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短編

私が悪役令嬢になったのには理由があります〜それを見抜いたのは氷の公爵だけでした〜

作者: 九葉

真っ黒な闇の中、私は必死に走っていた。「追放だ!」「恥知らずめ!」と背後から投げつけられる言葉が鋭い矢のように背中に突き刺さる。振り返ると、エドワード王子が冷たい笑みを浮かべ、私を指さしていた——


「お嬢様!お嬢様!大丈夫ですか?」


マリアンヌの声で目が覚めた。寝汗で寝間着が肌に張り付いている。また、あの悪夢だ。


「マリアンヌ……ごめんなさい。大声を出してしまったかしら」


私は額の汗を拭いながら言った。窓から差し込む朝日が、部屋の中を柔らかく照らしている。


「お嬢様、最近よくうなされていますね。何かご心配事でも?」


マリアンヌは心配そうな眼差しで私を見つめる。彼女は私の侍女であり、幼なじみだ。それに、この世界での私の変化に気づいている数少ない理解者でもある。


「大丈夫よ、ただの悪夢……いいえ、予知夢かもしれないわね」


ベッドから降りて窓際に立ち、朝の風を感じる。丘の上に聳え立つローズマリー家の館からは、王都の美しい景色が一望できる。


私の名前はエリシア・ローズマリー。四大公爵家の一つ、ローズマリー家の一人娘で、第三王子エドワードの婚約者。でも実は、これが「本当の私」ではない。


前世の私は、平凡なOLだった。恋愛小説と乙女ゲームが好きで、特に「薔薇と氷の公爵」というゲームにはまっていた。そんな私が過労死した後、目を覚ましたのがこの世界——しかも、あのゲームの世界で「悪役令嬢」と呼ばれる存在に転生していたのだ。


「マリアンヌ、今日の予定を教えて」


「はい。午前中は魔法アカデミーの授業で、午後は年次会議の準備です。明日は四大公爵家が一堂に会する年次会議がありますので」


年次会議——そこには「彼」も来るのだ。私の心臓が少し早く鼓動する。


鏡の前に立ち、長い金髪を丁寧にブラシでとかす。エメラルドグリーンの瞳が自分自身を見つめ返してくる。これが今の私の姿だ。外見は美しいが、ゲームの中では傲慢で意地悪な「悪役令嬢」とされている存在。


ゲームのストーリーでは、平民出身の特待生ソフィアが主人公となり、私の婚約者であるエドワード王子と恋に落ちる。そして私はその邪魔をして、最終的に婚約破棄され、追放される運命だった。


「そんな結末、迎えるわけにはいかないわ」


私は心の中で決意を新たにする。


魔法アカデミーへ向かう馬車の中で、私は窓の外を眺めながら考えを整理していた。転生して気づいたのは、このエドワード王子が表向きは優しいが、実は打算的で権力に執着している人物だということ。彼が本当に狙っているのは、私の家の財産と地位だ。そしてソフィアは純粋で善良な少女で、エドワードの魔の手から守らなければならない。


だから私は「高飛車な悪役令嬢」を演じている。エドワードにソフィアへの関心を向けさせないように、そして周囲の目から彼女を守るために。


馬車が魔法アカデミーに到着した。大理石の柱が立ち並ぶ荘厳な建物だ。私はいつものように顎を上げ、堂々とした足取りで歩き始める。


「おはようございます、エリシア様」


すれ違う生徒たちが恐る恐る挨拶をしてくる。私は冷たく頷くだけで返す。この「演技」がどれほど辛いか、誰も知らない。


廊下の先で、銀色の長い髪をなびかせたソフィアとすれ違った。彼女の純粋な青い瞳が一瞬、私を見つめる。


「どけなさい、平民」


私は冷たく言い放ち、彼女の肩を少しだけ押した。周囲からは小さなざわめきが起こる。


「す、すみません、エリシア様」


ソフィアは小さく頭を下げて脇によける。彼女の瞳に、恐怖ではなく、疑問の色が浮かんでいることに少し安心する。彼女は私の冷たさの奥にある真意を、うっすらと感じているのかもしれない。


