースが淡く輝く。
言葉はない。だが、激しい怒気の衝動だけが心に流れ込む。
「……分かってる。暴れたいんだろ?けど、いまは堪えろ」
アレフは低く呟き、次の回廊へと駆け込んだ。
やがて、薄暗い石の回廊に重たい地響きが迫る。
苔むす壁を破り現れたのは、二体の石像の巨人――ゴーレム。無機質な瞳がぎらりと光る。
「次は妾の番じゃ!」
シノの口元が不敵に吊り上がり、身体を包む気配が一気に膨れ上がる。青白い“竜気”が肌を焼くように滲み出た。
「シノ、前に出すぎるな。ジェームス、援護を」
アレフの指示に、執事は恭しく一礼。
「畏まりました、アレフ様」
巨腕が振り下ろされる。しかしシノは退かず、右手に竜気を凝縮させた。
「――砕けるがよい!《竜爪ードラゴン・クロウ》ッ!!」
爪状の竜気が閃光のごとく走り、ゴーレムの片腕を断ち切った。轟音とともに巨体がよろめく。
「ぬはは!これぞ妾の真髄じゃ!」
背後から迫るもう一体のゴーレム。
「危険でございます、シノ様!」
ジェームスが銀のトレイを投げ、足首を打ち砕き、動きを鈍らせる。
「今です!」
シノの喉奥から熱が迸り、赤い竜気が燃え上がる。
「全てを焼き尽くしてくれよう――《竜炎ードラゴン・フレイム》!!」
竜の咆哮とともに吐き出された炎が通路を赤々と染め上げた。ゴーレムの巨体は瞬く間に焼け爛れ、石が爆ぜ、黒煙を上げて崩れ落ちる。
肩で息をしつつも、シノは獰猛な笑みを浮かべた。
「どうじゃ? 妾を仲間にして良かったじゃろ?」
その隣でジェームスが優雅に煤を拭い、深々と一礼する。
「お見事にございます、シノ様。炎すらエレガントに見えるのは、あなた様だけでしょう」
アレフは目を見張った。
「……竜人ってのは、こんなにも強いのか!?」
憤怒の手甲ラースが共鳴するように震え、魔剣グラトニーさえ竜気に興味を示す。
『魔力とも呪力とも違う……あの力、いつか喰らってみたいものだ……』
アレフは無意識に拳を握りしめた。胸の奥から期待と高揚が熱となってこみ上げる。
***
ゴーレムを退け、一行はさらに奥へと進む。
道中の罠はジェームスがことごとく見破り、ライカは拍手して跳ね回った。
現れるモンスターは、シノの一撃かアレフの一振りで塵と消える。
「ふむ、拍子抜けじゃな。もっと手強い相手を所望したいのう」
「強すぎる味方を持つと、戦いが遊びに見えるな」
アレフは苦笑した。
やがて重厚な石扉へ辿り着く。
中央に刻まれた古代文字が脈打ち、魔力の光が脈動していた。
「ここだな……魔導書の眠る場所」
グラトニーが背で震える。
『油断するな……ただならぬ気配がある』
扉を押し開くと、広大な円形の空間。
天井には幾重もの魔法陣が輝き、中央の台座には魔導書が鎮座していた。
だが安堵は束の間。
魔導書が脈動し、空間が歪む。粘液の奔流が溢れ出し、巨大なスライムが姿を現した。
赤、青、緑……無数の色を混じらせ、絶えず形を変える異形。
体内では炎が揺らめき、氷が結晶し、稲妻が奔る。
「……なに!?」
「魔導書がモンスターを……!? これは《エレメント・スライム》!」
不気味な光景に、ジェームスの瞳が鋭さを増す。
スライムの体表が波打つたび、色とりどりの魔力が火花を散らし、
滴り落ちた粘液が床石を熔かしていく。
「こいつ……ただの水塊じゃない。魔力の坩堝だ!」
アレフが呻いた瞬間、スライムの一部が千切れ飛び、
稲妻を帯びた矢のようにシノへ殺到する。
「……これは、一筋縄ではいきませんな」
シノは拳を握り、不敵に笑う。
「ぬはは! ようやく妾を楽しませる相手が出てきたわ!」
アレフは仲間を見渡し、頷いた。
「――行くぞ。これを倒して、魔導書を手に入れる!」
次回タイトル:011話 魔導神書グリモワール




