魔女の望むもの
振り下ろされた剣が、私の真横に激しく叩きつけられる。
ぐわんぐわんと反響する音まで聞こえる近さに、抜き身の剣がある。
「ぐっ……!」
剣を握るリュヒテ殿下の腕は小刻みに揺れている。
それは再び剣を持ち上げようとしているようにも見えるし、暴れる剣を渾身の力で押さえつけているようにも見える。
その手にずるりと黒い蔦が巻き付いているのは見間違いか。
蔦は蛇のようにリュヒテ殿下の腕を這い上がっていく。
「リュ、ヒテ……!手が!」
「マリエッテ、立て!逃げろ!身体が操られている!」
「あ……」
はやく!そうリュヒテ殿下は叫んだ。
鬼気迫る怒号に弾かれるように立ち上がろうとすると、周囲を取り囲んでいた貴族たちが逃さないというように壁となった。
「殿下!なぜですか!息子を見捨てるのですか!」
「私の息子も捕らえられたままなのですよ!」
「魔女め!殿下を惑わすなど!はやく殺さないと災いに巻き込まれるぞ!」
そう叫ぶ貴族たちの首には、あの蔦が這い上がっている。
「彼女は魔女ではない!惑わされるな!」
リュヒテ殿下が吠えるたびに額に浮かんだ汗が散る。
その汗が目に入ったのか、顔を小さく振った拍子に集団から壮年の男性が飛び出し、リュヒテ殿下に飛びかかった。その拍子に手が剣から離れる。
壮年の男性はリュヒテ殿下に圧し掛かり倒れ、その隙をついて深緑のドレスをまとった婦人が飛び出した。
全ての光景が、水の中でもがくようにひどくゆっくりともどかしく目に映る。
捨て置かれた剣を持ち上げた夫人は、首から頬まで染められている。
己がどのような状態になっているかなど気づいていないのか、血走った目がギョロリとこちらを見据える。
震える切先をこちらに向け、一歩、二歩と近づいて来た。
「わ、私がやるわ。マリエッテ様、わかってください。私にはあの子しか残っていないのです!む、息子が戻ってこなければ、もう……!」
「夫人……」
剣術を習ったことがない私でもわかるほど、夫人の剣先は不安定に揺れている。おそらく、腕力のない夫人には切っ先を私に向けるだけで精一杯なのだろう。
きっと夫人の力では一度で息は止まらず、長く苦しむことになるだろう。そんなことが頭に過る。
不安定に揺れる剣、その先にある彼女の首や手には黒い蔦はまだ無い。
夫人の目は血走っているが、その瞳の中には周囲の様子のおかしい貴族たちとは違って感情がある。
そう、夫人の目の中には恐怖があった。
それは己が行おうとしている行動に対してか。それとも、剣を向けられてもほほ笑む私に対してだろうか。
背筋を伸ばし、夫人を見返す。夫人の瞳に映るのは、恐怖で震える自分では無い。幼い頃から繰り返し練習してきた微笑みだった。
ふっと息が漏れる。あんなに重かった仮面が自分の武器になっていることに対して、なんだか笑ってしまう。培ってきたものは確かに自分の糧になっている。
「モンテスキュー子爵夫人……いえ、カベルネ様。お手が揺れていますわ。わたくしの首はここです」
ビクリと彼女の肩が揺れ、瞳に恐怖が宿る。
「なぜ、私の名を……」
「アントリューズ国へ留学された方々の情報や実績は存じています。とくにモンテスキュー子爵のご子息は10歳と最年少で国に貢献するためと大きな決断をなさいました。親としてご心労はいかばかりかと」
「ッやめて!もう喋らないで!」
剣先の揺れが大きくなる。
「わたくしも10歳で王宮に上がりました。父や母も夫人と同じく、親の手元から離れる娘を心配したことでしょう。それとも誇らしいと思っていてくださったでしょうか。幼い頃に国に貢献するためなどと大義を思い描いたことはございませんでした。ただ大切な方たちの幸せのために、そして大切な方たちが住まう国を守るという志に賛同しました」
剣が私の首を確かに貫けるように支えようと手を伸ばせば、夫人は剣を取り落としてしまった。
それを今度は私が握り、持ち上げた。
「この首一つで私の大切な方々が守られるなら、本望かもしれません」
「ヒッ、あ……あ……マリエッテさ、ま」
どさりと夫人が座り込んでしまい、私を見上げる。
初めて持つ剣は重く、どうしても片手では持ち上げられそうにない。
剣先をくるりと肩に乗せれば、少し楽になる。
「アントリューズ国王陛下!これは処刑では無く、証明です!わたくしの無実を確認次第、我が国への非礼をお認めください!この王宮内にいる貴族、兵、使用人たち全てが証人です!」
もしこの会場内全ての貴族が口を閉ざしたとしても、会場の外には第二王子のランドルフ殿下に、末姫のエルシー様もいる。きっと二人ならローマンと私の無念を晴らしてくれると思うのは楽観的すぎるだろうか。
「ヒィッ!」
「マリエッテ!やめろ!」
リュヒテ殿下が貴族たちを押しのけ、こちらに向かって手を伸ばした。
「──殿下。判断をたがえてはなりません」
でも、大丈夫。きっとリュヒテ殿下も、やることはわかっているだろう。無駄になんてしたら、許さないんだから。