授業が終わり、自室に戻った私は、ベッドに倒れ込んだ。


「はぁ……疲れた。いつまでこの演技を続けないといけないのかしら」


ノックの音がして、マリアンヌが紅茶を持って入ってきた。


「お疲れ様でした、お嬢様。今日も立派な『悪役令嬢』ぶりでしたね」


彼女は少し皮肉を込めて言う。彼女だけが、転生後の私の変化に気づき、本当の私を知っている。


「マリアンヌ、明日の年次会議が不安で仕方ないの」


紅茶を一口飲み、温かさが体に広がる。


「四大公爵が揃うんでしょう?」


「ええ。特に『氷の公爵』カイル・フロストハートが怖いわ。噂では誰にも感情を見せない冷酷な人だって……」


「でも、お嬢様が一番気になるのは、彼でしょう?」


マリアンヌの鋭い指摘に、思わず顔が熱くなる。


「な、何を言うの!ただ警戒しているだけよ!」


彼女はクスリと笑い、「そうですか」と言うだけだった。


窓から見える夕焼けに、明日への不安と、少しだけの期待が胸に広がるのを感じた。




翌日、魔法アカデミーの大広間は厳かな雰囲気に包まれていた。高い天井から降り注ぐ光が、床の大理石を輝かせている。部屋の四隅には四大公爵家の紋章が掲げられ、私たちローズマリー家の「薔薇の杖」も誇らしげに飾られていた。


私は背筋を伸ばし、高貴な佇まいで自分の席へと向かう。周囲からの視線を感じるが、それに動じないよう心がける。それが「エリシア・ローズマリー」という役を演じる上での鉄則だから。


大広間の扉が開き、静寂が訪れる。


「フロストハート公爵、カイル・フロストハート様のご到着です」


声が大広間に響き渡った瞬間、空気が凍りつくように感じた。


彼が入ってきた。


銀の髪が光を反射して輝き、整った顔立ちは彫刻のよう。そして何より、その碧眼の冷たさが印象的だった。「氷の公爵」の名にふさわしい佇まい。カイル・フロストハートは、感情を一切表に出さない表情で周囲を見渡した。


そして、彼の視線が私に止まる。


一瞬、心臓が止まるかと思った。彼の目が、まるで私の演技を見透かすかのように鋭く私を捉えている。私は反射的に顎を上げ、高慢な視線を返した。


会議が始まり、王国の政策や魔法アカデミーの運営について議論が交わされる。私はほとんど口を挟まず、ただ「高貴な令嬢」の役を演じていた。時折、カイルの視線を感じて緊張する。


「では、次の議題に移りましょう」


議長役の教授の声で注意が戻る。


「今年の特待生、ソフィア・ブライト嬢の処遇について」


その名前に、私の神経が一気に張りつめた。同時に、私の婚約者であるエドワード王子が身を乗り出すのが見えた。


「彼女の光の魔力は稀に見る才能です。特別な指導が必要かと」


教授の言葉に、エドワード王子が立ち上がった。


「私が個人的に指導しましょう。彼女の才能は王国の宝です」


その甘い言葉の裏にある下心が見え透いて、胸がむかついた。でも、「エリシア」としては怒らなければならない。


「まぁ!エドワード王子、そんな平民に時間を使うおつもりなの?」


私は立ち上がり、周囲に聞こえるように声を上げた。会場がざわめく。


「エリシア、彼女は単なる平民ではなく、才能ある生徒だ。もっと寛容になるべきだよ」


エドワードは優しく諭すような口調で言った。傍から見れば、私が意地悪で彼が紳士に見えるだろう。完璧な演出だ。


「失礼ね!」


私は憤慨したふりをして席を立った。心の中では「演技成功」と安堵しているのに、目に涙が浮かんでくる。この矛盾した感情が、私を追い詰めていく。


会議後の茶会。私は庭園の片隅で一人、紅茶を飲んでいた。ここなら誰も近づかないだろうと思っていたのに。


「一人で何をしている?」


低く、しかし通る声に驚いて振り返ると、カイル・フロストハートが立っていた。近くで見ると、彼の目は思っていたより深みがあり、単なる冷たさだけではない何かを秘めているようだった。


