第2話「生きた羊、灼熱の埠頭へ」
1970年、神戸港。
世界の船へ物資を届ける“クーリエ”として働いていた男が、ある日言い渡された特別な荷――「生きた羊」。
汗と記憶が入り混じる、ひと夏の出来事をお届けします。
夫は根岸謙・五十四歳。
妻は幸代・四十九歳。
結婚してあっという間の三十年、今から思えば、それこそ目まぐるしい人生だった。
若き日の根岸は、シップチャンドラーで働いていた。
神戸港へ入る世界の船に、食料から船用品まで、拳銃と女以外なんでも扱う会社で、現業の営業だった。
夫の仕事はクーリエと呼び、早い話が苦力、いわゆる人足である。
だがそれは生半可な仕事ではなく、それこそ重い荷を担いで、洋上の船へ物を納めるのである。
それは『千九百七十年のこんにちは――』と、大阪万博の歌が流れた年のこと。
8月末のある日、それはもう暑い日だった。
いつも通り根岸が会社の朝礼に出ると、この日に限って支店長代理の差配だった。
嫌な予感を抱きつつ、根岸は納品書をもらう。
だがそこに書かれた品はたった一つ。
(『Live Sheep』 ……って、なんや、生きた羊?)
そこで頭を捻る根岸に、支店長代理が有無を言わさず煽る。
「根岸、ブツはこの牧場で取って麻耶へ走れ。出港は午後2時、いいなっ!」
そう言ってメモを渡すと、彼は事務所へ消えた。
支店長は出張で、代理はいけ好かない男だった。
根岸は黙って倉庫へ走る。
高床式の床一面に、所狭しと船用品が並ぶ中、そこを通って駐車場へ行くと、小型トラックに乗った。
普段なら注文品を点検し、同僚と摘みこむのだが、この日は一人で六甲の牧場へ向かう。
(あの支店長代理、今に見とれよ――)
その一心で車を走らせた。
東六甲まで約十五分、更に坂を登って有馬へ十分程。
(この道は、いつか幸代を乗せて走った……)
そんな思いに鼻の下を伸ばしつつ、やはり根岸は『生きた羊』が気にかかる。
あとから思えば、それが嫌な予兆の始まりだった。
午前十時、外気温が三十度を越える中、牧場の人の手を借り、羊を荷台に乗せる。
重さ十五キロだと言う。
(これを担ぐのか!)と思いながら羊を見ると、荷台の上で「メエー」と啼く。
その姿に、根岸は複雑だった。
箕谷までは順調だったが、トンネルが渋滞、遅々として進まない。
ラジオから正午の時報が響く。
荷台を見れば、燦々と直射日光が照らす。
それでも羊は「メー」と啼いていた。
税関で通関を済ませ、午後1時半、根岸は休むことなく、摩耶埠頭へ突っ走る。
だが岸壁に着くと、船は舷梯を片づけている。
「 Live sheep is here sir! 」
と叫んで、根岸は荷台へ。
だがそこで凍りついた。
羊は倒れて口から泡を――。
(なんてこった――)
頭上からは囃す船員の声――
根岸は慌てて羊の口の泡を拭い、体を揺すった。
「おい生きろ、あともうすこしや――」
と言って根岸は、エイヤーと羊を担ぎ、荷台から降りようとした。
その時、首にあたる羊の腹から、微かな鼓動が伝わった。
そこで一気呵成、必死で舷梯を登ると、甲板に羊を下ろす。
そこで船長が羊の腹に手を……。
「Oh ――、still …… alive ――」
その途端、船員から喝采――と、
甲板に横たわった羊が、「メエー」と……。
(つづく)
「Live sheep」と書かれた伝票。
それは、根岸にとって人生で一度きりの"生きた荷物"だった。
次回、羊がもたらす小さな騒動が、さらに物語を動かしていきます。
お楽しみに!