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──ダンスは一つ一つの動作に資質と己が歩んできた歴史が出るのよ。
在りし日の王妃様の言葉だ。
相手が悪かったのだと他責で凝り固まり自分自身と向き合えない者、自身を大きく見せることに腐心し派手な立ち回りを好む者、自分こそが正しいと盲目になりパートナーの動きが見えていない独りよがりな者。
アントリューズ国王は意外にも、穏やかで相手を引き立てるようなダンスだった。ドレスの形に合わせて変化する足幅にも対応し、ドレスの装飾ポイントを隠さない位置に手を添えたことに遅れて気づく。
そういった配慮と同時に気づいてしまう。
アントリューズ国王がふとこちらに視線を向ける際の視線の位置が低いことに。間違えたと視線を上げて、そして一瞬だけ見せた寂しそうな瞳を隠すのだ。
おそらく、長年パートナーを務めていた王妃がその視線の位置だったのかもしれない。
その寂しそうな視線を間近で見て、もしあの薬を飲まなかったら私も同じような目をしていたのかもしれないと。ふとそう思った。
喪失の痛みをかばうように疑心暗鬼になって。怒りと憎しみで自分を奮い立たせ、過去に囚われたまま必死にもがくのだ。
そんな不敬なことを考えていたのがバレたのか、私とは比べ物にならない重さを含んだ声が落ちた。
「──君は不思議なお嬢さんだね。あんなことが起きたばかりなのに、もう気を抜いている」
言い当てられて作っていた微笑みが深くなった、気がする。
「アントリューズ国王陛下の巧みなダンスに楽しくなってしまいまして。失礼いたしました」
「身体は覚えているようでよかったよ。君は王妃よりも背が高くて、踊りやすい。ダンスの名手だ」
王妃、と口にしたアントリューズ国王は痛みから解放されたかのような、安堵に近い表情で口端を上げた。
「光栄です。アントリューズ国王妃様は横笛がお得意で、その姿は月光をまとう妖精のようだったとエールデン王妃殿下から伺っておりました」
「あぁ……生前は夫婦共々親しくしていた。葬儀に出られず残念だ」
そう呟いたきり、口を閉じてしまった。
何か不手際があっただろうか、アントリューズ国王は徐々に表情を険しくさせた。
「君も知っているんだろう。我が王妃のことを」
「……風の噂程度にしか。ただの小鳥のさえずりです。真実はどうだかわたくしには」
真実、その言葉を口の中で転がした王はピタリと足を止めた。
周囲のざわめきが徐々に大きくなる。
思わず離れようとするが、添えられた手は緩まない。
そして。
ハハハ! 突然大きく笑い始めたアントリューズ国王に周囲の貴族たちの表情は固まった。
「────そうだな。真実はどうだか、他人にはわからん」
引き絞るような苦い声がざらりと落とされる。
アントリューズ国王の瞳は私を見ているようで、何も見ていない。
「王妃も嘘だの信じてくれだのそればかり繰り返す。身の潔白を証明すると北の塔に閉じこもってしまった。妃を残し私は国から離れるわけにいかぬというのに、国王としてここに来た。ミュリアとの婚姻をもって和平に応じると聞いていたはずが、王子は君にご執心だ。身を犠牲にして和平を願う娘に何も思わない親がいると思うか?」
足から見えざる手が這い上がって血を凍らせているような感覚がした。
「聞くところによると、君は王子の前婚約者というじゃないか。君たちの間ではミュリアが邪魔者なんだろうな」
何も知らない癖に。
そう言い返すことを想像しては、もう一人の自分が『私も知らなかった』と俯いた。
ミュリア王女の視点では、この物語はそうなのかもしれない。
「さぞ気分が良いだろう。国よりも己が優先されるようで」
「……いいえ」
そんなことない、そう思っているのは確かなのに
どんどんと自信が無くなっていく。揺らいでいく。
「嘘をつくことは許さぬ。大方、ミュリアを使って諜報員の開放を交渉するのだろう。和平交渉が済めばお前を婚約者の座に戻してやるとでも言われたか」
呼吸が浅くなっていく。
「哀れで愚かなお嬢さんだ」
蛇の目が笑った。
「ミュリアが妃になればお前には消えてもらう。第二妃も不要だ。この国には、我が国の王女が産んだ子の血しか残さぬ」
「わたくしのような小娘、ミュリア王女の敵ではございません」
「いや、あの王子だ。あの若造は甘い。国と己がどちらも満たされると信じている」
音楽が、終わった。
「────王子を魅了する魔女は排除せねばならない」
人を従える事に慣れた声が、会場に響いた。
ざわりとどよめきが波紋のように広がっていく。
「魔女など、空想上の存在です。少なくとも、我が国の魔女はそんなことはいたしません」
「いいや、魔女はすぐ裏切る。私は判断を誤り、魔女を妃に迎えてしまった。息子も魔女の血を引いている。アントリューズ国は魔女に汚されたのだ。だからこそ、愛する隣人であるエールデン国までもが魔女に侵されようとしているのを黙って見過ごすわけにはいかない」
──魔女
ダンスを見守っていた観衆の輪からポツポツと言葉の刃がこちらに向いた。
「私は魔女の策略により、長年深く交流してきたエールデン国の者たちを疑ってしまった。元凶は魔女だったのにも関わらず」
──あの女のせいで
取り囲む刃は照準を合わせた。
魔女と呼ばれた私に。