「フロストハート公爵…」


言葉に詰まる私を見て、彼はテーブルの向かいに座った。


「なぜそんな演技を続ける?」


突然の質問に、茶杯を取り落としそうになった。


「え?何のことかしら?演技なんてしていないわ」


私は動揺を隠すように、強がった口調で返した。


「本当のエリシア・ローズマリーを知っている」


彼の言葉に、心臓が早鐘を打ち始めた。


「あなたは私のことなど知らないわ」


「覚えていないのか?」彼の表情が少し柔らかくなる。「10年前、森の中で出会った少女を」


10年前——私の記憶が急に呼び覚まされた。転生前の記憶ではなく、この世界でのほんの数少ない幼少期の記憶。ある日、一人で森に迷い込んだとき、悲しそうな表情で木の下に座っていた少年。銀色の髪を持つ、孤独な少年。


「あの時の……少年が、あなた?」


彼はわずかに頷いた。


「君は私に微笑みかけ、迷子だと言った。でも私が泣いていることに気づくと、自分の問題は置いて、ずっと私に付き添ってくれた」


その言葉に、記憶が鮮明によみがえる。両親を亡くしたばかりだと泣く彼を、私は慰めようとした。小さな花の冠を作って彼の頭に乗せ、「王子様みたい」と言ったら、彼は少し照れたように笑った。


「あの時の君は、今とは違った。純粋で、優しくて……」


「……」


言葉に詰まる私を見て、彼は立ち上がった。


「本当の自分を取り戻せ。その仮面は、君を苦しめるだけだ」


そう言い残して、彼は去っていった。私は呆然と彼の背中を見送った。


その夜、部屋に戻ると、エドワード王子からの手紙が届いていた。「ソフィアとの件について説明してほしい」という内容だ。要するに、もっと彼女に近づきたいから邪魔をするなということだろう。


「マリアンヌ、どうしたらいいと思う?」


私は手紙を見せながら尋ねた。


「まずは王子様の本当の意図を確かめるべきでしょうね。証拠があれば…」


「そうね、彼の行動を調査してみましょう」


翌日の夕方、私は偶然を装ってアカデミーの庭園を散歩していた。すると、噴水の近くでカイルの姿を見つけた。彼は一人で本を読んでいる。


少し勇気を出して近づいた。


「こんにちは、フロストハート公爵」


彼は顔を上げ、私を見た。昨日よりは少し柔らかい表情だ。


「やあ、エリシア」


「昨日は……突然失礼なことを言ってごめんなさい」


少し心を開いてみよう、そう決めた私は、素直に謝った。


「気にするな」彼は本を閉じ、「座るか?」と隣を示した。


緊張しながらも、私は彼の隣に座った。初めて二人きりで、「演技」をせずに話す。それだけで胸が軽くなる気がした。


「エドワード王子とは、幼い頃からの婚約なのよね」


私は話題を切り出した。


「ああ。政略結婚だ」


「彼のこと、信頼している?」


「……」少し考えた後、彼は慎重に言葉を選ぶように答えた。「婚約者は信用できるのか?自分の目で確かめるといい」


その言葉には警告が含まれていることを感じた。


「何か知っているの?」


彼は立ち上がり、「気をつけろ」と言って去っていった。背中が遠ざかっていくのを見ながら、私は考え込んだ。彼は何かを知っているようだけど、まだすべてを教えてくれるつもりはない。信頼を得るには、まず私から心を開く必要があるのかもしれない。


