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 私不在のまま今後の話し合いはなされ、すでに決まってしまったことなのに。

 なにをわかれというのだろうか。


 己の立場だろうか。責任だろうか。世情だろうか。


 本来なら、自分から身を引きわずらわせるなとでも……いや、これは被害妄想か。


 たまにこうして自分の管理下を離れた黒が暴れてしまう。


 いっそ誰か私の中で暴れる黒を殺してくれないだろうか。


 溜息を噛み殺し、理解を示す表情で口を開いた。


「かしこまりました。では、殿下はミュリア王女様とご婚約されるのでしょうか」

「あ、あぁ……さすがに、すぐ再婚約とはならない。アントリューズ国王と会談をしてからになるだろう」


 重い空気がのしかかる。

 責めるような口調にはなっていなかったはずだ。これはただの確認だ。

 不自然では無かっただろうか。私は一応、当事者なのに“何も知らされていない”のだ。これぐらいは聞いてもかまわないだろう。


 再び口を開くが、跳ねるような声色が私の席を奪う。


「そんな、待てないわっ。いいじゃない、すぐにでも結婚してしまいたいのに」

「ミュリア……嬉しいよ。でも、王族の婚姻はそうはいかないんだ。わかるだろう?」

「むぅ……。なら早くお父さまと話をつけて!」

「わかった。ミュリアのために急ごう」


「……そうですか」


 誰にも待たれていない返事を小さく小さく呟く。


 私の耳にはたくさんの噂が届いていたが、事実は確認していなかった。

 それはリュヒテ殿下からの手紙や心配するなという言葉を待っていたからでもあるが、本当のところ私は怖かったのだ。


 実際にリュヒテ殿下を見てしまえば、心がどこにあるのかわかってしまいそうで。


 だから、今日、この場に立って。


 もう終わりなのだと理解した。


 王太子妃教育で得た通りに微笑んでも、完璧な所作を見せても、縋ってみせても、何も覆らない。


 納得がいかない終わりに嘆く黒を抑える。今だけは黒にのまれてはならないのだ。

 もう終わりだからこそ、リュヒテ殿下には無様な私を見られたくなかった。


 たとえ、リュヒテ殿下がもう私を見ようとしなくても。


「────マリエッテさん」


 奇しくも、そのたった一言で私に視線が集まった。

 ミュリア王女の言葉一つで。


 リュヒテ殿下の青色の瞳が私を射抜く。

 その視線の強さに毛が逆立つようだった。

 身も世もなく嘆き伏す黒の慟哭がピタリと止まる。


 その視線の間に身を入れた王女はずいっと近づき、私の手を握った。


「マリエッテさん。ごめんなさい!私がリュヒテを好きになってしまったから!」

「ミュリア、今は」

「でも、マリエッテさんが可哀想で……王族との婚約が破棄になるなんて、本人と家門に瑕疵がつくじゃない!」


 黒が吠えた。


「私のこと、憎いわよね。憎んで結構よ。本当にごめんなさい!」


 ホロホロと花弁のように流れ落ちる涙が、王女の美しい瞳に光りを与えていた。


「過分なお言葉です」

「では、私とリュヒテのことを許してくださるの……?」


 まただ。

 許す、だなんて。


 また、私の中の黒が吠えた。


 慟哭を押し込み、王女の手をそっと外し一歩下がる。


「許すも何も、わたくしは決める立場にございません」


 ひきつりそうな頬を持ち上げた。


「まぁ……」

「ミュリア、もういいだろう。それに、破棄ではなく白紙だ。瑕疵などつくわけがない」


「国内でも指折りの名家、ダリバン侯爵の娘となれば引く手あまただしね」


 王女を諫めるリュヒテ殿下の声に隠れるように呟くランドルフ王子の声を聞きながら、口の中がざらつくような感覚を覚えた。


 婚約が白紙になったという事実を、貴族たちはどう思うかなんて。

 政敵と呼ばれる貴族からは格好の餌になるだろう。


 それに、もうすでに侯爵家に釣り合う身分の同じ年頃の令息は、ほとんど婚約が調っているはずだ。


 王族から婚約を白紙にされた私に、価値を見出す家はあるのだろうか。


「そう、そうよねっ!一度は王家が認めた侯爵家だものね。でも安心したわ。その言い方では、侯爵家のことだけ……まぁ、二人は政略だったんだものね。よかったわ。私、マリエッテさんからリュヒテを奪ってしまったんじゃないかって苦しかったの」


