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「──殿下。判断をたがえてはなりません」
「よせ!剣を下すんだ!」
駆け寄ろうとするリュヒテ殿下に夫人がしがみついた。
その隙をついて、自分の首に刃先を押しあてる。
ビリッと痛みを感じるが、想像以上に剣が重い。力の限り押し込むが、手が痺れているのか生存本能なのか、剣が止まるのだ。
まだ止まっていないと主張するように、どくどくと激しく胸が動く。
温かいような、冷たいような、耳の奥がぐわんぐわんと鳴っているような、時間の流れは一瞬で永遠のような変な感覚だった。
死は一つ一つを手放すことだ。
死の世界には何も持っては行けないから。
これから本当の意味の孤独がやってくるのだと思うと、少し怖い。
だけれど、私はつい最近死を2度意識したばかりだ。
1度目は苦しくて苦しくて、楽になりたいと逃げるために。
2度目は強制的に。
そして3度目は、自分で選んだ。
私が魔女ではないと証明されれば、リュヒテ殿下や陛下は兵を動かせるはず。正直、この混乱の中で一番の足かせは私の存在だ。
判断は間違っていない、はず。
だって、私が願っているのは大切な人の幸せだ。
もうしないと約束したのに、怒られたのに、また勝手に選んでしまった。
でも、またきっと同じ分岐点に立ったら同じことを選択する。
ううん。やっぱり、もっと良い条件をアントリューズ国に突きつけられるようにするわ。
なんて。
いつかのリュヒテ殿下と同じことをしてるわね。
死ぬのは怖い。
でも、ただ殺されるなんて許せない。意味もなくただ殺されるなんて、許しがたい。
あとから非業の死を遂げた、なんて美談にされるのも違う。
私の愛している人たちが住むこの国をいいようになんてさせない。
だから、だから、間違ってない。今の私にはこれしか出来ない。
そうやって繰り返し唱えながら力を込めるのに、刃が止まる。
ふわりと誰かに抱きしめられて、寒さを感じていたことに気づく。
ただ、温めるように優しい強さで触れられている。
決別を惜しむ自分を隠すように閉じていた瞼を開けると、目の前にはリュヒテ殿下がいた。
あの緑の目が、まっすぐに私を見ていた。
止まっていた音が戻ってくる。
剣を強く握っていた手がぬるりと滑り、視界に入った私の手が真っ赤に染まっていたことに気づく。
剣が私から離れようとする。
私の首を撫でていた剣を、彼が掴んでいたからだ。
「リュ、ヒテ様……」
剣が落ちる音と同時に引き寄せられる。
「もう二度と、勝手に、どこかに行こうとするな」
リュヒテ殿下の不器用な笑顔が、私の肩に溶けた。
錆のような匂いが邪魔をする。
止めてはだめだと押しのけ、王太子としてやるべきことをと言うべきなのに唇は震えて息が漏れる。
頬に触れた金の髪が私の涙に触れて溶けていった。
そして次に感じたのは、腹部への熱だった。
ヒュッと息が詰まる。
「早くしなさいよ」
しゅるしゅると黒い蔦が絡みついた剣が、リュヒテ殿下の身体ごと私を貫いたからだ。
今度はもったいぶる間も無く、すぐだった。
あれだけ重かった剣は軽く命を屠る。
私のちっぽけな覚悟も、何も意に介せず。
リュヒテ殿下の身体が私の方へと傾いてくる。
三度目の抱擁がこれだなんて、笑ってしまいたいのに顔が動かない。
甲高い悲鳴と雄叫びのような声、そして誰かの笑い声。
耳鳴りの中、音が遠くなっていく、はずだった。
「そこまで」
灰色に染まる視界の中、光が私たちを包みこんだ。
「やりすぎているわ。ミュリア、いいえ……”傲慢の魔女”」