マリアンヌの調査によると、エドワード王子は近々王族専用の庭園でソフィアと会う約束をしているという。その日、私は茂みに隠れて二人の会話を聞くことにした。


風が冷たく頬を撫でる。身を縮めながら待っていると、エドワードとソフィアが現れた。


「ソフィア、君の才能は素晴らしい。もっと伸ばすべきだよ」


エドワードは甘い声で言った。


「ありがとうございます、王子様。でも、私はただの平民で…」


「そんなことはない。君は特別だ。エリシアのような人に邪魔されるべきではない」


その言葉に、胸が締め付けられた。


「エリシア様が危険だと?どうしてですか?」


ソフィアは疑問を呈している。彼女は誰かを疑うことを知らない、純粋な子だ。


「彼女は君のような才能ある者を妬み、潰そうとする。気をつけないといけない」


エドワードが嘘を重ねる。私は歯を食いしばった。


「でも…エリシア様は確かに冷たいですが、実際に私を傷つけたことはないんです。むしろ…」


「むしろ?」


「いえ、何でもありません」


彼女は何かを隠しているようだった。私が密かに彼女を守っていることに、気づいているのだろうか。


二人の会話を聞き終わり、私は静かに立ち去った。エドワードは明らかに私を陥れようとしている。でも、ソフィアはまだ彼を完全には信じていない。それが救いだった。




翌日のアカデミーの魔法実習。私たちは強力な魔法を扱う特別授業を受けていた。天井まで届く大きな窓からは陽光が差し込み、練習用の魔法陣が床に描かれている。


「今日は風の魔法と火の魔法を組み合わせる実験です」


教授の説明に、生徒たちが興味津々で聞き入っている。風と火の組み合わせは扱いが難しく、危険だ。少しでも魔力のコントロールを誤れば、爆発を起こしかねない。


エドワード王子はソフィアの隣に立ち、優しく教えている様子。彼女は緊張した表情でうなずいている。


「エリシア様も頑張ってくださいね」


後ろから声をかけられて振り返ると、アカデミーの同級生たちが期待の眼差しを向けてきた。私のローズマリー家は魔法の名門とされている。そのプレッシャーも、「悪役令嬢」の仮面を被る理由の一つだ。


「ええ、当然よ」


高飛車に答えながらも、内心では「平均的な魔力しかない」という不安が渦巻いていた。


実習が始まり、各自が魔法陣の上で練習を始める。私は集中して魔力を操り、風と火の魔法を少しずつ形にしていく。難しいけれど、何とか形になってきた。


その時、悲鳴が聞こえた。


振り向くと、ソフィアの魔法陣が制御不能になり、炎が渦を巻いて暴走している。エドワード王子は彼女から離れ、安全な場所に退避していた。卑怯者!


「危ない!」


咄嗟に私は走り出していた。ソフィアは魔法陣の中心で立ち尽くし、恐怖で動けなくなっている。周囲は混乱し、誰も彼女を助けようとしない。


「しっかりして、ソフィア!」


私は魔法陣の外から風の魔法を使い、炎を押さえ込もうとした。しかし火の勢いが強すぎる。


「うっ!」


炎の一部が私の腕に当たり、痛みが走る。でも、諦めるわけにはいかない。


「ご、ごめんなさい、エリシア様…!」


ソフィアが涙目で叫ぶ。


「動かないで!今助けるから!」


私は両手を広げ、全ての魔力を込めた魔法を放った。


その瞬間、別の強力な魔法が横から放たれ、私の魔法と合わさって炎を完全に鎮めた。視線を向けると、そこにはカイル・フロストハートが立っていた。彼の氷の魔法が炎を完全に封じ込めていた。


