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「マリエッテ!」

「まぁ。殿下、おはようございます」


 本日から私も国内の貴族子女が集まる学園に通うこととなる。

 学園の門をくぐり講堂へ向かう途中で名を呼ばれた。侯爵令嬢である私の名を呼べる人物は限られる。当然のように新入生の人波が左右に割れ、私の方へ歩いて来たのは昨日ぶりのリュヒテ殿下だった。


 まさかの人物に驚いたものの、名前を呼ばれてしまったら立ち止まらないわけにはいかない。

 殿下は足を止めた私にあともう一歩で触れてしまいそうだという距離まで近づき、ピタリと止まる。それをチラリと見て、挨拶をする動作と同時に距離を保つためにもう一歩下がった。


「よかった、無事に来てくれて……」

「ふふふ。入学初日ですもの、休むはずがございません」


 自分の弾む声に、内心驚いてしまった。今の自分は昨日まで頑なに下せ無かった”仮面”をあっさりと脱いでしまったからだ。

 もう私は王族の婚約者ではないのだから、必要以上のマナーや言動を求められることはない。順応が早くて自分でも驚いてしまう。


 そういえば、忘れていたけれど私ってこういうことろがあるのよね。王太子妃教育では夢に出るほど注意を受けた。良く言えば≪快活≫、悪く言えば≪生意気≫で出すぎだと。


 殿下を陰日向から支え、控えめで従順で何事にも動じず、己よりも主に全てを捧げ云々。あの修行のような日々を思い出して、目が遠くなる。持ち前の素直さで完全に洗脳されていたわ。


「マリエッテ……まだこうして話が出来るなんて、嬉しいよ」


 リュヒテ殿下はまるで恋愛小説の主人公かのような空気を出している。

 なんだか『言いたいことも言えない私たち』みたいな雰囲気を演出されているようで、居心地が悪い。


 もうその件は昨日で終わったと思ったんじゃなかったかしら……。


「こちらこそ、楽しいお時間をありがとうございます。どうか、わたくしのことは”ダリバン”と家名で……」

「そんな、私たちの仲だろう」


 そんな仲もどんな仲も何も無いのだが。

 強制的に恋愛小説の雰囲気に巻き込むのはやめてほしい。


「……殿下、わたくしたちは昨日で立場を別ちました。これからは一家臣として、殿下を支える所存でございます」

「マリエッテ、いいんだ。昨日、君の気持ちを知って思うことがあって。侯爵に追い返されてしまって話が出来なかったから、今のうちに伝えたいことが────」


 王族の婚約者で無くなった今、私はこれから新しい道を歩かなければならない。

 もちろん、殿下とは無関係な新しい道だ。


 ふむ。悪くない。

 昨日までは今まで歩いてきた道から逸れることが、とても悔しく心細く悲しかった。しかし今は少しワクワクしていた。


 昨日までは殿下との未来を、唯一無二のかけがえのない道だと思い込んでいたわ。

 恋に溺れて視野が狭くなっていたのか、これを失えば自分の存在意義すら危いとすら思い込んでいた。それ以外はどうすればよいのかわからず怖かったのだ。


 でもどうだろうか。

 婚約者は去っていったが、家族や友人や今まで積み上げてきた努力は残っている。それがあれば、また何かしら出来るだろうと不思議と思えている。


「……殿下」


 まだ昨日のことを話したそうにしている元婚約者の顔を見る。


「昨日までのことはもう過去です。やり直すことは出来ませんし、誰も望んではいません。これからの未来を、各々大切にしましょう」

「いや、待ってくれ。昨日のことについてちゃんと聞いてほしい」


 リュヒテ殿下の手が私へ伸ばされた。

 この手は他の道へ足を向ける私を引き留めようとするものだ。昨日まではその手に縋っていた。昨日までの自分なら、あの恋愛小説のように陶酔していた自分なら、求めていた温もりを思い出してまた泣いて喜んだかもしれない手だ。


 でも今は、その手が自分に触れる前に引いても不敬ではないかが判断基準だった。

 一般的な貴族令嬢であれば、そのままされるがまま抵抗などしないだろう。だが、そのまま掴まれてしまえば学園内で手と手を握り合っていただの噂が立ちかねない。どちらもいばらの道である。


 どうしようと内心焦りながらその手を視線で追ったが、私へ繋がる前に途切れてしまう。


「リュヒテ、こんなところで新入生一人に構っている場合ではないだろう」

「ローマン!」


 私とリュヒテ殿下の間に立ちふさがったのは、リュヒテ殿下の側近候補でもあり私たちの幼馴染でもあるローマン・エスピオン公爵令息だ。

 救世主のような登場に、ほっと静かに安心する。


 王太子殿下に次いでローマンの登場で、遠巻きにしていた新入生たちが色めき立った。

 その騒めきにリュヒテ殿下も場所を思い出したのか、手を下した。


「マリエッテ、引き留めてごめんね。もう行った方が良い」


 くるりと振り返ったローマンは、なんだか初めて見る男性のようでドキリとしてしまった。昨日の婚約白紙の部屋にローマンもいたが、もちろんこんなに近くで声を交わすのは久しぶりだ。


 まだ私を幼馴染だと思ってくれるのだと、なんだか胸が温かくなる。

 私もリュヒテ殿下と、そういう友人関係に戻るのだろう。いつか戻れたら良いなと思う。


 まだ辛かった過去に引きずり込もうと、留めようとした殿下をローマンの背中から覗き込み心からの笑顔を向ける。


「通り過ぎた日々は懐かしく輝かしく感じるかもしれませんが、過去だからこそそう思うのです。自分に居心地の良い過去より、これからの未来を進みましょう」


 では、と半身を翻した。

 殿下とローマンは縫い付けられたかのように動かない。


「新入生へ過分なお気遣いをありがとう存じます。では、また後ほど講堂で。殿下のスピーチを楽しみにしております。遅れるわけにはいきませんので、ここでわたくしは失礼させていただきますね」


 ややハッキリと声を出し、周囲になんでもないことだとそれとなくアピールをしておく。

 きっと周囲の子息令嬢は私達を取り巻く事情なんてすでに知っているとは思うけれど。


「かっこいいね、マリエッテは」

「からかわないで」 


 そんな呟くような冗談をローマンと交わし、未だ無言のリュヒテ殿下に軽く頭を下げてからその場を後にした。

 昨日は逃げるような気持ちでいたが、なんてことはない。


 私は先に未来へ進んでいるのだ。

 晴れ晴れとした気分で、光が降るように明るい講堂へと足を向けた。


 ──そんな清々しい気持ちでいられたのは、奇しくもこの日が最後だったのだが。



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