朝日の向こう
ファンファーレが青空に映えるほど高く鳴る。
王城前の広場には、歓声と花びらが競うように舞っていた。
集まっているのはアントリューズ国から帰還した者たちと、再会を喜ぶ家族たち。
隊列が広場に差し掛かると同時に、待てないとばかりに列は崩れていった。
王は城の中で帰還の報告を待っているのだから、良いのだろう。
今は再び生きて会えた喜びを嚙みしめる時間だ。
過ぎた時間は戻らない。
失った命も、過ぎた時間も、傷も元には戻らない。
それを人は知るからこそ、今を大切に過ごすのだ。
人波の中、一際小さい男の子が黒髪の女性に抱きしめられている。母の涙の抱擁に照れてしまったのか固まっている子息の様子が見えて、自然と笑んでいる自分に気付く。
王城のバルコニーという特等席から、抱き合い再会を喜ぶ家族、友人、恋人たちの様子を見下ろしていると。そばに控えていた侍女から来客の知らせがあった。
「マリエッテ、ここにいたのか」
「お兄様。お返事を待ってから入室するのがマナーですよ」
来客の知らせと同時に現れては意味がないではないかと抗議するが、いつものように肩をすくませ聞き流された。用事は無かったのか、そのまま特等席からの光景をまじまじと見始めている。
もしかしたら、探しに来てくださったのかしら。そう思うと、むっとしかめたままだった顔も緩んでしまう。
守られているのだと少し気恥ずかしく、チラチラとお兄様の横顔を盗み見ていたら。夕陽に染まる横顔が脳裏に浮かぶ。
あのデビュタントの日だ。
あの日、私は魔女となった。
エルシー様は他の魔女より若い魔女だというが、200年ほど生きていると言った。
きっと私も同じぐらい長く留まるのだろう。
数十年後にはお父様も、お母様も、お兄様も見送ることになる。
そして私を知る人は、いなくなる。
それから、どうなるのだろう。
そんなことを考えていると、無性に寂しくなる。
あまりにもじっと見すぎていたのか、お兄様が疑うようにこちらを見た。
それを誤魔化すように抱き着いてみる。
「なんだ、甘えん坊に戻ったのか?」
「いつの話をしているのですか。皆が家族と再会出来て喜んでいる様子を見てたら、甘えたくなったの」
先のことはわからない。だけれど、今を大切にすることだけは出来る。
「これからデビュタントだというのに、いつまでもこれじゃあ先が思いやられる」
「まだしばらくはお兄様の妹だからいいです」
あのデビュタントの夜の出来事は、出席者の記憶から消えていた。
ミュリア王女──<傲慢の魔女>──が、操っていた時間が長かった令嬢たちは、デビュタント以前の記憶も一部曖昧らしい。
朝日を浴びて意識を取り戻した貴族たちは、蜂の巣をつついたような有様だった。
アントリューズ国王たちはエールデン国に来たことすら記憶が無かったらしく、大変な騒ぎだった。
アントリューズ国王に幽閉された王妃殿下も救出され、記憶を失くしたことを不安視した王は生前退位を宣言。王太子からは夫婦で引きこもるだけならば、働きで信用を返すようにと反対されているらしいが。
多忙なのは自国も、である。
大破した会場を見た王宮警備の騎士たちは、謎の大規模な爆発か、襲撃者かと必死の形相で対応に当たっている。
皆の記憶に関しては、エルシー様が何やら辻褄を合わせたらしい。
<傲慢の魔女>が操作していた記憶が消えた分、自分一人で十分だったと。どこか寂しそうに言っていた。
みんな忘れてしまったかもしれない。
だが私は、あの日見た朝日を忘れることは無いだろう。
「”しばらく”では無く、”いつまでも”だよ。訂正するんだ」
「ふふ。厳しい先生だわ」
そんなことを言い合っていると、お兄様の肩に誰かが触れた。