「大丈夫か?」


彼は私とソフィアに向かって尋ねた。ソフィアが小さくうなずく。


「ありがとう…助けてくれて」


私は腕の痛みを堪えながら言った。彼は私の腕の傷に気づき、眉をひそめた。


「すぐに手当てが必要だ。来い」


そう言って彼は私の手を取り、保健室へと向かった。振り返ると、エドワード王子が不機嫌そうな表情で見ていた。ソフィアは心配そうな顔で私を見送っている。


保健室に着くと、看護師が不在だった。カイルは迷わず薬棚から薬と包帯を取り出した。


「袖をまくって」


彼の指示に従い、私は袖をまくり上げた。腕には赤い火傷の跡が残っている。


「痛い?」


「ちょっとね…」


彼は無言で薬を塗り始めた。その指先は意外に優しく、丁寧だ。


「なぜソフィアを助けた?」彼は突然尋ねた。「彼女は君のライバルのはずだ」


その鋭い目に見つめられ、言い訳する気力が湧かなかった。


「だって…見捨てられないじゃない。危険な時に助けるのは当たり前でしょ?」


「ふん」彼はわずかに笑ったように見えた。「本当のあなたを知っているから」


彼の言葉に、胸がじんわりと温かくなる。本当の私を見てくれる人がいる。その安心感で、言葉が溢れた。


「私、実は…この世界のことを知っているの。エドワード王子が何を企んでいるかも…未来がどうなるかも…」


言い過ぎた。慌てて口を閉じる。


カイルは包帯を巻きながら黙っていたが、やがて静かに言った。


「いつか、すべてを話してくれるか?」


その目には強制ではなく、理解があった。私はわずかに頷いた。


「ありがとう、カイル…公爵」


「カイルでいい」


彼は包帯を結び、立ち上がった。不思議と、彼の側にいると安心する。保健室の窓から差し込む光が、彼の銀髪を一層輝かせていた。


その夜、マリアンヌが緊急の報告を持ってきた。


「お嬢様、大変です!エドワード王子が婚約破棄の準備を進めているという情報が…」


「何ですって!?」


私は驚いて立ち上がった。予想はしていたけれど、こんなに早く動き出すとは。


「しかも、ローズマリー家の資産を不正に流用したという偽の証拠を用意しているようです」


「なんてこと…」私は座り込んだ。「証拠は?」


「まだ確認できていませんが、近々王宮での晩餐会があるそうです。そこで公表する計画かと」


晩餐会——そこで私の運命が決まる。そう思うと、手が震えた。


翌朝、予想通り王宮からの晩餐会の招待状が届いた。一週間後に開催される正式な宮廷晩餐会だ。これがゲームでの運命の日——婚約破棄と追放の日になるのか。


「マリアンヌ、カイル公爵に会いたいの。すぐに連絡を」


私は決意した。彼に全てを打ち明け、助けを求めよう。もう一人では戦えない。


その日の午後、カイルは私の招待に応じてローズマリー家の屋敷を訪れた。彼を書斎に案内し、二人きりになると、私は全てを話し始めた。


「信じられないと思うけど、私は別の世界から来たの。前世の記憶を持っているわ」


彼は黙って聞いていた。


「この世界は、前世で私が知っていたゲームの世界なの。そこでは、私は『悪役令嬢』として、最終的に婚約破棄され、追放される運命だった」


「それで高慢な演技をしていたのか」


「ええ。でも本当は、ソフィアを守りたかったの。エドワード王子が彼女を利用して、私を追い落とそうとしているって気づいたから」


私の話が終わると、カイルは窓辺に立ち、外を見つめていた。長い沈黙の後、彼は振り返った。


「信じるよ」


その言葉にほっとして、涙が溢れそうになる。


「エドワードの計画は把握している。彼は王位継承権を確実にするため、君の家の力を利用しようとしていた。だが君が言うように、今は君を追い落とそうとしている」


「晩餐会で婚約破棄を宣言する気なのね…」


「俺が力になる」彼はきっぱりと言った。「証拠を集め、彼の陰謀を暴こう」


「どうしてそこまで協力してくれるの?」


その問いに、彼は少し困ったように目をそらした。珍しい表情だ。


「大切な人を守りたいだけだ」


その言葉に、胸がキュッと締め付けられた。「大切な人」——それは私?


