王妃の鍵
「【王妃の鍵】、でございますか」
「あぁ。王妃が旅立つ前、マリエッテに何か渡してないだろうか」
王妃様が崩御された。
新年度が始まって早々の、春の雨が降った日のことだった。
早朝の知らせに国中が喪に服した。
翌々日には国葬がしめやかに執り行われ、私はダリバン侯爵家の娘として参列していた。
王妃様の眠る棺に献花をそなえる順番が来た。
あの時間の止まった部屋から出た王妃様は、生前に好んでいた百合の中でほほえんでいた。
最期の時まで王妃として微笑む姿を見ながら、私の心はギシギシと音を立てていた。周囲のすすり泣く声に交じり、涙を流さない私を責めている声も耳に入る。
『薄情な娘ね』『涙の一つも見せないなんて』『だから……』
確かに、薄情な娘なのかもしれない。
私は婚約が白紙になった途端に王妃様の部屋へ通わなくなった。
──王族の住居へ足を踏み入れる資格が無くなったからよ。
私は王妃様に教えていただいたことを継ぐことはない。
──もう王族とは関係ないもの。
私は王妃様に嘘をついていた。
──私とリュヒテ殿下の仲はずっと前から離れていたのに。
私に悲しむ資格はあるのでしょうか。
そう心の中で王妃様に問いかけても、返事はない。
『マリエッテ。王族の妃は身が裂けるほど悲しい時も、震えるほど怒りを覚えた時も、どんな時も微笑みを絶やしてはいけないのよ』と王妃様が幼かった私に言った。
その言葉はいつだって私の中にあった。
私もいつか王妃様のようにと己を鼓舞する言葉だったはずなのに。
いつの間にか私を縛る言葉になっていた。
あれは道化のように、愚鈍に笑えという意味ではない。
私を縛っていたのは、自分自身だったのだ。
薄情な娘だと非難するような視線のことなんて、もう視界から消えていた。
罪悪感から伏せていた視線を持ち上げた。息を細く吸い、王妃様の棺に向かって膝を折る。私の前にいた父母や兄がハッと息をのんだ声がした。
別れを済ませると、王族の席に座していたはずのエルシー様が私の胸に飛び込んできた。
まだ幼い王女の悲しみの声に、参列者から悲しみの声も強くなる。エルシー様を諫めに来た乳母も目を腫らし、声が揺れていた。
不安そうに私にしがみつくエルシー様の背を撫でながら、私も悲しみを幼子の温もりで癒そうとしていたのだろう。そのまま幼い王女の傍にいるよう頼まれ、あの日ぶりに王宮の奥殿まで足を踏み入れたのだった。
そこで再び、国王陛下に呼び出され聞かれたのだ。
────【王妃の鍵】のありかについて。
室内にはあの日のように、国王陛下と、王太子であるリュヒテ殿下、第二王子のランドルフ殿下、そしてローマンがいた。
あの日と違うのは私の隣には末の姫であるエルシー様がいて、不安そうに私の腕を抱きこんでいるということだ。
国王陛下はまだ幼いエルシー様が視界に入ると調子を崩すのか、普段よりも優しい声色になっている。私にも昔のように堅苦しくない対応を許された。
なんでも王族の妃になる娘には、王妃から伝わる鍵が渡されるというものだった。
身に覚えなどなかったが、陛下は私が持っていると確信しているようだった。
「鍵とは……どのようなものなのでしょうか」
「わしも知らんのだ……現時点で、鍵はいずれミュリア王女が受け継ぐものだ。それまで王宮で管理するのが良い。どうだ、王妃からなにか受け取っていないか」
王の言葉の裏でランドルフ王子が「無神経」と呟いて、ローマンが止めたのが視界に入る。
無神経、という野次に思うところでもあったのか、陛下の厳めしい顔つきから少し眉が下がった。こちらとしては何とも思っていないので気にしないで欲しい。
「本来の持ち主たりえるミュリア王女にお渡ししたいのは山々なのですが、鍵を受け取った覚えがないのです。わたくしはただ一時だけお役目をいただいていた身ですので、王妃様からお認め頂いておりません」
「そんな馬鹿な」
リュヒテ殿下が思わずといったようにガタリと立ち上がる。
そう鋭い目で睨まれようとも、王妃様から下賜されたものは全て公文書に記録が残っているはずだし、それ以外に鍵を受け取った覚えがないのだけれど。
「わたくしよりも、リュヒテ殿下が御存知なのではございませんか。陛下はもちろんのこと、そもそも殿下がお認めになった方が未来の王妃となるのでしょうし」
「それが、建国の頃より王妃の鍵は代々王の妃にのみ伝わる風習でな。わしや王子たちは知らせられていないのだ」
王の溜息が落ちた。そもそも私は政治的に婚約者に指名されただけの小娘で、王妃の鍵だなんて……と考え込む私の腕が引かれる。その刺激に視線を横に流せば、エルシー様のくりくりと丸い目がこちらを見上げていた。
「マリエッテお姉さま、そういえば、お姉さまが最後に王宮に来た日にお母さまから箱を受け取っていらしたわ。あれは鍵ではないの?」
「箱……?」
「おぉ、その箱ではないのか?」
箱で記憶を辿れば。
確かに箱を受け取った。その場にちょうどエルシー様が来たのだ。
だがしかし、あれは鍵ではなかった。




