第3話「最終話」
そこまで話をして、夫はほっとしたように呟く。
――あの時、あれが一番しんどかった――。
そう言う夫に幸代は目を伏せた。
二人で生きた月日を思った。
滅私奉公、波乱に満ちた人生……。
高卒で役員まで登りつめ、人間ドックも無視して、世界を駆けめぐった。
でも、体調不良で受けた診断結果は、『余命数ヶ月』。
いったい会社は……。
今朝、東京駅で役員の見舞い、そして総務から付添い1名、でもその前に……と、幸代は言葉がない。
それでも、彼は彼なりに生きてきた……。
そう思うと、幸代は夫との『なりそめ』を思いだした。
「俺と結婚してくれ――」
そう叫んだ夫は、閉館した神戸タワーのフェンスに飛びついた。
それを見て幸代は、思わず叫んでいた。
「ちょっと! ここ、立ち入り禁止!」
「上まで登ったら、結婚してくれるのやろ?」
「さっき言ったのは、冗談よ!」
あの時の根岸の顔……忘れない。
あの喜びよう……あの姿に私は惹きつけられた。
でも、出世して夫は変わった。
寝ても覚めても仕事・売上・組織と追われた。
いったい会社ってなんなの……と思うと、悔しかった。
もう幸代は、夫の手を握るしかなかった。
「あなたは、もう独りじゃないわよ――」
そう言うと、夫はかすかに微笑んだ。
新幹線は速度を落とし、トンネルへ……。
ドアの外に人の気配……
その慌ただしさに幸代は、このままトンネルを抜けないで……
と願う。
だが列車は確実に新神戸駅へ。
「あなた神戸ですよ、一緒に家へ帰りますよ」
仕方なくそう言うと、夫の手を握りなおす。
それが今、幸代に出来る全てだった。
列車の窓が明るくなり、夫の顔が華やぐ。
そこに穏やかな笑みが浮かんでいた。
その時――トントンとドアを叩く音が響く。
総務の人であろう、短い旅の終わりだった。
(了)
ここまでお読み下さり、誠にありがとうございました。
船木拝