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【書籍化進行中】【長編版】魔女の秘薬-新しい婚約者のためにもう一度「恋をしろ」と、あなたは言う-  作者: コーヒー牛乳
EP.1

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3


 熱気が狂気となり、蜷局を巻いていく。

 怯んだ私の首にアントリューズ国王の手がかかった。


 なぜか身体は蛇のとぐろに締め上げられているように動かない。


 耳鳴りが警報のように響いている。


「────アントリューズ王よ!娘に何をッ」

「────無礼者!王に近づくな!捕らえよ!」

「────リュヒテ行かないで!私のそばを離れないで!」

「────ミュリア王女、この場にお留まりください」


 知っている声に、知らない声。

 誰かの叫び声に、杯の割れる音、剣が抜かれる音。


 まるで水の中にいるように音がぼやけている。警報音は止まない。視界がチカチカと瞬き、色が消えていく。


 あぁ、こうして人は死ぬのだと悟る。

 頭の中では様々なことが巡っているのに、上手く身体が動かない。


 色を失くし、音を失くし、この世から手を放すのだ。

 

 笑ってしまう。つい先日、私は自らこの世を去るつもりだったくせに何も手放していなかった。今、まさに惜しいと思っていることがその証拠だ。今わの際になってやり残したことが浮かんでくる。あれも、これも、どれも。


 ひとつひとつ思い出して。最後に、見ないように目を背けていたことが素直に出た。


 ────最期に、あの金髪を見たかった。


 眠りにつくように意識が落下していく感覚が迫って来た。ともすれば、毎晩夢の世界に行くのは臨死体験だったのかもと場違いにも過る。


 身体が浮遊して、落ちる。

 たまに身体が驚いて、そのまま目が覚めてしまう時もあるのだけれど。今日は起きそうにもないだろう。


 と、思っていたのに。強い衝撃に意識が戻っては消え、戻っては消えを繰り返す。


「ミュリア!」

「マリエッテ!」


 ぼやりと重い頭を動かせば、思い浮かべていた人物がこちらを見ていた。

 私の名を、呼んだのはリュヒテ殿下だろうか。


 これが死後の夢なら、なんて馬鹿な夢なのだろう。


 何が起きたのか視線を巡らせれば、リュヒテ殿下の足元にはアントリューズ国の騎士が倒れている。


 蒼い目がこちらを捕らえ、手が伸ばされる。


 それに触れようと手を持ち上げるが、距離は縮まらない。


 伏していた身体が強引に引き上げられたからだ。

 その痛みが夢ではないと告げている。


「止まれ」


 リュヒテ殿下はピタリと止まり、伸ばした手を固く握りこんだ。

 その視界の向こう。陛下やお父様たちはアントリューズ国の騎士に囲まれ、ローマンはミュリア王女を拘束していた。壁際や陛下の周囲に待機している自国の騎士たちは不自然なほど微動だにしない。まるで拘束されているかのように。


 一変した惨状に悲鳴を上げる余力は無さそうだ。

 首に豪奢な装飾を纏う腕が巻き付き、シュルリと剣が抜かれた音がしたからだ。


 魔除けの飾りと言われた宝剣は、実用も兼ねるらしい。


「貴国の公子が我が国の王女に乱暴を働いているように見えるが、正気かね」

「恐れながら、我が国の令嬢の開放が先です」


 ローマンの返答に巻き付く腕が強くなり、足が浮きそうだ。


「アントリューズ国王、一体どうなされたのだ。このような暴挙を……」

「エールデン国王、見てわからぬか。我が国の騎士にそなたを守らせているのだ。この魔女から」


 ビュオンッと風を切るように、抜き身の剣が舞う。

 その剣に呼応するようにアントリューズ国の騎士が足をドンッと鳴らした。


 この場が、王宮が、異様な空気に呑まれている。そう気付いているのに止められない。


「この娘はいるだけで人心を惑わし災厄をもたらすだろう。その苦渋を私は苦しいほど知っている。息の根を止めなければならぬ!」


 ビリビリと演説が背中に響く。

 それに呼応する自国の貴族たちの目が、怪しい光を帯びているように見えるのは恐怖からだろうか。


 わずかな靴音に反応したアントリューズ国王の剣先が、リュヒテ殿下へと向けられる。


「アントリューズ国王陛下よ、おやめください。彼女は我が国の者です。我が国の法に則って公平に裁かなければなりません。王一人の心先で人の罪を裁けば、それこそ人心は不安に染まります。ここはお納めください」


 リュヒテ殿下の声色は不思議と凪いでいた。視線が絡んだ、気がする。そんなはずがない。リュヒテ殿下はアントリューズ国王へ話しかけているのだから。しかし、恐怖に染まって浅くなっていた呼吸が徐々に落ち着きを取り戻していく。


 大丈夫、大丈夫。


 手にはアントリューズ国王の袖を握る力がある。

 足も立ち上がる力が戻っている。


 審判を待つだけではいけない。私に出来ることを探すのだ。


 髪飾りを抜いて王の手に刺すのは

 ────他国の王を害したら、それこそ開戦の口実になってしまうわ

 いっそ、足をヒールで踏みぬくのは

 ────だから、傷つけてはいけないわ!


 様々な妄想だけは浮かぶのに、実際には何も出来そうにない。こんなことなら護身術を習えばよかったのにと後悔するが、王室の講師陣はこんな時にはこう言うだろう。


『足手まといになる前に自害なさいませ』

『妃の代わりはいても、王族や国の代わりはありません』

『煩わせるなんて言語道断』


 ────皆、勝手なことばかり。



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