「作戦を立てよう」彼は話題を変えるように言った。「晩餐会までに、エドワードの陰謀の証拠を集める」


二人で晩餐会での立ち回りを相談した。彼の冷静な分析と的確な判断に、少しずつ希望が湧いてきた。


「エドワードの側近から情報を引き出す必要がある」


「それなら、マリアンヌの情報網が使えるわ」


話し合いながら、徐々に二人の距離が縮まっていく感覚があった。時折、彼が見せる優しい表情に心が震える。彼は本当は冷たくなんかない。むしろ、誰よりも熱い心を持っている人なのだと確信した。


「カイル、あなたはいつから私のことを…」


言葉に詰まる私を見て、彼は少し柔らかな表情になった。


「子供の頃から、君は違っていた。周りの貴族の子とは違う優しさがあった。それが消えたと思っていたが、実は隠していただけだったんだな」


「ええ…」


「本当の自分を取り戻せ、エリシア」


彼の言葉に、胸が熱くなった。もう仮面はいらない。晩餐会で、すべてを明らかにして、本当の自分で生きていこう。




晩餐会の日、王宮は豪華な装飾で彩られていた。シャンデリアの明かりが大理石の床に反射し、宝石をちりばめたような輝きを放っている。貴族たちは美しいドレスや正装に身を包み、優雅に会話を交わしていた。


私は深紅のドレスを纏い、緊張しながらも堂々と入場した。髪には、実家の庭で摘んだ小さな薔薇を飾っていた。今夜、すべてが決まる。


「エリシア!美しいよ」


エドワード王子が笑顔で近づいてきた。その表情の裏に潜む打算を見抜けるようになった私は、もはや彼の甘い言葉に惑わされない。


「ありがとう、エドワード王子」


私は冷静に応じた。彼の目が少し狭まる。いつもの「エリシア」なら、もっと喜び、甘えた態度を取るはずだ。


「今夜は特別な発表があるんだ。楽しみにしていてくれ」


その言葉に、背筋に冷たいものが走った。でも、もう恐れてはいない。カイルと立てた作戦がある。


会場の反対側に彼の姿を見つけた。漆黒の正装に身を包み、より一層格式高く見えるカイル。彼と目が合い、わずかに頷き合う。


晩餐会が始まり、豪華な料理が並ぶ中、私は席に着いた。エドワードは王族の席にいる。ソフィアも招待されており、少し緊張した様子で席に着いている。


食事が進み、デザートが出される頃。エドワード王子が立ち上がった。会場が静まり返る。


「皆さん、今宵は特別な発表があります」


彼の声が広間に響く。私は深呼吸して心を落ち着かせた。


「本日、私はエリシア・ローズマリーとの婚約を破棄することを宣言します」


予想していたとはいえ、公の場で言われると胸が痛んだ。会場からはざわめきが起こり、驚きの声や、中には「やっぱり」と言う声も聞こえる。


「理由は二つあります」エドワードは続けた。「一つは、彼女が平民への虐待行為を繰り返していること。特にアカデミーの特待生ソフィア・ブライトへの仕打ちは目に余るものがありました」


エドワードはソフィアに向かって手を伸ばした。「ソフィア、証言してくれないか?」


ソフィアは立ち上がり、困惑した表情で周囲を見回した。


「わ、私は…確かにエリシア様は時に冷たい態度を取ることはありますが…」彼女は言葉を選びながら話す。「でも、実際に私を傷つけたことはありません。むしろ…」


「むしろ?」エドワードが詰め寄る。


「先日の魔法実習で、私が危険な状況に陥った時、真っ先に助けてくれたのはエリシア様でした」


その言葉に会場がざわついた。エドワードは表情を崩さないよう努めながらも、明らかに動揺している。


「それは表向きだけだ。もう一つの理由がある」彼は声を張り上げた。「エリシア・ローズマリーはローズマリー家の資産を私的に流用している。これが証拠だ」


侍従が持ってきた書類を掲げる。会場の空気が重くなる。これが私の「追放」への布石だ。


心臓が早鐘を打つ。でも、まだ終わりじゃない。カイルとの作戦通りに——


「その証拠は偽造されたものだ」


力強い声が会場に響いた。カイル・フロストハートが中央へと歩み出る。彼の存在感に、会場が完全に静まり返った。


「フロストハート公爵、これは王家の問題です」エドワードは焦りを隠しきれない。


「王国の四大公爵の一人として、この不正義を看過するわけにはいかない」カイルは冷静に言った。彼の側近が新たな書類を持ってきた。


「これが本当の証拠だ」


カイルが示した書類には、エドワードが王位継承権を確実にするためにローズマリー家を取り込もうとしていたこと、そして私を追い落とすために偽の証拠を作成した記録が含まれていた。


