名前のつけなかった想い
(花梨の一人称)
変な夢を見た。
わたしは橋の手すりに両肘を置いてスマホを触っていた。
手を滑らせてわたしはスマホを池に落としてしまった。
急いで池に飛び込むと藻にまみれて緑に濁った池は思いのほか広くて大量のアロワナみたいな私の倍は大きい淡水魚で満ちていた。
わたしは魚の隙間を縫いながら深く潜っていき、池の底に落としたものを拾った。
(いつの間にか落としたのはスマホではなく、
ヘッドフォンということになっていたがわたしは当初の目的として疑いもなくそれを拾って安堵して、装着した)
池の底にはワニがカレイみたいに砂に埋まりながら
目だけをだして獲物を待っていたので、
わたしは注意深くワニを刺激しないようにゆっくりと泳ぎだし
再び巨大魚の隙間を縫いながら浮上していった。
ようやく池からでてみるとそこには唐突に警官がいてわたしは逮捕された。
よく見るとわたしは何も衣類をまとっていなかった。
そこらへんでわたしはぼんやりと覚醒した。
夢と覚醒の狭間でわたしは大いに落胆し、
ついに前科者になってしまったのかとしばらく考えた後に夢だと気が付いて安堵した。
時計を確認するといつもより1時間以上早く起きていた。
もう一度眠れそうにもない。
私は起き上がって学校の支度を始めた。
茄子の味噌汁と昨日の余りのハンバーグをレンジで温めて食べた。
きっと今日の弁当にもこのハンバーグが入っていることだろう。
家にいてもしょうがないので私は学校へ行くことにした。
6月上旬、読書してもよいけれど、期末テストがそう遠くはないので自習したっていい。
いつもより柔らかい6時の朝日を浴びながら私は電車に乗り学校へ向かう。
誰もいない教室は誰に見られるでもないのに朝日を反射して艶やかな箱になっていた。
電気をつけようと思ったけれど、しかしすぐに私は違和感を感じてやめにした。
私が最初に来た。
当然窓は閉め切ってある。
なのに一番奥の窓はカーテンが風で膨らんでいる。
ただの閉め忘れ?
違う。よく見ると膨らんでいたのは風のせいではなく、人が入っていたからだった。
そしてまた違和感を覚える。
人は二人入っている。そして向かい合っている。
そしてそれはどう考えても二人とも女の足だった。私は興味をそそられた。
なぜ二人はカーテンにくるまっているのか。
しかし私に確かめる術なんてない。
そう思った矢先、私はすでに除け者であることを思い出した。除け者が何したって、除け者であるしかないのだ。
私は足音を殺してカーテンの膨らみに忍び寄り、勢いよくカーテンをひん剥いた。
向かい合っていた二人の女はキスしていた。
背の高いほうが背の低い方を窓に押し付けながら。
その刹那二人は驚いた様子で体を離した。
「利宮さん!?」と小さいほうが言った。
私は二人の苗字もうろ覚えだが、彼女は知っているみたいだ。
「なんで!?」
私は返事せずにその場を立ち去って自席についた。
勉強する気が失せて私は本を取り出して開いたそのまま読み進めていると背後から声をかけられた。
「利宮さんも私たちと同じだったんだね。」
「なにが。」
「女の子を好きになるってこと。」
私は失笑だけで返事をした。
「橘由香ちゃんが好きなんだね。」
「馬鹿なの?何を見てたわけ?」
長身の毛先のはねたショートヘアの子が後ろから
丸みのあるボブヘアの小さい子を勢いよく抱きしめた。
むしろ締め付けるくらい強く。
「茉莉花はね。罵倒したりしていじめてあげるとすごい喜ぶんだ。」
「ちょっと!何言うの?」
と勝手にバラしたこと抗議しているけどその目は期待の目に光っている。
「恥ずかしいのも好きなくせに。」と言われていた。
確かにそうじゃないとカーテンの裏でなんてしないだろう。
「見た目ではひどいことをしてもそれが愛情表現なんてよくあることじゃん。」と長身に言われた。
「私は違う。拒絶だよ。あんまり馬鹿なことばっか言ってくるから。打ちのめしてやっただけ。」
「あなたは由香ちゃんのことをどう思ってるの。」
「うざい。バカらしくて、夢見がちで、勘違いばっかりしてきて、わからず屋。」
「すごい強い思いを持ってるんだね。」
「わかったような口聞くな。」
「わかるよ。私も最初は自分の気持ちがよくわからなくてずっと焼け付くような嫉妬ばかりしてなんでこんなに沙希を見ると嫌になるんだろうって思ってた。それを恋だと気づいたのは最近なんだ。」
「お前の身の上なんてどうでもいいから。」
「由香ちゃんはさ…」
「由香ちゃんって呼ばないで!」
私は何かに急きたてられるように机を叩いて大声を出してしまった。
「ごめん。」
教室に別の女の子二人組が入ってきた。
「どっか行って…。」
彼女らは退散したので本を開いたけれど全く頭には入ってこなかった。
好き、か。好きってなんだろう。
私は由香ちゃんに何を欲していたのだろう?何が嫌だったのだろう?
