由香の追憶
(由香の一人称)
私は漫画が好きだ。
恋愛漫画もバトル漫画もギャグ漫画も全部好きだ。
「もう自分を偽らない。僕は君が好きだ。」
「私もあなたが好き。」
こうやって二人は幸せなキスをして漫画は終わった。
みんなみんな幸せそう。
バトル漫画の主人公は面白そうだしたまに妄想するけれど、現実には起こりえない。
ギャグ漫画は読んでる人を楽しませるものであって当事者になるものではない。
でも恋愛漫画はそれらより等身大でこんなこと自分の身にもおきるんじゃないかって本気で思って、あこがれてしまう。
私も恋をしたいな。
きっと私も制服を着るようになったら、《《誰かがきっと私のことを恋愛として好きになってくれて、私も誰かを好きになるんだろうな。》》
漠然とそう思いながら、小学校を過ごしていた。
中学になって制服に袖を通した。
私は割合男友達が多いほうだった。
バカやってる男子を一緒に笑って、バトル漫画の話で一緒に盛り上がった。
その日は放課後男子三人と談話していた。
「大倉と吉崎付き合ったらしいよ。」
「吉崎可愛いもんなあ」
私は胸を躍らせた。最近こういう色恋沙汰が多い。
私にも漫画で見たような幸せが訪れるような日も近いかもしれない。
「私も彼氏できないかな。誰か私を好きな人いないかな」と思わず漏らしてしまった。
周りの男子たちは花火に火をつけたみたいに笑い始めた。
「お前じゃ、無理だって!可愛くないし、なんか男っぽいし!」
私は平静を装って「絶対彼氏つくってやるから!そしたらお前ら謝れよ!」と言って私も笑ったけど、本当は私はその場から少しでも動いたら涙がこぼれそうなほど、涙腺に涙が溜まっていた。
その日の帰り道、私の頭の中には考えたくないことがぐるぐると回っていた。
なんで私は気付いていなかったんだろう。
私は少女漫画のヒロインみたいに可愛くない。可愛げもない。
恋愛漫画は等身大ってバカじゃないの。あの世界の幸せは私には届かない。
私はその日から髪の毛を伸ばし、高校に入るころには肩くらいまで伸びた。
誰かに可愛いって言ってもらえるんじゃないかって無駄な想いを胸に秘めて。
メイクは勉強するたびに画面の向こうの端整な人と鏡に写る私の骨ばった頬や武骨な鼻立ちを比べて落ち込んでしまう。
それに、メイクしたうえで男子にまた可愛くないって言われたら今度こそ心が折れてしまう。それがわかっていたのであまり積極的ではなかった。
恋愛のことを考えるのはもうよそう。という考えと、
高校に入ったら次こそチャンスがあるかもしれないと浮足だつ気持ちがせめぎ合った。
そして高校の制服に袖を通す。
そして彼女と会った。
利宮花梨。
彼女は教室で静かに本を読んでいた。
彼女は妖精のような小柄な可愛さで一枚の絵のように教室に溶け込んでいた。
私はいつも彼女を見ていた。いいな。羨ましいな。
こんな顔に生まれてきたらきっと幸せが手に入るのに。
漫画みたいな素敵な恋ができるのに。この子みたいになりたいな。
そして実際彼女はまだ学校に入学して3か月しかたってないのに3人から告白されたらしい。
いいな。羨ましいな。私も誰かに好きって言ってもらいたいな。
しかし不思議なことに彼女は私の思う幸せを突っぱね続けた。
誰とも付き合うことがなかったのだ。
今回の告白された相手に利宮さんが好きな人がいなかったのかも。
その時ふと思った。そうだ。漫画のキャラクターは必ず両想いになる。
そのためには誰かに好きになってもらうことと同じくらい私が誰かを好きになる必要がある。
そして自分の人生を振り返った。
私、誰かを好きになったことはあっただろうか。
私は現実の男たちに対しても、少女漫画の男たちに対しても好きになったことはなかった。
その時悟りのようにふっと体が軽くなる諦めを感じた。
私に恋は無理だ。
仮に誰かが私のことを好きになってくれたとしても、
肝心な私が誰かを好きになるってことがよくわからないんだもの。
8月の半ばに学校に宿泊する行事があった。
災害などが起きて泊まることを余儀なくされた場合に備えるということらしい。
その夜は非日常に浮足立つ少女たちがしゃべり続けた。
やがて、順番に好きなタイプの男の話をするというイベントが始まった。
私は困っていた。好きな男なんていない。適当なものをでっちあげようか。
順番は回り、利宮花梨の番になったとき、彼女は硬直していた。
