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 滲んだ視界と荒い呼吸の中で開けた箱。揺れる液体を見つめ投げやりな覚悟を決めたあの日の記憶が目の裏に流れる。


 少しのバツの悪さを隠し、優しく末の姫様に諭す。


「あれは鍵ではありません。魔女の秘薬、という薬瓶でした」


「魔女の秘薬……?わけがわからんな。では、一旦その箱ごと返却するように。箱に仕掛けがあるかもしれん」


 返却するように、と言われ視線が泳いでしまいそうになるのが自分でもわかった。


「箱はお持ちしますが、薬は無いのです」


 ピンと空気が張る。それに負けないように喉を湿らせた。


「実は、その薬は飲んでしまいまして……」


 ガタリ、と椅子が倒れる音が鳴り、いつの間にか私の目の前にまで迫ったリュヒテ殿下が私の手を握った。

 あっけにとられた私を見下ろすリュヒテ殿下の瞳の中には、明確な怒りと焦りが込められている。身体の芯が震えているのは気のせいか。


「薬を飲んだだと!?」

「あっ、申し訳……ございま、せん」

「なんの薬だか毒だかわからないものを口にするだなんて、何を考えている!!」


 未だかつて、リュヒテ殿下のこのような怒りを見たことも触れたこともなかった。

 不思議と、かつて婚約していたはずの彼はこのように怒る感情を持っていたのかと頭の片隅で気付く。


 気が動転しているのか呆然とすることしか出来ない私に、覆いかぶさる勢いで顔を覗き込んでくるリュヒテ殿下が恐い。


「兄さん、婚約者でもないのに手を握るのはどうかと思うよ」


 まだ言い足りないのか更に追い打ちをかけようとしていたリュヒテ殿下を止めたのは、呆れたようなランドルフ王子の声だった。

 怒りすぎたと気付いたのか、強く握られていた手が離された。

 握られていた手がじんじんと熱を身体の細部まで運んでいくようだ。


「マリエッテ、体調は大丈夫なのか?」


 リュヒテ殿下の横から、今度はローマンが心配そうに顔を覗かせている。

 なんとなく、先ほどリュヒテ殿下に捕まれていた手を上から覆うように隠した。


「え、えぇ。変わりないわ。むしろ、とてもスッキリしているぐらい」

「念のため、侍医を呼ぼう」


 陛下の疲労感の滲む声色に、叱られた幼子のように身を小さくする。

 もう幼子ではないのに、恥ずかしい……。


「愚かなことをしてしまいました。王妃様からいただいた際に『恋心を忘れる薬』だと伺いました。 魔女の秘薬だと鵜呑みにした訳ではありませんが……あの日は、その薬が助けだと感じていたのです。どうかしていました」


 お姉さま、と私の肩に触れたエルシー様の手は小さく震えていた。

 そのエルシー様を見て、あぁと罪悪感に苛まれる。王妃様が去ってしまったばかりだというのに、私までとなったらエルシー様の心を傷つけてしまったかもしれないとようやく思い至った。


「……マリエッテが最後に王宮を訪れたのは、兄さんとの婚約を無かったことにした日だね。むしろ、飲んだのが毒でなくてよかったよ」


 あの日は、楽になれるなら毒でもよかったのだ。


 身も心も王族のために尽くすと教え込まれてきた私は、身体に傷をつけてはならない理由を失ったとしても刃物を持つことが恐ろしかった。


 だから、薬にすがったのだ。


 今となっては自暴自棄な行動も、この世の終わりだと陶酔出来たことも全く理解できない。しでかしてしまった愚かさと羞恥で顔を俯けた。

 

