001話 始まり
この作品は、
第一部【錬金術師アルジェの災難、受難、苦難の行く末】
の続編ではありますが、登場人物、世界観など、物語背景が一部を除いて変わってしまうため、「別の作品」としてお読みいただいても、不都合のないよう仕上げてあります。
剣と魔法の世界――セルフィリア。
光と闇が交錯し、人と魔が覇を競うこの大地には、もう一つの力が存在していた。
それは“呪い”。
魔力とは異質の負の理であり、穢れにも似たエネルギー“呪力”。
治癒の魔法や薬では解けず、祈りや聖水でも脆弱な呪いしか祓えず、ただ受け入れるしかない宿命の力。
その呪いに愛された少年がいた。
──アレフ・カース。
見た目だけなら、どこにでもいる冒険者の少年だった。
炎のように鮮やかな赤毛は、陽光を浴びるたびに燃え盛る炎のような輝きを放ち、その色合いは彼の内に眠る情熱を象徴しているかのようだ。
つむじ付近で無邪気に跳ねる毛先は、火花のように散り、まるで彼の未来を照らす導火線のようにも見える。
しかしその燃える髪とは対照的に、彼の瞳は澄んだ空の色をしていた。
雲一つない青空をそのまま閉じ込めたような瞳は、まっすぐで誠実な心を隠しきれずにいる。
身長は平均よりやや低め。だが、三年の冒険者生活で鍛え上げられた体には、細身ながらもしなやかな筋肉が宿っていた。
父から譲り受けたミスリルのハーフアーマーには、かつてカース家が誇った紋章が刻まれている。肩当ては簡素で、両腕を覆うのは使い込まれた革のガントレットだけ。だがそれは、彼が歩んできた苦難の道の証でもあった。
彼を知る者はほとんどいない。
いや、知っていたとしても――それは「運のない冒険者」としての笑い話にすぎない。
王都。
昼下がりの冒険者ギルドは、いつもと変わらぬ喧騒に包まれていた。
受付嬢が書類を捌き、酔いどれの剣士が大声で仲間を呼び、テーブルでは次の依頼について口論する声が飛び交う。
その片隅。アレフは椅子に深く腰を沈め、掲示板を見上げていた。
「……また薬草採取かよ……」
呟きはため息に溶け、誰の耳にも届かない。
三年間、冒険者として活動してきたが、彼はいまだに最下級の『F』ランク。
受けられる依頼は、薬草採取や荷物運びといった雑用ばかり。剣を振る機会など、数えるほどしかなかった。
理由は明白だった。
遡ること百五十年前。
当時のカース家当主アルフレッドは、一人の魔女を追ってダンジョンに踏み入った。
魔女の狙いは――“呪われた神器”。
アルフレッドは深層で彼女を追い詰めたが、その刹那、不幸を呼ぶ呪いを受けてしまう。神器は奪われ、ダンジョンは崩壊。溢れ出した魔物たちが街や村を蹂躙し、数多の命を奪った。
それ以来、人々は魔女を《災厄の魔女》と呼ぶようになる。
そして、“不幸体質”の呪いはアルフレッドの血に刻まれ、以後、代々最初に生まれた子へと受け継がれていった。
――アレフで五代目。
依頼に向かえば橋は崩れ、薬草を摘めば毒蛇に囲まれ、魔物退治では崖から落ちる。
努力はすべて不幸で掻き消され、結果は常に「最悪」。
当然、仲間などいない。
笑われ、避けられ、見下される日々。
かつて大貴族として名を馳せたカース家の名も、父の代でついに潰えた。
それでもアレフは剣を手放さなかった。
理由は一つ。
――《災厄の魔女》をこの手で倒すため。
呪いを断ち切り、すべてを終わらせるため。
泥を啜ろうと、地を這おうと、その誓いだけは揺るがなかった。
そんな彼にも、一つだけ異質な資質があった。
呪いの副産物ともいえる、常人離れした膨大な呪力。
母親の体内に生を受けた時からその身に《呪い》を宿していたアレフは、彼が本来有しているはずの《魔力》が《呪力》に変質してしまっていたのだった。
だが現実は、それを活かす場を与えてはくれない。
一人の少年が現れるまでは……
*
「おい、アレフ。ちょっと話がある」
その日、彼に声をかけたのは、Dランクパーティ《雷神の鉄槌》のリーダー、バロックだった。
背に分厚い戦斧を担ぎ、岩のような体格をした武骨な男。
「ダンジョン探索に行きたいんだろ? 特別に手伝わせてやる。ただし……荷物持ちとしてな」
アレフの心臓が、一瞬だけ跳ねた。
単独では許可されないダンジョン探索。
それだけでも十分すぎる誘いだった。
迷う理由は――どこにもなかった。
数日後。
彼らは王都近郊のダンジョンに足を踏み入れていた。
湿り気を帯びた空気が肌にまとわりつき、石畳には苔がびっしりと生えている。
苛立つような滴り落ちる水音。
剣を握る手に汗が滲む。
《雷神の鉄槌》は、先日見つけた隠し通路へとアレフを案内した。
「……なんだ、この空気……」
低い唸り声が、遠くから響く。
石壁に反響して、耳にじわじわと迫ってくる。
通路の奥に現れたのは――マンティコア。
獅子の胴体に蝙蝠の翼、蠍の尾に鋭い毒針。
赤い瞳が光り、殺意を乗せてアレフを射抜いた。
背筋に氷柱が突き立つ。
「アレフ。お前が囮になれ!」
「……え?」
問い返す暇もなく、背中を押された。
足元から石畳が消え、視界がぐらりと揺れる。
次の瞬間、獣の吐息が頬を舐めた。
「ま、待っ……!?」
恐怖が肺を締めつける。
足は凍りつき、剣を握る手が震える。
後方から仲間たちの声が響いた。
「やった、宝箱はここだ! 急げ!」
──宝箱……?