 ふふふ、と明るい声が浮き出ていた。


 視線が、刺さる。

 刺さった棘が抜けない。


「────まさか。お慕いしておりました」


 誰かが息を呑んだ。


 棘で割れてしまった部分から、じわじわと黒が漏れ出て行く。


 やめて。もうこれ以上、苦しくなりたくない。

 今更何を言っても結末は変わらない。


 それなのに、黒が私の舵を奪っていく。


「幼き頃から顔を合わせ、名を呼び合い、共に過ごした時間はわたくしにとってかけがえのない想い出です。わたくしは確かに幸せでした。あなた様の隣に立って恥じぬよう、あなた様の力になれるよう、あなた様との未来を信じ、見続けてきました」


 私の仮面は、仮面だけは、壊れていないだろうか。

 ”王族の妃に相応しい微笑み”は、まだ作れているだろうか。


 ひたりと、リュヒテ殿下を見た。


「最初は政略だったかもしれませんが、共に過ごした日々に嘘はないと信じておりました」


 静かに伏せられていた陛下や第二王子、幼馴染の視線。

 痛ましいものを見ていられないと逸らされていた視線が、徐々に注がれていく。


「そして、あなた様からの。わたくしへのお気持ちも嘘ではなかったと、想い出だけはそのまま胸にいただきたく存じます」


 私は婚約者であったリュヒテ殿下を見つめ続けた。目に焼き付けるように。


 もうこんなに重く、激情に駆られた目で見ることはやめるから。どうか視線を逸らさないで欲しい。最後に絡む視線がこれだというのはあまりにも寂しいけれど。


 自分の気持ちを断ち切るように、今度は私から目を閉じた。


「あなた様とわたくしの未来が重なることは無くなりましたが、これからもずっと変わりなく。あなた様と、あなた様の大切な方の」


 ゆっくりと、頭を垂れる。


「幸せを、心よりお祈り申し上げます」


 顔を見られたくなかった。

 もう何も見たくなかった。


「この度は、おめでとうございます」


 愛しているあなたを、嫌いになりたくなかったから。


「えぇ、そう……ありがとう。あなたもお元気で」

「……っ、あの、マリエッテ」


 頭上から殿下と王女様の声が同時に聞こえてくる。

 近づかれるような気配を感じ、身を低くしたまま後ろに下がった。


「わたくしのことを少しでも哀れと思ってくださるならば、このまま御前を失礼させてくださいませ」


 一歩、近づく気配があれば。

 私も下がった。


「どうか」


 繰り返し、もうやめてほしいと訴えた。


 限界だった。漏れ出てしまった黒にのまれてしまいそうだった。

 泣いてわめいて、手を振り上げて、幸せになんてしてやるものかと呪詛を吐いてしまいたいと暴れる黒をおさえるのに必死だった。


 そんなことをさせるなんてひどいと、とにかく責めてしまいそうだった。


 誰よりも愛している人を嫌いにさせないでほしい。

 幸せだった想い出を汚さないでほしい。

 最後に、それだけでいいのだ。

 

 それだけでも願ってはいけないのだろうか。


「……あぁ、下がってよい」


 それが通じたのか、国王陛下の芯に響くような声が静かに落とされた。


「父上、少し待ってください」


 リュヒテ殿下の焦ったような声に被せるように、カンッと国王陛下の杖が床に打ち付けられ、静寂が訪れる。


「マリエッテやダリバン侯の忠義、忘れることは無い。……また改めて場を設けよう」


 そのまま私は王宮から逃げた。

 あの部屋から、自分の責任から、自分の中に巣食う黒から、逃げることを選んだ。


 ────【恋心を忘れる】という魔女の秘薬を飲んで。



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