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空気を壊さないように、出来るだけ堂々と言葉を重ねると牧羊犬に追い立てられる羊の群れのように人波が割れていく。
この中を割って歩くのか、と少しだけ心の中で尻込みをしていると少年が小さくこちらに近づいた。
「どこに行くの?」
「これから高等裁判所へ行かなければならないの」
「なんで?」
「……お父様を助けに行くのよ」
とたんに少年は目を輝かせて、人波の間を先導するように私の手を引こうとする。
「それなら、ぼくが連れて行ってあげる!」
「こら!」
慌てて母親が止めようとするが、少年は使命感に溢れる表情でもっと道を開けるようにと割って入っていく。その様子を見ていた周囲の大人からも「坊主だけじゃ心配だ。俺も行く!」「俺もだ!」と幾人かが私たちの後についてくる始末。まるで小隊にでもなったような行列になってしまった。
「ありがとう。助かるわ」
「マリエッテ様、待ってください!」
「遅れないように先に行くわ」
「いけません、せめて護衛の人数が揃うまでお待ちください!」
「今忙しそうだから、済ませた人から追いかけてくるように伝えてちょうだい」
侍女に伝言を伝えながら歩き始めたのだが、一歩目で嫌な汗が背中を伝った。
先ほどまでは興奮状態で意識外になっていたが、足からズキズキとした痛みが登ってきている。どうやらくじいたようだ。
そう遠くない道だろうけれど、徒歩で間に合うだろうか。
ズキズキと痛む足を一歩、一歩と進める。やたらゆっくりとした歩調になってしまっているが、貴族はそういうものなのだろうと少年が先導する一行はゆっくりと行進していく。
背後では事情を把握していない人々にどんな行進なのか説明しているようだが、詳しくはよく聞こえない。
私は私で、まるで見世物にでもなったような視線を受けて、出来る限り堂々と前を見据えて歩くことに専念したからだ。気を抜けば痛みで顔を歪めてしまいそうで。
そんな私たちの足元に、びしゃりと何かが広がった。
私の前を少年と何人かが歩いていたため、直接はかからなかったがムワッと立ち上る強い臭いにめまいがしそうだ。
「どの面下げて表を歩きやがるんだ!」
お前のせいで商売上がったりだ! と、赤黒いものを行く手に投げ広げた男性は厳しい顔で怒鳴っている。
かなり興奮しているのと訛りが強く聞き取りにくい部分はあったが、突然店に入ってきた男たちが『強盗犯を匿っているだろう』と騒ぎ始め、店の中を荒らして行ったとのことだった。
ご丁寧に“お嬢様”の命令でここ一帯を検分して回っている。お嬢様が到着したら頭を下げて待てとの命令を残して行ったらしい。
「店を荒らしやがって、どうしてくれるんだ!」
「おっさん、それが襲撃犯だよ! 捕まえろよ!」
「あたりめェだろ! 一人のびてるぜ」
「一人だけかよ、情けねえ」
「なんだとこのガキ、腸詰めにされてぇのか」
馬車を襲撃されたのが王都の高級区の端だったが、ここは労働者向けの飲食店や宿屋が多い商業区域、中級区にあたる。
貴族は滅多に中級区には立ち入らないと聞いてはいたが、なるほど。徒歩で数分の距離だというのに人の口調がガラリと変わっていて、よくわからないが襲撃犯を一人確保したらしい。
「その暴漢から誰の指示かお話を聞いた方がよろしいようね。我が家の騎士を待ったほうが良いかしら……」
「だめだ! こいつは警備隊に連れていく。無かったことにしようったってそうは」
「おっさん、こんな美人に嫌がらせなんて男じゃねぇな!」
「そうだ! もうお前のとこのもんなんか食わねェぞ!」
「おーおー食うな、もったいねぇ。犬に食わせた方がマシだ」
「なんだとコラァ!」
いいぞ! やれ! という掛け声と共に、わっと人が集まる。輪の中心では何が起きているのかわからないが、もうどこに向かうはずだったのか目的を忘れているようだ。
今のうちに、と少年が人を避けるように手を引いてくれるが、足の痛みでもたもたとしてしまう。