まさか……俺を囮に……?
「……くそ……」
唇を噛む。
怒りが喉を焼き、悔しさが心臓を握り潰す。
次の瞬間、仲間たちは宝箱の光に包まれーー消えた。
ーー転移罠。
残されたのはアレフと、唸り声を上げるマンティコア。
「……そういうことかよ……」
自嘲と怒りを押し殺し、剣を構える。
胸の奥で、別の熱が燃え上がる。
――強くなりたい。
――呪いごと、この世界を殴り返すほどに。
――もう二度と、誰にも利用されないように。
「……力が……欲しい……!」
その刹那、空間が裂けた。
黒い縦筋が走り、裏側から冷たい風が吹き込む。
「ようやく呼んだね。呪いの器」
裂け目から現れたのは、銀髪の少年。
無機質な瞳に底知れぬ冷たさを宿し、歩みは静かでありながら世界を圧する気配を纏っていた。
「僕はベータ。君の中には、底なしの呪力がある。その“飢え”を満たすにふさわしいモノを――預けに来た」
彼の手にあったのは、漆黒の大剣。
禍々しい牙の意匠を持つ柄。
鞘から溢れ出す黒い靄が、生き物のように蠢いている。
「これは《暴食の魔剣》……“七つの大罪シリーズ”の一振り。呪力を喰らい、主に力を与える。ただし、代償は――喰われる覚悟だ」
危険だ。理屈では理解できる。
だが、視線を剣から外せなかった。
黒い靄は呼吸のように揺れ、鼓動と同調する。
背筋を撫でる寒気すら、奇妙に心地よい。
アレフは――その柄を掴んだ。
『──契約は成された』
頭蓋を叩く声。
次の瞬間、膨大な呪力が引き抜かれ、全身を灼けた鉄で貫かれるような痛みが駆け巡る。
「……ッァ……ぐ……ッ!」
視界が赤く染まり、耳鳴りが爆ぜる。
だが、その中に確かにあった。
底なしの力の奔流が。
「……いいね。君は……よく馴染む」
ベータの笑みと同時に、マンティコアが跳躍した。
翼が空気を裂き、大地が衝撃で割れる。
「喰らえ――ッ!」
振り抜いた一撃が、石畳と共に空間を裂いた。
閃光のような衝撃が走り、獣の左腕を肩口から吹き飛ばす。
「ギィィアアアアア!!」
尾の毒針が迫る。
アレフは左手でそれを掴み――否、喰らった。
「……呪いか? そんなもん……効かねぇよ」
体内に走った猛毒が、瞬く間に魔剣へと吸い込まれていく。
次の瞬間、渾身の突きが獣の胸を貫いた。
──ズドォン!!
血飛沫と衝撃が洞窟を揺るがし、マンティコアは絶命した。
荒い息を吐くアレフ。
手の中の魔剣が、満腹に嗤っていた。
「……これが、“力”か……」
呪いを喰らい、呪いで強くなる剣。
その出会いが少年の運命を狂わせることを――この時、まだ誰も知らなかった。
呪いの器。
呪いを喰らう剣。
そして、“七つの大罪神器”を巡る冒険譚の幕が、今ここに開かれた。
次回:001話 呪われた神器ー七つの大罪を求めて




