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7/6 修正・加筆
口はぱくぱくと動くだけで声が出ない。
何を話すべきか、なんと問うべきかと探していると、身体がぐいと後ろに傾いだ。
「──それは、私が聞くべきだろう?」
「リュ、ヒテ様」
仰ぐように見上げれば、リュヒテ様の視線は私に注がれていた。
その視線に心を読み取られてしまいそうだと、息が震える。
リュヒテ様まで急に入って来るなんて、と思い浮かんだが。ローマンとの先ほどまでの一部始終を出されても反応に困るので、黙っておく。学習しました。
だけれども。私とリュヒテ様の婚約は白紙のままだし、第二妃へと打診される前にデビュタントは中止となった。だから別にローマンと話しているところを見られても困ることなんて無いのだけれど。
だけれど、そこまで開き直れる性格でも無かったらしい。こほんと姿勢を立て直しつつ二人から適切な距離をとれば、ローマンは揶揄うように笑うし。リュヒテ様は片眉を少しだけ上げて、さらに疑いの眼差しを濃くした。
「リュヒテ様も、お久しゅうございます。ローマンとも久しぶりだとお話ししていたのですよ」
「あぁ、ローマンとは度々顔を合わせているが……マリエッテとはあの日以来だな。今朝も顔を見た気がしていたが、やはり本物は違う」
「本物は、とは何を見ていたのでしょう。変態ですね」
「ははは!その顔が見たかった」
取り繕った顔が早々に剥がれ、虫でも見るような目になってしまったのにリュヒテ様はご機嫌だ。本当に変態なのかもしれない。
あの日のデビュタントを覚えているのはローマンだけではない。
リュヒテ様にも記憶は残っていて、エルシー様が操作した記憶との辻褄合わせと処理で休む暇もないと聞いていた。
その多忙な様子を私に伝えてくるのは、主にお兄様とお父様から。
一時は”名を口にしてはいけないあの方”の扱いだったというのに、今では執事ですらリュヒテ様の様子を把握している。
それは、デビュタントの翌日から届くようになった花束がきっかけだろう。
初日は出仕のついでに返却して来る!と父と兄が鼻息荒く回収して行ったが、次からはまだ幼い少年騎士が花束を運んでくるようになった。王族からの初任務だと顔を輝かせている少年に、厳しい顔で拒否できる者は我が家にいなかった。
父や母、そして兄の弱点をよく理解している手だった。
そして手紙では無く、花束だというところも。
手紙や日記は開かないと視界には入らないが、花は存在も香りも主張して来る。
これではどうしたって考えてしまうではないか。
そんな禁じ手でもやもやとさせられた我が家では、花束を受け入れたら最後、リュヒテ様本人が訪れるのではないかと警戒していたようだった。だから多忙な様子だとか、忙しいくせに朝から温室に顔を出している様子だとかの情報共有が我が家で飛び交うのだ。
宴の時はお父様の近くから離れないように!など注意を受けてはいたが、まさかバルコニーへお兄様と入れ違いで現れるとは。これも計算ずくだったに違いない。
「やっとお礼を言えますね。お花をありがとうございました」
「気に入ってもらえたかな。返事が無くて不安だったんだ」
「……毎朝お遣いに訪れる騎士様は、我が家のレーズンクッキーを喜んでいると聞いています」
「おや、私にはないの?」
「前触れも無く花束を贈りつけて礼を強請るだなんて、こわいことを」
「二人とも、なんだか雰囲気が戻ったな。良い方向に」
私とリュヒテ様の応酬を静かに聞いてたローマンが、そう言って笑った。聞かれていると思うと恥ずかしい。リュヒテ様も同じらしく、恐い顔をしているが照れているに違いない。
「冗談はさておき、花束は嬉しかったです。でも、白いお花ばかりだったのには何か意味があったのでしょうか」
「あれは……デビュタントのドレスのようで美しいな、と。マリエッテに見せたくて」
そう呟いたリュヒテ様の顔はみるみるうちに赤くなる。
毎朝届く白い花のみで構成される贈り物に、何か深い意味でもあるかとお母様と図鑑を開いて花言葉を調べたのは勘違いだったらしい。
確かに、細かくひだをつくる花弁は揺れるドレスを思い起こさせる。
その花を、見せたかったと。私に。
なんだか過去の私が救われるようだ。
迂闊に口を開けば余計なことを口走ってしまいそうで、口を結ぶ。
調子を取り戻したのはリュヒテ様の方がはやかった。
身体の前で揃えていた手をゆっくりと握られ、持ち上げられる。
攫われる手を見送るように視線を上げれば、まだほんのりと顔が赤いリュヒテ様が待っていた。
「……ここは正式な場ではない。だから、マリエッテの本心を聞かせてくれないか」
リュヒテ殿下の若葉色の瞳が私を射抜く。
「あの日マリエッテをすぐ追いかけなかったことを、今でも後悔している。また明日があると悠長に構えていた、言葉が無くとも通じ合っていると過信していた、また恋をしてほしいと、やり直せると身勝手に希った。何度も間違えた」
「リュヒテ様、」
「今のマリエッテは、私の婚約者だった頃のマリエッテではない。許してほしいと謝るべきマリエッテを失ってしまった。だから、やり直しはできない」
リュヒテ様の婚約者だった頃の私。
いつからだろう。あの頃の私は、息をするのが苦しかった。
リュヒテ様の視線の先が気になって。私を見てくれないと悲しんで。失えば死んでしまうとすがりついていた。
リュヒテ様を見ているようでいて、いつの間にか自分の満たされない洞ばかりを見ていたのだ。
魔女の秘薬を飲んで、私の一番強い欲は消えた。
私の中から”恋心”という名の依存心が消えたのだ。
そうしてやっと。息が吸えた気がした。
でも、勘違いさせたくはない。
婚約していた時間は、自分の成長の糧になった。大切でかけがえのない時間も思い出もある。私たちの間に幸せはあったのだ。それを失いたくないと縋って依存して息が吸えなくなっただけで。
震える唇を一度だけ結び、口を開こうとした矢先。バルコニーまで届くほど舞い上がった花弁が、唇の上に落ちた。唇を塞いだ花弁を取ろうと、一旦繋がれた手をほどこうとしたのに更に握りこまれた。
「──だけれど。私はやっぱりマリエッテが好きなんだ」
そう言って、眉尻を下げて優しく微笑んだ様子は記憶を呼び起こさせた。
「朝摘みの花を見せたかったと自ら抱えて運んで来る型破りなところも、虫が怖いくせに前に出ようとする無鉄砲なところ、夢物語に憧れる夢見がちなところ」
いつの話をしているのかとムッと睨み返せば「それぐらい昔から好きなんだよ」と、やっとリュヒテ様の指先が花弁を捕えた。
「マリエッテは昔と変わってしまったと気にしていたけれど、魔女の秘薬を得た今も変わっていなかったよ。王にも引かない行動力も情熱も、魔女に立ち向かう勇気と芯の強さも、ゆく先は明るいと信じさせてくれる。眩しいほど」
風が吹く。花弁が舞い、ちらちらと視線を途切れさせる。あの時のように。
「これから先もマリエッテがいる景色を見たいと願っている。誰よりも近くで」
そして、私の心もあの時のように千切れてしまいそうなほど鳴っていた。
「マリエッテ、私と婚約してほしい」