素早さが足りなかったのか、揉め事に夢中になっている誰かの背にぶつかった。
こういうことがあるから護衛が揃うのを待つべきだったと、侍女の忠告が頭をよぎる。
後悔しても遅いのだけれど、後になってからでないと気づかないことが多すぎる。
「きゃ……っ」
圧し潰される、と身構えた衝撃はやってこない。
背を支えられた手は少年にしては大きく、ほぼ寄りかかっているのに揺らがない。
「──マリエッテ様、大変お待たせいたしました。お供します」
頭上から聞こえた声は、聞き覚えのない人のもの。
そろりと見上げれば、懐かしい人がいた。
「フィオナがいつもお世話になっています。間に合いましたか?」
そう私に笑いかけるのは。親友であるフィオナの兄だった。
彼は先のアントリューズ国によって、スパイ容疑で勾留されていた軍に所属していた一員だ。顔を合わせるのは、あの帰還パレードの日以来だ。
彼は優しい表情をさっと崩すと、一転して厳しい顔つきで騒動の中心を見た。
「店主。お前の店を荒らしたのは、貴族襲撃犯の疑いがある。拘束した者は軍にて取調べを行う」
「き、貴族……! ひっ、申し訳ねぇ、てっきり、商家のお嬢ちゃんかと」
軍人の底冷えのする声に、店主は一気に顔色を青くさせ這いつくばった。
ある意味、貴族だと認識されなくてもしょうがないかもしれない。
貴族はここ中級区に立ち寄ることはほぼないし、ましてや一般市民と足並みを揃えて歩くこともないと考えるだろう。
そして、この構図は貴族という強い立場の者が弱い人間を虐げているように見える構図だ。
店主に厳しい顔を向けるフィオナの兄に目配せをして、一歩だけ前に進み出た。
「あなたは襲撃犯を一人捕まえたと聞きました。とても勇敢な行いをしましたね」
「は、あ、ぇえ?」
「それでこそ強きエールデン国の市民です。わたくしも、恐怖や悪を許さないと誓いましょう」
怯えたようにこちらをちらりと見上げる店主を安心させるように微笑みを返せば、行く末を見守っていた市民たちから歓声が上がった。
「被害のあった店舗の修復の保証はダリバン家が行います。しばらく不便をかけるけれど」
「め、滅相もないことで、ござい、ます、です、はい!」
私たちの周囲では、軍の関係者の面々が続々と暴徒と化しそうだった市民や道を整備していく。
「ここは任せて、先を急ぎましょう」
フィオナの兄はいくつか指示を飛ばしながら、目的地である高等裁判所の方を指し示した。どうやら、私が高等裁判所に向かう事情を知った上で来てくれたらしいことを察して、喉がギュッと苦しくなった。
「助かりました。ですが、どうして皆さまここに……」
「やっと直接お礼ができると飛んできたのですよ。先の件で、我々はあなたに助けていただきました」
「そんな……。わたくしだけではありません。殿下や陛下もご尽力されて」
「ええ。もちろんそうでしょう。ですが、いつ切り捨てられても仕方なかった。我々も。あなたも」
確信めいた視線が交差する。
騒動の最中、アントリューズ国にいた彼らも、不在の間に何があったのか把握しているようだ。
「我々が再び故郷の地を踏めたのも、マリエッテ様にご尽力いただいたおかげだと皆知っています。それなのに、黙って見ていられないでしょう」
フィオナの兄は、慈愛の篭った瞳を細めると勇ましく声を張り上げた。
「──さあ、道を開けろ!」
びりびりと響く声に、市民たちは再び道の端に寄った。
「──隊列を乱すな!」
「──正義の証人になりたい者は後に続け!」
続く軍人たちの精悍な声に、市民たちは沸き立った。
「なんだなんだ。おもしろそうなことやってるな! 祭りか?」
「いや、捕らえられた父親を取り返しに行くんだと」
「貴族のお嬢様がか?」
「王太子妃殿下だろう? ずいぶん勇ましいじゃないか!」
「”正義の証人”だとさ!」
そりゃあいい! と、誰かが言うと、集団につられるように列が長くなっていく。
次第に聞こえてくる歓声が変わってきたと感じる。駆けつけた軍人たちが市民たちになんと説明しているのか考えたくない。