長い沈黙が流れた。
しびれを切らした子が「あのー次に進めないんだけど」と言った。
私は思うところがあり、大きな声で沈黙に割り込んだ。
「順番じゃなくて挙手性にしようよ!」
「誰が挙手すんのよ!」と誰かが言ってまた他の誰かが
「言い出しっぺ!言い出しっぺ!」と言った。
「しょーがないなー髪の毛はすごく短くてー身長180㎝くらいでー3刀流でー」
「それだめでしょ!」と言われて一同が笑う。
「次私いいかな。」と挙手するものがでた。
「空回りするんだけど一途で、毎日電話してくれて」
「それ木乃美の彼氏じゃん!」という具合になり、花梨の件は有耶無耶になった。
私は気付いた。花梨も誰かを好きになるってことがよくわかんないんだ。
その晩が明けてグループに変化が生まれたり、
新たなグループができたりしていたが、私は花梨と友達になっていた。
「そうそう。私は橘って呼ぶ人と由香って呼ぶ人が半々くらいかな。」
「由香ちゃんは?」
「いないいない。ちゃん付けで呼ばれるような感じじゃないし。私。」
「じゃあ私は由香ちゃんって呼ばせて」
少し窺うような上目遣いで彼女はそう言った。
「いいけど」
「他の人に由香ちゃんって呼ばせちゃだめだよ」
と言って彼女はいたずらっ子みたいに歯を見せて笑った。
花梨は本当に可愛い。
いつも遠くから羨んでいた彼女が今、こうして私に笑いかけてくれる。
私はそれが嬉しくて、彼女みたいになりたいと思うこともなくなった。
彼女と一緒にお弁当を食べて、放課後は部活がない日は二人で長いこと話した。
「髪切ったんだね。」と言って花梨が私の髪の毛を梳くように指で撫でた。
「ちょっとね。よく気付いたね。」
「すごく可愛いよ」と言って彼女は私の髪の毛を撫で続ける。
「私は可愛くなんてないよ。ほんとに」
「なんでそんな自信ないの?由香ちゃんは可愛いのに。」
「中学の時さあ、私も彼氏ほしいみたいなこと言ったらさ、お前は可愛くないから無理って笑われちゃったよ」と言って私も笑い話をするように少し笑った。
しかし花梨は小さな口を大きく開けて異を唱えた。
「はあ?そいつらあり得ないんだけど!次そんなこと言うやついたら私に言って!殴ってやるから!」
「はは。たくましいね」
「由香ちゃんは本当に可愛いよ。」と言って、私が誰かに可愛いと言ってもらいたくて伸ばした髪の毛を撫で続けた。
嬉しくて、体の奥が少しジーンとした。
相変わらず彼女は告白され続け、振り続けた。
もしも花梨を彼女にすることができる男が現れたらそれはすごい羨ましいなとも思った。
花梨のこんな笑顔を恋人として一番間近で見られるんだもん。
私たちの関係が少し変わったのは2年になった時だ。
1年の時は花梨以外は広く浅い交流をしていた私だったが2年に上がって、
同じ部活で1番仲の良かったふみかと一緒のクラスになった。
そしてふみかと友達の莉緒ともすぐに仲良くなった。
三人で机を囲ってお弁当を食べていた。
いつまでたっても花梨が合流しないなと思って彼女をみたら一人で弁当を食べ進めていた。
花梨を含む4人で机を囲むにはまず毎回私が花梨を誘わなければいけない。
すると彼女は小さく返事をしてやってくる。
ふみかか莉緒がいるときは絶対私のもとへ来ることはなく、
2人がいないなら絶対に彼女はくる。
そして時は流れ5月の終わり、私は幼馴染でやはり同じクラスの悠斗に放課後呼び出された。
ちょっとした談話をした後に彼はこういった。
「最近みんな彼氏彼女いるな。」
「まあ私には縁がない世界だけどね」
「お互いに相手もいないことだし、付き合わないか?」と言われた。
こんなロマンの欠片もない告白だったが、
漫画は漫画、現実は現実。と見切りをつけており、
反動で現実のほうをかなり低く見積もっていた。きっとこんなものだ。と。
「うん。そうしようか。」と私は答えた。
彼は私のことが好きなのか。
それは聞かなかった。聞かなくてもわかった。
彼は彼女がいるという実績が欲しかった。
私は好きっていうものはもしかしたら付き合った後に起こるものかもしれない。
そう思った。両者の利害が一致して私たちは付き合うことになった。
私が焦がれていた恋人とは全く違ったけど。
私は喫茶店でサンドイッチを食べ終えて、手無知無沙汰なのでコーヒーをストローでかき混ぜていた。
「それで話って何?」