「これは…!」エドワードの顔が青ざめる。


「さらに」カイルは続けた。「魔法実習での事故も、実は王子の仕業だった証拠もある。ソフィア・ブライト嬢を危険にさらしたのは他ならぬあなただ」


ソフィアが驚いて立ち上がる。「本当ですか?王子様…」


「違う!それは誤解だ!」エドワードは必死に否定した。


ここぞとばかりに、私も立ち上がった。


「エドワード王子、あなたは初めから私の財産と地位だけを狙っていたのね。私を追い落とすために、ソフィアまで利用して…」


「黙れ!」


エドワードの怒りの叫びと共に、魔法の光が閃いた。彼が私に向かって攻撃魔法を放ったのだ!


その瞬間、カイルが私の前に飛び出し、氷の盾を展開。同時に、私も反射的に風の魔法を放った。二人の魔法が見事に調和し、エドワードの攻撃を跳ね返す。


跳ね返された魔法がシャンデリアを直撃し、小さな爆発が起きた。貴族たちが悲鳴を上げる中、エドワードの本性が皆の前にさらけ出された瞬間だった。


「やめなさい!」


厳かな声が響き、王と王妃が入場してきた。彼らは全てを見ていたのだ。


「エドワード、これはどういうことだ」王の声は怒りに震えていた。


「父上、これは誤解です!」


「黙りなさい」王妃が冷たく言った。「証拠は明白です」


王と王妃はカイルの提出した証拠を確認し、深くため息をついた。


「エドワード、お前は反省のため、北の城砦に移るよう命じる。そして、エリシア・ローズマリー、不当な扱いをして申し訳ない」


王の言葉に、会場がどよめいた。


「婚約破棄は認めるが、あなたの名誉は守られる。エドワードこそが処罰の対象となる」


緊張から解放され、私の足から力が抜けた。カイルが私を支える。


「終わったよ、エリシア」


彼の声に、堪えていた感情が爆発した。涙があふれ出し、震える声で言った。


「ありがとう…あなたがいなければ…」


言葉にならない感情が溢れる中、カイルは周囲の視線など気にせず、私を抱きしめた。


「ずっと見守ってきた」彼の声は周囲に聞こえるほど大きかった。「子供の頃から、君だけを」


その言葉に、会場からは驚きの声と共に、温かい拍手が沸き起こった。ソフィアも涙目で拍手している。


エドワードは王の護衛に連れられて退場し、晩餐会は思わぬ形で幕を閉じた。危機は去り、新しい始まりを予感させる夜となった。




事件から1週間後、ローズマリー家の庭園は春の陽光に包まれていた。バラの香りが風に乗って辺りに広がり、小鳥のさえずりが心地よい。


私はパーゴラの下でティーテーブルを準備していた。今日は特別な日。カイルが訪ねてくるのだ。


「お嬢様、お茶の準備ができました」マリアンヌが微笑みながら紅茶を運んでくる。


「ありがとう、マリアンヌ」


「緊張されていますね」彼女はクスリと笑った。


「そんなことないわ!」顔が熱くなるのを感じる。「ただの…お礼のお茶会よ」


「もちろんです」彼女は意味深に言った。「では、お二人の時間をお邪魔しませんね」


マリアンヌが去った後、庭園の門が開く音がした。カイルが現れる。いつもの正装ではなく、少しカジュアルな装いだ。それでも彼の気品は変わらない。


「やあ、エリシア」


彼の声を聞くだけで、胸が躍る。


「ようこそ、カイル」


彼がテーブルに着くと、私は紅茶を注いだ。手が少し震える。


「どう?事件の後の生活は」


「まだ周囲の視線は感じるけど、前より楽になったわ。『悪役令嬢』の仮面を脱ぎ捨てて、本当の自分でいられるから」


「それは良かった」彼はわずかに微笑んだ。


私たちはしばらく穏やかな会話を交わした。アカデミーのこと、王宮の様子、エドワードの処遇など。彼は北の城砦で反省の日々を送っているという。


