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あの日。
『────また、私に恋をしてくれないか』
そう、殿下は王太子の顔で私に言った。
あの私に婚約の白紙を告げた時と同じ、無感情な顔で。
「それは王族から臣下への命令でございますか。命令では拒否出来ませんね」
「なっ」
怯んだようなリュヒテ殿下から視線を流し、陛下の様子を伺う。陛下はおもしろがるような表情で息子たちやローマン、そして私の様子を見ていた。
「陛下、御前で申し訳ございません」
「よいよい。マリエッテの快活さが戻って嬉しいぞ。それに、我々が無理を言っているのはわかっている。そうだ、マリエッテが協力し、無事に王妃の鍵のありかがわかれば褒美をやろう」
褒美、と口にした陛下の笑顔が怪しい。言葉をそのまま受け取ってよいものか悩ましいが、もし本当に褒美をもらえるならと思いついたものがある。
むむむと陛下と微笑みあいながら出方を探っていたら、リュヒテ殿下が陛下に鋭い視線を投げた。
「元はと言えばマリエッテが薬を飲んだからではありませんか。協力してしかるべきです」
「その元凶はマリエッテに甘えすぎたお前だろう。さて、馬鹿な息子の代わりにわしがマリエッテに聞こう」
バチバチと聞こえそうなやり取りに巻き込まれないように姿勢を正す。足元を見られてはかなわない。
「────では、お約束してください。鍵の受け渡しが済んだ暁には、”特権”を一度限り許すと」
ほう、と陛下はニヤリと口端を持ち上げた。
「”特権”か」
「王室経典の中に、王家からの勅命を一度に限り断る権利が与えられる場合があると」
王太子妃教育の一環で読んだ王室経典の中には、王国が与える褒章品目一覧に”特権”の記載があった。数百年前の王族が特例で追加したようだが、経典や法律は追加するより削除する方が難しい。
その項目を見つけた時、王族から下賜される褒章が【王家からの勅命を一度に限り断る権利】とはいつ使うのだろうと気になったものだ。
「……ずいぶんと古い旧王室法典を読んだのだね」
「この1年はとくに時間がございましたので」
「確かにマリエッテはこの1年、憑りつかれたように勉強勉強で見てられなかったよ。何かやってるほうが気が紛れるとか正気の沙汰じゃないね。カワイソー」
「おい、ランドルフ」
ランドルフ王子とローマンの掛け合いを聞き流しながら、陛下の視線を受け止める。
数秒の間だった。その視線の中に、幼い頃からあった親交や臣下を見定める目があった。
きっと陛下は私がなぜこの褒美をねだるのか、気付いているのだろう。
まあ流石にこの”特権”が認められるとは思わないが、この後に起こるだろうと予測出来ることを辞退したいという意思表示だ。
王妃の鍵のありかを思い出すために、リュヒテ殿下と関わらなければならなくなるだろう。リュヒテ殿下と愛し合う王女に邪魔者扱いされ、最悪アントリューズ国に引き渡し命令なんて下されたら命はない。さすがに王女もご理解くださると思うが。
こういった交渉事は最初に大きく出て、次に出すのが本命というのは定石。
まあ良いところ、他国への留学だろうか。さすがに他国に留学すれば、リュヒテ殿下と王女の邪魔にはならないだろう─────
「確かに。約束しよう」
「父上!」
陛下の威厳のある声に、思わずポカンと気の抜けた顔を返してしまう。
「まあ詳細は宰相に確認するが、”特権”か。おもしろいではないか。では、もし見つからない場合はマリエッテから”覚悟”を見せてもらおう」
「……覚悟、ですか」
特権が認められる可能性と、覚悟とはなんぞやという情報が頭の中でぐるぐると回る。
何に特権を使うか、何に覚悟を見せろと言われているのか。
いつカードを切られるのか、切るのか。
「────賜りました。尽力いたします」
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「約束、か」
リュヒテ殿下自身は特権の件を認めたくないのか、不満そうな声色だ。
その不満ももっともだろう。
私に特権を使わせてはならないからだ。
王家の勅命は記録が残る。誰が、誰に、どのような勅命をくだしたのか公式に記録が残るのだ。そして、私がもし特権を使ったなら。その記録も残ることになる。
王家の威信を脅かすような特権を行使されれば面倒なことになるのは想像に難くない。
だから、王家は≪私の意に背くような勅命を出せなくなる≫のだ。
……なんて大きな褒章だろうか。これに見合う覚悟なんて、戦場に送られるのだろうか。大変なことになったので、早く王妃の鍵を見つけて出国したい。
「マリエッテには負担をかけてばかりだな」
「いえ、以前と比べ今は自分のことだけなので楽で……っと、すみません」
余計なことを言いそうになり口を紡ぐが、注がれる鋭い視線は逃がす気が無いようだ。
「……以前の私は勝手に殿下を中心に置いてしまっていただけなんです。全ての判断基準が殿下になって、自分を見失っていました。あれはある種の”依存”だったのでしょう」
自分軸で無くなった私だから、リュヒテ殿下も私に興味を失くしたのかもしれない。
今の気分はそんなこともあったな、と昔を懐かしむように凪いでいる。だからこんなにスラスラと言葉を紡げるのだろう。
思い出が色あせることがたまらなく悲しかった記憶はあるが、今はそれはそれで趣がある。
懐かしんでいたら、視界に白い布がヌッと出てきた。
「なんですか」
「泣くのかと思って」
「泣きませんよ」
視界いっぱいに差し出された布が遠のき、その全貌が見える。
白いハンカチに、王家の紋章とブルーベリーの葉と実の刺繍があった。その出来栄えはやはりまだまだ未熟なもの。今の私ならもっと上手く刺せるだろう。
その幼い刺繍は、リュヒテ殿下が学園に入学する前にお渡ししたハンカチだった。
「……わざわざそのハンカチを持ってきたのですか」
「ん?あぁ、これは……そうか、マリエッテが刺したものか」
指摘されてから気付いたのか、リュヒテ殿下の指が刺繍をなぞる。
その仕草も、今では懐かしい。
「そうだな、私はマリエッテに責められてもしょうがない。四六時中マリエッテのことを考えていたと言ったら嘘になる。”いつも一緒にいた気になっていた”が正しいな」
ふ、と殿下が微笑んだ気がして視線を持ち上げたが、そこはいつもの仏頂面だ。
「口ばっかり」
「その口が足りないから、今こうなっているんだけどな。最後までお付き合い頂こう」