対面の席には花梨がいて、なぜかクリスマスの前の子供のように嬉しそうにニコニコしている。
「なんでそんな嬉しそうなの?」
「だって由香ちゃんが私だけを誘ってくれるなんて久しぶりだもん。だからすごく嬉しいの。」
「そっかあ。あのさ、花梨って悠斗知ってる?」
「うん。野球部の人だよね」
「私あいつの幼馴染なんだ。」
「そうなんだ。いいなあ幼馴染。」
そう言って彼女はブラックのアイスコーヒーを飲んだ。
「なんというか、あいつも私も全然モテないしさあ」
「うん」
「互いに相手いないことだし付き合おうってなった。」
「由香ちゃんが?」
「そういうこと。」
花梨はニコニコした顔のままだったが完全に石のように硬直した。
「なんで」と短い息のようにかすかに発した。
「なんでって告白されたんだもん」
「好きがなんなのかわかんないって言ったのに…」
彼女のニコニコ顔は徐々に溶けてきた。
「まあね。でも付き合ってからわかることもあるじゃん」
「そんなの変だよね。」
「それは二人の間の関係なんだから。花梨に変とか言われる筋合いはないよ」
「私は関係ないって?だから相談もしてくれなかったの?」
花梨の眉の間に皺がよってきて徐々に険しい表情になる。
「いやいや、一回待ってねって悠斗を止めて花梨に相談してから決めるって変でしょ」
「私は絶対由香ちゃんに相談してから決めるもん。薄情だよ!由香ちゃん」
彼女は震えだして怒りのボルテージがあがっていくのを感じた。
それに呼応して私も彼女の勝手さに怒りが湧いてきた。
「別に私は花梨に相談してほしいなんて思わない。付き合うくらい勝手にすればいい。私にも勝手にさせてよ!なんで素直に応援できないのかな」
「できないよ…応援なんて」と押し殺したような声を彼女は絞り出した。
「なんで応援できないの」
「私から由香ちゃんが離れていくのを応援しながら見送れっていうの?」
「何言ってるのかよくわからないよ。最近変だよ花梨。」
「私は変だよ。いや、由香ちゃんが変にしたんだよ。私言ってくるから!」と言って彼女は席を立とうとする。
「ちょっと!何を言ってくるの」
「悠斗って人にあなたじゃ由香ちゃんを幸せにできないって言ってくる!」
「いい加減にしてよ!」私は思わず大きな声が出た。
一瞬店の空気が止まったけれど、またすぐに動き出す。
「なんなの。付き合うって言っただけでこんな癇癪起こしてさ。最近は私がふみかとか莉緒といるだけで露骨に不機嫌になるしさあ。めんどくさい恋人みたいな振る舞いしないでよ。私たちただの友達でしょ」
花梨はボソッと「ただの友達…」と繰り返した。
彼女の表情筋はぷっつり切れて、目からはみるみる光が失われているのがわかる。
彼女は糸の切れた人形のようにどさっと力なく椅子に再び座った。
手がだらんとたれている。その異様さを息をのんで見ていたが彼女はフッと笑みをこぼした。
「ごめんね。私、うざかったよね。もうしないから。」
不吉な予兆を孕んでいた彼女を見ながら
「うん」と返事をするのが精いっぱいだった。
「幸せになれるといいね」と言っていつものように光溢れる笑顔で笑った。
それからの彼女は平静戻り、かつ積極的にふみかや莉緒がいてもその輪に入ってくるようになって、明るく笑っていた。
だから彼女は反省してくれたのだろうと思っていた。
しかしそれからすぐのことであった。
浮気って隠しているのがバレるんだと思っていた。
でも花梨と悠斗は示し合わせたかのように私たちの前に現れた。
まるでバレることが目的のひとつであるかのように。
「ごめんね。由香ちゃん。」私は合点した。
なぜ花梨はあんなにも私と悠斗が付き合うことに怒りをしめしていたのか。
花梨も悠斗のことが好きだったんだ。しかし今ならわかる。
花梨はずっとずっと私のほうを見ていた。嫌いとか憎いとか言われたな。
喧嘩したことや悠斗と付き合ったこと、まだ怒っているのかな。
やっぱり私のことが好きだったから…それは何度も否定されたんだよね。
私は頭を振って、花梨のことを考えるのはやめようと努めた。
あんなこと言われたんだ。明日はふみかと莉緒と遊びにいくんだから。
今いてくれる友達のことを大切にしなくちゃ。
しかし花梨、一昨日頬を腫らしてたな。
何があったんだろう。心配だ。私は我に帰ってまた思考を追い出す。
この作業を延々として一日を終えた。




