【暗躍】
仕事を放り出してどこかへ走って向かったリュヒテの代わりにいくつか指示を出し、ソフィエルにあてがわれた客室へと身を滑らせた。
出入口に待機していたエブリン嬢がこちらを見て身を強張らせたのを、一つ頷いて下がらせる。
狼狽えたように視線を妹のほうに投げる横顔は、血の気が引いているように見えた。
問題のソフィエルは、姉の心配をよそにこちらを見もしない。
先ほどまで無残な姿を直しもせずに執務室で泣き崩れていたが、今は落ち着いた様子で窓際に立ち、外をじっと見ている。
何をそんなに熱心に見ているのかと横から覗き込めば、リュヒテがマリエッテを追って馬車に乗り込む姿があった。
──どうやら、今回は間に合ったらしい。
マリエッテに暴力を振るわれたのだとリュヒテの執務室に駆け込み被害を訴えたソフィエルを放っておいて、もう一方の婚約者候補を追う姿を目撃するとは。
この後の展開をいくつか想像し、目標までの道を確認する。
できれば、この”お姫様”がご機嫌を損ねていなければいいと低い可能性を望みながら。
「汚い……」
ほら、やっぱり。
不機嫌そうな声の方へ視線だけ向けると、ソフィエルの手の甲には花弁が張り付いていた。濡れているのか、べたりと密着していて見ているだけで痒くなりそうだ。
「なんだかこれ、アレみたいね。マリエッテ様」
不愉快そうに眉を寄せ、そして当然のように手をこちらに差し出す仕草は女王陛下のようだ。
おそらく拭えと求められているのだろうけれど、ソフィエルの手を拭うほど暇ではない。『ん?』と顔を傾けてとぼけると、簡単に苛立ちを滲ませた。
妹が爆発するのは避けたいのか、すぐにエブリン嬢がハンカチを取り出し駆け寄った。
「ちょっと、お姉様っ! そんなに擦ったら痛いわ!」
「……赤くなってもいないわ」
「傷になったらお姉様のせいなんだからね!」
隣でキンキンと騒がれるのが不愉快で、それとなく客間のソファへ腰をかけ距離をとる。
ソフィエルの不機嫌指数は高いようだが、あまり手厚く構う時間はない。
リュヒテがマリエッテを追いかけている今のうちにしかできないことがあるのだから。
「──ソフィエル、待っていれば手に入る。余計なことはするな」
「ローマンがウジウジしているのが悪いのよっ」
「こっちにも事情があるんだ」
「私にばっかりやらせて、ひどいわ! ローマンの言う通りにやってるのに、少しもうまくいかない!」
忠告が気に食わなかったのか、ソフィエルは鼻に皺を寄せて地団駄を踏む。
「提案通りにできていないから上手くいかないんじゃないか?」
「私なりに頑張ってるもの! 計画が悪いのよ!」
「そうだね。ソフィエルは努力家だ、もっと上手くできるんだもんな」
「そ、そうよ。今日だってマリエッテ様の評判は落ちたわ」
同情を誘うためにボロボロな姿で執務室まで来たのは、ある意味効果があっただろうが。はたして落ちたのはどちらの評判か。
「今だってローマンが行けばよかったのよ。弱っている時に優しくされると好きになってしまうものじゃない」
「……足りないよ」
「え?」
「マリエッテはこんなものでは落ちてこない。こういう時は、一番大切なものを奪わなければ意味がない」
「はぁ。だから私、リュヒテを奪ったわ」
「あれで?」
先ほどのリュヒテの反応を見ればわかる。
「あれはッ! マリエッテ様がどうしてもってワガママを言うからいけないのよ! リュヒテは公平にするために」
「ハッ」
「なっ、なによ」
「お前がもう少し賢ければ、七年前の時点でエブリンの代わりになれたんだけどな」
「私はお姉様の代わりじゃないわ! 最初から私が選ばれるべきだったんだもの!」
急に名を呼ばれた、侍女然としていたエブリン嬢がビクッと肩を揺らした。
七年前まで彼女はリュヒテの婚約者筆頭候補だった。今はソフィエルの侍女として付き従っているのが不思議なほど、いまだ彼女の方が所作は整っていると感じる。
だが、今はそれは関係ないことだ。
いくら長女として、婚約者になるべく育てられたとしてもエブリン嬢は今は候補者ではない。
「ソフィエル。王太子妃、ひいては王妃に必要な条件は寵愛じゃない。教養、品格、社交能力……あとは、なんだと思う?」
「愛嬌?」
「たしかに、それはソフィエルの方があるな」
現時点でソフィエルには何もかも足りてない。
だが、関係ない。
候補は二人。
二人で比べるしかないのだ。
「──片方を上げるためには、片方を落とすしかない」
基準を超える者では無く、どちらかが、より優れていればいいだけ。
そうだろう? とにやりと笑ってみせれば、珍しくソフィエルは何かを飲み込むように黙った。
「……好きな子をいじめるのって歪んでる」
「お互い様だろう」
一緒にしないでよ、そう目が言っている。
「私はローマンと違って大事にしているわ。お姉様もマリエッテ様もだーい好き。そばにいてくれなきゃ嫌だもの」
ソフィエルは嫌いだと言ったり、好きだと言ったり、気分で言動が変わることがほとんどだ。あたかも自分からの評価がこの世の絶対だと言わんばかりに主張するのがおもしろい。
マリエッテに宣戦布告した記憶は残っていないのだろうか。
あんなことをしておいて、マリエッテから離れるのは許さないと考えているのだから、おもしろい。
エブリン嬢は慣れたように、甘えてきた妹を受け止め背を撫でた。
「……わたしもよ、ソフィエル」
無機質な声が耳の奥をザラリと引っ掻いた。
お知らせ
2026年3月1日より、TOブックス/Celica 様より刊行いただけることとなりました。
イラストは鳥飼やすゆき先生です。とっても素敵な姿になっていて、まだ驚いています。
内容も鬼の大加筆3万字&各種特典短編など、盛りだくさんです。
予約開始しておりますので、ぜひお手に取っていただけると嬉しいです。




