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戻れない。戻らない。

(花梨の一人称)


 欲するところを素直に欲し、(いや)な物を(いや)だと言う。

 要はただそれだけのことだ。

 そうは言うものの私は自分が何を欲しているのか、

 わたし自身が理解しているとは言えない。

 由香ちゃんに「花梨は私のこと好きなんだよ」と言われたけれど、どうなんだろう。

 そんなことを考えながら登校する。この時間の下駄箱付近は騒がしい。

 おはようを言い合って人がどんどん結合していく。

 私におはようを言う人間はいないので私はまた思索に戻る。

 私は結局由香ちゃんをどうしたいんだろうか。由香ちゃんとどうなりたいんだろうか。

 やっぱり由香ちゃんが好きなのか。

 私は修学旅行などの行事ごとの前後に芽吹いてくる好きな男のことを語るあの顔を思い出した。

「うん、体育祭で仲良くなって、まだ連絡は続いてる。和田ってああ見えて結構マメに返信くれるんだ」

「それ晴美にだけだよ。」

「そ、そうかな…」といって彼女は我々から目線をはずし、

 遠くの理想像に焦点を合わせる。この顔。私は頭を振った。

 由香ちゃんにそんな顔をした覚えはない。

 それにしてもあの恋をする女の顔を見ると、

 人間ごときにあんな夢を見られるなんてさぞ幸せなことだろうと半分皮肉に思う、

 そして半分真面目に思うのだ。

 私の由香ちゃんへの想いはもっとじくじくと膿んで痛みと痒みをもたらす。

 一言で収めようとするなら許せない。が一番近いだろう。

 由香ちゃんが悠斗と付き合うなんて私には許せない。私は教室の中へ入った。

 ふみかや莉緒他数人と談話している由香ちゃんと目が合った。

 彼女は目の周りに皺を寄せたが、すぐにそらして変わらぬ表情で会話にいそしむ。

 また鍋底に火をかけられるような煮立った心持がした。

 友達を、特にふみかは彼女から奪ってしまわなければいかなかったけどそれはできなかった。

 私の可愛さは男にしか通用しない。


 ホームルーム前の騒がしかったクラスが

 私が教室に入ってきたとが気づき始めて声を潜める。

 大方私の話でもしていたのだろう。席に座って持っていた本を開いた。

 私は孤立して、完全にどう扱えばいいのかわからない異物と化している。

 わたしに失うものなんてないし、中学の終わりにも事件を起こして孤立していたから同じ位置に収束しただけのことだけど。

 高校ではくだらない人間関係を避けるために自ずから一人でいたけれど高校1年の夏前ぐらいに由香ちゃんがわたしに話しかけてきた。

 なんだか心に気泡が入り込んで今日は本に集中できない。

 ずっと過去のことばかりが浮かんでくる。


 今日は自習で済ませらせる授業しかないし、さぼろう。

 そう決めて私は保健室へ向かう。

「梨宮(花梨)さん、どうしました?」と保険の先生が尋ねる。

「ちょっと吐き気があって。」

「あら。でも今ベッドが空いてなくて」

「じゃあそこの長椅子に横になっていいですか?」

「あなたがいいならいいけど」

 私は皮の長椅子に仰向けになる。

 白い天井が白い蛍光灯の明かりを反射して少し眩しいので腕で目を隠す。

 扉が開く音がする。私はちらりとそちらに目をやる。

 おそらく上級生の知らない女の子が入ってきた。

 一瞬それが由香ちゃんに見えて勝手に落胆してしまう。

 ここで唐突に由香ちゃんを押し倒した時の由香ちゃんの困惑と受容がせめぎ合うような複雑に力んだ顔を思い出す。

 そしてその後すぐに受容のほうに傾いて彼女は力を抜いてしまった。

 その危うくも愛おしい様子を思い出す。ずっとああしていたかった。

 でもそんなことはできっこない。私にできることを私はやった。

 何も間違いはないはず。

「先生。体調がすぐれないので帰っていいですか?」

「いいけど。帰れる?」

「大丈夫です」

 ここは由香ちゃんのとの記憶の残滓がただよっている。

 平常な心がかき乱されるので私は保健室を後にした。

 私はバスと電車を乗り継いで吉祥寺へと向かった。

 家にいると考え事が増えそうだ。

 用はないけれど100均によってぐるっと一周した。

 何も買わずでようと思ったけれど、

 目の端で愉快なものを見つけたのでそれを買って井の頭公園へ向かう。

 白々しい朝日が差し込んで水や緑が煌めく井の頭公園に平日いることなんてないのでなんだか気分がいい。

 人の声はせず、木々がそよぐ音と鳥が鳴く声だけがたまに耳に入る。

 私はベンチに腰を降ろして100均で買った

 シャボン玉の液を容器に浸して筒につけてふうと息を吹き込んだ。

 ほのかに輝く透明な膜が大量に放出されクラゲのように意味も目的もなく空中を揺蕩っている。そしてすぐに割れて無に変える。

 シャボン玉を最後にしたのはいつのことだろうか。昔過ぎて思い出せない。

 もう一度液に筒をつけてシャボン玉を吹いた。

 もっと上に発射しようと思って上を向いて吹いたら

 液が口の中に入って少し口の中が洗剤の味になった。

 私はシャボン玉が柔らかい朝日を反射するようすをカメラに収めた。

 私はここで由香ちゃんに一緒に写真撮ろうよ。と言われたことを思い出した。

 写真を見ると、その時に戻りたくなって、

 今がとても乾いたものに感じてとても切ない。

 だからと言ってその写真を消去することなんて絶対にできない。

 永遠に私の枷になる。だから写真は私には荷が重い。

 ここにいても由香ちゃんのことが思い出される。

 もう一度自分に言い聞かせた。私は私ができることを最大限やったのだ。

 全て覚悟のうちだ。振り返るなよ。私は腰を上げて再び歩き出した。

 とはいっても目的なんてないからそのまま水生物園に入った。

 そして井の頭公園に自生しているらしいという淡水魚を見ていた。

 魚は幸福そうにも不幸そうにも見えない。

 私が目を合わせても魚は私を見ているのか見ていないのか全く分からない。

 だから気楽でよい。しかしそんな安寧はすぐになくなった。

 由香ちゃんの言葉がふと脳裏によぎる。

「わたし思ったんだけど、水族館で花梨に男だったら付き合いたいって言った後から花梨すこし変わっちゃったと思うんだけど。」

 変わったんじゃない。正気に戻れたんだ。あの時の私はなんか変だった。

 夢のような心地がして本気で由香ちゃんと付き合えるような気がしていた。

 もう少しで取り返しのつかないミスをするところだった。

 私は不覚にも涙が出そうになったので、やはり水生物園も後にした。

 私は目的もなく歩く。ずっと歩き続ける。

 イヤホンで大音量の音楽を聴くことで、記憶を散らしながら歩き続ける。

 わたしにはこれしかできない。


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