話しているうちに、少しずつ勇気が湧いてきた。今、全てを話すべき時だ。


「カイル、あのね…」私は一度深呼吸して言った。「前世の記憶について、もっと詳しく話したいの」


彼は真剣な表情で頷いた。


「私は本当に別の世界から来たの。そこでは『薔薇と氷の公爵』というゲームがあって…」


前世での記憶、このゲームの世界のこと、転生した時の混乱、そして「悪役令嬢」として生きる決意をした理由を全て打ち明けた。


話し終えると、静かな沈黙が流れた。彼はじっと私の目を見つめている。


「信じられないでしょう?」私は不安になって聞いた。


「いや」彼はゆっくりと答えた。「どの世界のエリシアでも、君は君だ。それが大事なことだ」


その言葉に、心が溶けるような感覚を覚えた。


「カイル…」


「エリシア、俺はずっと君を見てきた。子供の頃の出会いから、君が変わっていく姿も、そして今、本当の君が戻ってきた」彼は私の手を取った。「どの世界のエリシアでも愛している」


その告白に、涙があふれた。


「私も…あなたを」言葉にならない気持ちを、やっと声にできた。


「政略ではなく、愛による結びつきを」カイルは懐から小さな箱を取り出した。中には美しい氷の結晶のような輝きを持つ指輪。「俺と共に歩んでほしい」


「ええ!もちろん!」


私たちは互いを見つめ、そっと唇を重ねた。春の風が二人を包み込む。


その後、ソフィアが訪ねてきた。彼女はもう、私の「敵」ではない。


「エリシア様、お話があって…」彼女は少し緊張した様子で言った。「あの日、魔法実習で助けてくれて、本当にありがとうございました」


「ソフィア…」


「実は、エリシア様が冷たく接しているのは、私を守るためだったんですね。マリアンヌさんから少し聞きました」


彼女の素直な感謝の言葉に、胸が熱くなった。


「これからは友達になれたらいいな」私は素直に言った。


「はい!」彼女は明るく笑った。「それと、おめでとうございます。カイル公爵との…」


彼女の祝福に、カイルも私も顔を赤らめた。


マリアンヌは少し離れたところから、私たちを見守っていた。「ついに本当の笑顔を取り戻した」と彼女が呟くのが聞こえた。


夕暮れ時、私とカイルは庭園の小高い丘に立っていた。夕日に照らされた王都が美しく輝いている。


「これからどうしたい?」カイルが尋ねた。


「前世の知識を使って、この世界を少しでも良くしたいの。例えば、平民でも学べる学校を作ったり、医療を改善したり…」


「それなら全面的に支援しよう」彼は力強く言った。「君の夢は、俺の夢でもある」


私たちは手を繋ぎ、夕日を見つめた。かつての「悪役令嬢」と「氷の公爵」が、本当の自分を取り戻し、共に新しい一歩を踏み出す。


「未来は変えられるのね」


「ああ、共に創っていこう」


私たちの物語は、ここから本当の始まり。婚約破棄されたけれど、実は氷の公爵に見守られていた——そんな予想外の幸せな結末を迎えた私の新しい人生の扉が、今開かれたところだった。


夕日に照らされた二人の影が一つに溶け合い、長く伸びていくのを見ながら、確信した。どんな運命も、本当の愛があれば変えられる。これからも困難はあるだろうけど、もう一人じゃない。


「行きましょう、カイル。私たちの物語を、一緒に紡いでいくために」


彼の手を強く握り、夕焼けの空の下、新たな一歩を踏み出した。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

どう思われたか↓の★~★★★★★の段階で評価していただけると、励みにも参考にもなるので、

ぜひよろしくお願いいたします!

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