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先ほどまでいた侍女がパタパタとどこかに行き、控室には私一人だけになったことを確認して身を起こす。
にぎにぎと動く両手に異常はない。
先ほど階段から落ちた時、確かに感じた痛みと生暖かい血が身体から抜け落ちていく感覚があったのに。次の瞬間には、なぜか私はリュヒテ様に抱きとめられていた。
思えば、以前も同様のことがあった。
最初のデビュタントの夜。リュヒテ様もろとも剣で貫かれたはずが、傷は消え、生きていた。
あの時はエルシー様の力だったのだと思ったが……。エルシー様がどこからか見ているのだろうか。
うんうん唸るが、わかるはずもない。だって、“除け者”だったのだもの。
誰も見ていないのをいいことに、ついつい口を尖らせてしまう。
気を失ったフリはもう終わりでよいのか確認する間もなく、リュヒテ様は私をローマンに渡してどこかに行ってしまったし。
「……後は計画通りに、って何よ……わたくしにも教えてくださればいいのに」
「除け者にしちゃって、ごめんね?」
背後からかけられた声に驚いてしまって、咄嗟に挫いた足を床に着いてしまう。ビーンと痛みが走るのは当然で。
驚いて跳ねた次の瞬間にはバタリと倒れて、滑稽な姿に違いない。
私を運んだローマンも侍女とどこかに行ったと思っていたのだが、部屋に残っていたらしい。
「だ、大丈夫か?」
「大丈夫なわけないわ……! もう、もう!」
驚かされたからなのか、前回は知らない人のような顔をして離れて行ってしまったローマンが、また親しげな顔を向けているからなのか。私の心臓は破裂しそうなほど鼓動している。
ドッドッドッと脈打つたび、耳の奥まで膨れて。自分の鼓動がやけに大きく聞こえる。
心配そうに覗き込む彼の腕を、逃げてしまわないようにギュッと握った。
「ローマンに聞きたいことが沢山あるの。一体、どこまで計画してたの? リュヒテ様も知ってるの? 陛下は? お父様たちは無事なの?」
「落ち着いて。まず怪我の手当てをしなきゃ」
痛かったね、と私よりもよっぽど痛みを堪える顔をして私の髪をかき上げるように撫でた。
その仕草に、つい我慢が効かなくなる。つん、と鼻が熱くなる。
「だって、何も聞いてなくて。……不安だった。ローマンが知らない人になっちゃったみたいで……」
自然と口がへの字になってしまいそうになり、誤魔化すように眉間に力をいれた。私は決して泣いたりしない。怒っているのだぞ、と。そういうカタチにしたくて。
「それに。片方が落ちれば、ってなにそれ。ソフィエル様を罠にかけたの?」
「そうだよ」
こともなげに、さらりとローマンは認めた。全く悪びれもせずに、だ。
なぜか私はそれにショックを覚えていた。だって、私の知っているローマンは誰かを陥れるような人じゃない。
「……正しくは“片方を上げるには、片方を落とすしかない”って言ったんだよ」
その”片方”を、ソフィエル様が勝手に解釈したのだと言いたいのかもしれない。だけれど、ソフィエル様のための助言だと受け取れるように伝えたことには変わりない。
ぐっと黙り俯いた私の髪が落ちてこないように、ローマンの指が私の髪を耳にかけた。
「マリエッテを王太子妃にするには、ソフィエル……グレイヴリス公爵の力を削ぐことが必要不可欠だった。だから落ちてもらった」
「そんな……、ローマンどうしちゃったの? そんなこと」
「そんなことをすると思わなかった?」
そうだ。確かに、私はローマンが誰かを陥れる策略を練るとは考えてもいなかった。
いや、わざと考えないようにしていたのかもしれない。
貴族社会で渡り歩くには潔癖な“正しさ”だけでは足りないことを、私は理解していたつもりだった。
リュヒテ様だって、愛する家族だって、私に見せないようにしているだけで暗い部分を持ち合わせているものだ。
それなのに、私はローマンをそういったことから切り離していた。ガラスの箱に入れたまま、頼もしくて、正しくて、優しいローマンだと名札をつけていた。
知らない人に見えたと不安だったのは、ガラスの箱の中のローマンとは違う面が見えたからに過ぎない。本当のローマンを見ていなかったのは自分なのだ。
ゆるゆると視線を上げれば、昔から知っているローマンと、初めて見る男性のようなローマンが混じって。こちらをじっと、見つめていた。
「──俺はね、マリエッテのためならなんでもできるよ。好きだから。誰よりも」
逃げないようにと掴んでいた手から力が抜けて、パタリと膝の上に落ちた。
逃げられないのは私の方だ。
2026/03/01に、いよいよ書籍1巻発売予定です。大量に加筆、短編を書き上げましたのでぜひ楽しんでいただけたら嬉しいです。