これ以上考えたらわかってしまいそうで怖い。
あいつらが余計なことを言うから。
本から顔を上げて二人を探す。しかしどこにいるのかわからない。
そう思った矢先、私は由香ちゃんと目が合った。
あの件があってから一度も目が合わなかったのに。
私は驚いてすぐに本に向き直った。
なにか彼女に変化があったのだろうか。
ゆっくり呼吸して心臓の鼓動を落ち着ける。
その日は強烈な思考のノイズで授業も本も曲も全く集中できなかった。
このままではまずい。私の生活に支障がでてしまう。
帰って一目散に湯を沸かして風呂に入る。
思考の雑念を洗い流すように念入りにかけ湯をして風呂に浸かった。
しばらく湯につかると心身ともに調和を取り戻してきた。
ここで一度しっかりこれまでしてきたことの目的を振り返ってみることにした。
はじめにしたのは朱里だ。
私は彼女に「友達と祭りに来てるかななんなの」と言われて、
そうか。友達として好いてもらうには限度があるんだと気づいた。
これ以上いくらやっても私をより好きになることはない。
そして出した答えが嫌われること。
彼女の人生に私の血のにじんだ爪をたてて、焼け付くような跡をつける。
朱里は私のことを考えざるを得ない。深く強く。ひょっとしたら一生。
私にはこれしかできない。
唯一の道として私の前に現れた。
好かれることとは違い、嫌われる深さには上限がないように思えた。
これが朱里にやったこと。
そして由香ちゃんにも同じことをした。
嫌われるために死力をつくす。そう思った時私はあることに気づいた。
嫌われるためには傷つける以外のアプローチもある。
逆に極度に接近すること。
拒絶反応を引き起こすくらい常軌を逸した接近をする。
彼氏を奪った私がキスやセックスの匂いがするほど、
ギリギリまでせまってくれば必ず拒絶を起こすはず。
そうだ。この時から歯車が狂い始めた。
私の目論見通りにはいかなかった。
最初こそ抵抗していたが、
彼女は段々と私を許容するような態度をとるようになっていった。
彼女は私を期待させるような顔をする。
私に好きって言ってくれた。
今は友達の好きだけどもしかしたらこの先。
彼女は私の想いは光を求めて箱を突き破ろうとする。
だめだ。あの時の二の舞だ。
むしろあの時より浮かされた分、落下した時のダメージは計り知れない。
私は急遽、大幅に舵を切った。彼女をこっぴどく打ちのめす方向に転換した。
私は寝る番になってもまだ由香ちゃんのことを考えていた。
どっとベッドに体を投げ出す。
馬鹿みたい。
由香ちゃんが私のことを思うためにしたことなのに、
私が由香ちゃんのことを考えてばっかり。
私は寝返りをうつ。由香ちゃんも私のことを考えていたりしてないかな。
その時私のめったに揺れない私のスマホがバイブレーションで机の上を動いた。
私はビーチフラッグのように飛び起きてスマホを確認した。
それは今朝やり取りをした二人のうちの小さいほう
(確か名前を茉莉花と言ったか。)からの通話を受信していた。
私はため息を吐いた。
由香ちゃんなわけないのに。
そのまま無視をした。しかしすぐもう一度電話がかかってきた。
すこし苛立ちを覚えていたがもう一度かかってくるかもしれないので電話を取った。
「いきなりごめんね。」と電話口が言う。
私は無言で返事をする。
「ちょっと相談してほしいことがあって。」
「私に相談することなんてないでしょ。」
「あのね。来週彼女の誕生日なんだけど、何あげればいいのかわかんなくって。」
「そんなこと友達に相談すればいいじゃん」
「友達には言ってないの。だから利宮さんにしか相談できなくて。」
「私にもわかんないよ。彼女なんてできたことないし。」