 皆が最悪の展開を想像するような沈黙が、チクチクと羞恥心を刺すように感じる。


「恋心を忘れる、か。まるで本当みたいだよね」


 ランドルフ王子がつぶやいた。


「だって、マリエッテの様子が今までと全然違うもの。兄さんのことなんて視界に入ってないみたいでさ。その魔女の秘薬って薬、本物だったりして」


 まだ少し少年の面差しを残したランドルフ王子が、皆の視線に疑われていると感じたのか少し語気を強めて言う。

 本物かと聞かれれば、思い当たることはいくつもある。


 だって、今の私はあの時の激情を忘れてしまっているから。 


「──思い当たる節はありそう、だね」


 ひたりとランドルフ王子の新緑のような瞳に見つめられ、思わずコクリと頷く。

 視界の端でリュヒテ殿下がまた珍しく目を見張った。


 ふむ、と陛下が唸り顎を撫でる。


「仮に、その薬に記憶を操作する成分が入っていたとして。つまりマリエッテは鍵の在り処を知っている可能性がある、ということだな」


 次に続きそうな台詞を予感し、ギギギと心のどこかが嫌な音を立てた。


「マリエッテには辛い役目ばかりをかけてしまうが……鍵のありかを思い出すまで協力するように。リュヒテと話せば色々と思い出すこともあるだろう」


 予想通りの言葉に、知らず力が入っていたのか隣にいるエルシー様が小さく腕を引く。

 大丈夫ですよと返事をしたいのに、喉が張り付くのはなぜなのか。


 あぁ、怖いのだ。


 あの目を背けたい自分に戻るのが。


 返事をしようとするのに上手くいかず、何度も唾を飲み込む。

 視線は徐々に落ちていき、先ほどからずっと目の前のティーカップの中に沈殿している茶葉を見下ろしている。


 あの薬を飲んだ翌日は毒気が抜けたようで清々しく、どこにでも行けるような万能感があったのに。引き戻されるのは案外早いものだと、さらに下がっていった視線は自分の白い手を見ていた。


 その血の気が引いて冷えてきていた手があたたかい手にさらわれる。

 

「もう、父さんは無神経なわりに言い方が遠回しすぎ。つまり、またマリエッテは兄さんに恋をして色々思い出す必要があるわけ。だよね?」


 私の目の前で王子然として手をすくい上げ、温めるように握るランドルフ王子に目を白黒させる。


「王妃の鍵はマリエッテが知ってる。つまり、恋する相手は王位継承権を保持しているぼくか、ローマンでも良いってことだ」

「ランドルフ!」


 新しい遊びを思いついたいたずらっ子のような顔で、声高らかに言い放ったランドルフ王子の首根をローマンが掴み上げる。

 ずいぶん昔に見たことがあるやり取りに、先ほどまでの落ち込んでしまいそうな気分もどこかに行ってしまった。二歳年下の王子様はいつもこのように場を和ませてくれるのだ。


「マリエッテにはぼくを選んでほしいな。年下はイヤ?」

「イヤだなんて……でも、ありがとうございます」


 なんの”ありがとう”なのか、正しく伝わったのかランドルフ王子はどういたしましてといった様子で片目を閉じた。

 軽薄だとか頼りないだとか言われがちだが、誰よりも人の様子に気を配っているのはこのお調子者のランドルフ王子だということを私は知っている。

 

「いい加減にしないか、ランドルフ」

「ローマンも伝えるなら今なんじゃない?大好きなマリエッテがフリーになったんだからさ」


 我慢ならないローマンはニヤニヤと笑うランドルフ王子の首に腕を回し、荒々しく壁際へ行ってしまった。また”行き過ぎた冗談”でローマンに怒られるのも、いつもの光景だった。


 ふふ、と姿は成長しても変わらない二人のやり取りを見送りながら、いつの間にか笑っていたようだ。いけない。こんな時に笑うなんて、と誤魔化すように姿勢を戻せば今度はリュヒテ殿下が私の前に立っていた。


 また怒られるのではと身体を固くしたが、殿下は私に触れることなくまるで騎士のように膝を折った。


「マリエッテ、できれば相手は私にしてほしい。君には辛いことかもしれないが、王太子である私には相応の責任がある。マリエッテの恨みや辛い気持ちも背負う覚悟がある。だから、」


 あの西日の指す部屋では向けられなかった視線が、今は焦げてしまいそうなほど強く注がれていた。


「───また、私に恋をしてくれないか」




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