「──アシュバルト」
「あぁ、ローマン。そろそろか、ありがとう。でも妹が離してくれなくて」
「ローマンまで許可なく入って来るなんて」
「アシュバルトと一緒に来て、一応声がかかるまで待っていたのだけれどね?」
どうやら、私とお兄様が二人で話し込み始めて待たせていたらしい。
気まずさからそろそろと離れようとするが、お兄様が離れない。
「そうですね。お兄様、お友だちが広場で待っているわ。宴までの間にお話しすることもあるでしょう?」
「後でいいよ、今は唯一無二の妹を甘えさせないと」
「それは俺が代わるよ」
「いいや、マリエッテは兄に甘えたいと言っているんだ。そうだろう?まさかローマンを兄だと思っ」
「馬鹿なこと言ってないで、早く行って!」
お兄様はたっぷり場をかき混ぜてから、満足そうに再会の場へ急いで向かった。
背中を見送り視線を戻せば、いつからこちらを見ていたのか深緑の瞳と視線がぶつかった。それに身体が少し跳ねてしまったことに、気付かれなかっただろうか。
ローマンは恥ずかしそうにするどころか、ほんの少しだけ笑みを深くしたのがなおのこと悔しい。
「ローマン、久しぶりね」
「あの日から目が回るほど忙しかったものね。マリエッテの調子はどうかな。変わったことはない?」
「お疲れ様。こちらは拍子抜けするぐらいいつも通りよ。魔法でも使えたらいいのに」
「それは、よかったというべきかな」
少し離れたところに控える侍女や騎士たちには伝わらないだろう。幼い頃に好んでいた空想物語の話をしているのだろうと思うだろう。
だが、ローマンにだけは正しく伝わったらしい。
デビュタントの日の出来事を覚えているのは私だけでは無い。
ローマンも、覚えているのだ。
私が<傲慢の魔女>の亡骸から魔女の証を引き継いだことを。
七人目の魔女となったからといって、何も変わっていない。突然、魔法が使えるようになる特典だとか、魔女たちが挨拶にやってくる試練だとか、こちらから出向くだとかの洗礼も無いらしい。
エルシー様自身も、実母から突然魔女の証を引き継いだものだから不完全な知識しか無いと落ち込んでいた。準備も不十分で、身体も小さいまま魔女となって止まってしまったため苦労した結果。反面教師で候補たちには出来る限りの準備をしようと用意したのが、あの厳しい講師たちだったらしい。
魔女候補を育成するにあたって講師たちの記憶を操作した際に恐怖心だけ残る結果となってしまい、候補者たちには辛い思いをさせたと小さな魔女は悔やんでいた。
それを誰が責められようか。
次からは二人で考えれば、もう少しだけ良い案が浮かぶかもしれない。そう言えば、やっと可愛らしい笑顔が戻った。
「もし私たちが魔法を使えたら、エールデン国は魔法大国にでもなってしまうかしら」
そう明るく言ってみたが、ローマンは少しだけ悲しそうに視線を伏せた。
そして先ほどまでのお兄様と同じように隣から広場を見下ろす。
肩が触れそうなほど近く。並んだ手は一定の距離があるのに、なんだか熱い。
お兄様と違って、こんなにも近くて良いのだろうかと距離が気になってしまう。
次の隊が広場に入場したところで、何度目かの歓声が上がった。
同時に、柵に触れていた手に小指が絡まった。
驚く私にだけ聞こえる声で「魔女になったということは、」と呟かれる。
「マリエッテは、王妃になるのかな」
「それは……」
絡まる小指は、少しだけ引けばすぐに解ける程度の強さでしか繋がっていない。
それなのに動けないのはどうしてだろう。
ローマンの瞳は私の瞳の揺らぎを覗き込んでいるようだ。
小指だけだったはずなのに、薬指が触れる。もう少し、もう少しと距離を計られているような速度で。