「でも一緒に話をするだけでも見えてくることもあるでしょ?だから利宮さんの考えを聞きたいの。」
「まず平沢(茉莉花)さんは何か目星つけてるの?」
「ちょっといいコスメとか、ハンドクリームとか、あって困らないものがいいかなって思ってる。」
私はあの長身のほうを想像した。
意図的にボーイッシュを目指している感じがあった。
私とはタイプが違いすぎてどんなコスメがいいのか見当がつかない。
「利宮さんはどう思う?」
「私は形に残るものがいいと思う。」
「例えば?」
「お揃いの…なんかとか」
「なんかって何よ」
私はスクールバッグについている由香ちゃんとお揃いのクラゲのストラップに目をやってから少し寂しい気分になった。
「ネックレスとか。」
「沙希ネックレスもらってよろこんでくれるかな。」
確かにお揃いとなると二人に似合うネックレスは難しいかもしれない。
「じゃあ腕時計とかは?」
「彼女が好きそうなもの探すのが難しいよ。それにおそろいってなると予算がきびしいし」
「彼女は何が好きなの。」
「それがよくわかんないんだ。部活一筋だから。」
「じゃあ私にはわかんないよ。もう電話きっていい?」
「だめだめ!一緒に考えて!」
私はスマホを少し離してため息をついた。
なぜ彼女のために私が考えないといけないのか。
「じゃあ彼女に直接聞きなよ。何が欲しいか。」
「それじゃあサプライズ感がなくなっちゃうよ。」
「いいじゃん。誕生日は彼女が好きなものを探すデートでもしてさ。ラッピングしてもらうときにこっそり店員に頼んで手紙でも入れてもらえばちょっとしたサプライズにはなるでしょ。」
「手紙!いいね!」彼女ははずんだ調子でそう言う。「参考にするよ!ありがとう。」
実際彼女がどうするかどうかはわからない。
私が言ったことが正解かもわからない。
でも彼女はすごく吹っ切れた感じがする。
一緒に話をするだけでも見えてくることがある、か。
「じゃあ電話切るね!」
たしかに解決する必要なんて必ずしもないのかもしれない。
きっと人間関係ってそういうものばかりだろうし。
「ちょっといい。私も少し聞いてほしい話があるんだけど。」
「何?いくらでも聞くよ!」彼女は謎に息巻いている。
「私にもわからないことだからあなたにわかるはずもないと思うんだけど聞いてくれる?」
「うん!」
「正直ね今日あんたに言われたこと図星だったんだ。すごく強い思いを持ってるねってやつ。確かに私は由香ちゃんにとても強い情念をもっているのは否定できない。」
「うん。」
「でもそれがなんなのか、どうぶつけていいのか。私にはよくわからない。」
「それは…」
「待って!解決してくれなくていいの。」
「そう。わかってるんだね。」と彼女は言った。
「でもこのもやもやを抱えていると私は自分自身すらままならない。」
「じゃあもう一度橘さんと話してみたらどう?」
「あんなことしたんだよ。もう話してくれないかもしれない。」
「それはしょうがないよ。それで傷ついたら電話してきてよ。話なら聞くからさ。」
「うん。ありがとう。ちょっと軽くなったかも。電話、切るね。」
「うん。こんな時間にかけてごめんね。おやすみ。」と彼女は言って電話を切った。
私は大きなため息を吐いてまたベッドにどっと倒れた。
そう。私はわからないんじゃない。わかりたくなかったんだ。
それに名前をつけるともう後戻りはできなくなってしまうから。
怖い。もうあんな思いはしたくない。
そんな考えをものともせずに箱の中で歪んだ形に成長していったそれはとっくにもう箱を破って顔を出していた。
この想いにちゃんとけりをつけなければいけない。
ちゃんと終わらせなければいけない。
じゃないと私はどこにもいけない。




