魔女を殺せ
陛下の始まりの言祝ぎから今年の社交界は幕を開けた。
例年より宮殿内は異様な熱気が渦巻いていた。それもそのはず、隣国アントリューズ国からの国賓として王自身が我が国に来訪されたと、貴族たちは熱狂的に盛り上がっている。
普段と様子の違う会場の様子に警備を行っていた騎士団も眉間の皺を深くするが、そうなるだろうと納得していた。だって、自分たちの仲間が解放される目途が立ったのだ。嬉しくないはずがない。王家も自分たちを見捨てなかった。そう思うだけで熱くなるのは仕方ない。だから。
誰も彼も、徐々に頭の中が水からゆっくりと茹るような心地になっていくことに気付いていない。
そして王宮お抱えの楽師団が今年デビュタントを迎える令嬢たちのための曲を奏で始めた。
慣例通り高爵位の娘から次々と貴族たちが見つめる中心へと進んでいく。まるで純白の花びらが舞うような初々しい顔ぶれに、周囲も温かく見守っている。
その中でも一際注目を浴びていたのが、長く王太子の婚約者の席にあったダリバン侯爵の息女である。
婚約は円満に白紙となったことをアピールするため、王太子がパートナーになるのが定石か。まあ、第二妃への発表を目前とした布石なら何らおかしいことはないだろう。
はたまた燻ぶらせた想いを隠す必要が無くなったと噂される公爵子息か。
いやいや、ここで相手を決めてしまうのは勿体ない。新たな婚約者と目されるアントリューズ国の王女とも今後どう転ぶのかわからない。ここは慎重に、まだ未成年の第二王子をあてがい場を濁すのでは。
貴族たちの好奇の目は隠せていない。
その貴族たちの視線は好奇から驚愕へと一瞬で変貌する。
────ダリバン侯爵娘の手を引くのは、アントリューズ国王その人だったからだ。
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アントリューズ国王の手は、冷えていた。
突然、相手役を買って出たアントリューズ国王に周囲は蜂の巣をつついたような騒ぎだった。とくに声を上げたのは、アントリューズ国側の護衛達だった。
最初から厳しく感じていた視線が更に鋭さを増す。
まるで私が害を及ぼすと決めつけられているかのようだ。
そこで、護衛たちは私が危険な物を所持していないか身体検査が必要だと騒ぎ始めたのだった。
「護衛として、確認せねば王の近くに置けない。ご協力願おう」
言い分は理解出来るが、あまりにも理不尽で傲慢な要請ではないだろうか。
苦い気持ちを包み込み、ほほえみを作る。
前に進み出てきた騎士に対し、深く淑女の礼をとった。
「かしこまりました。ですが……少々、急なお話に驚いております。今からドレスや髪の中を改めるとすれば、お時間が心配で。検査を任せる女性騎士や侍女の手配もありますし、なので、わたくしへの確認の許諾に関してはお父様にお話しを通していただきたく存じます」
つまり、身体検査の時間は無いのでアントリューズ王のエスコートは受けられないという意味だ。伝わっただろうか。
私から断ることは出来ないので、これで引いてもらえたらという考えは甘かった。
突然ぐりりと腕を掴み上げられ、痛みに眉が動く。
痛みに視線を上げれば、騎士が憤怒の表情で「怪しい」と唸った。
息を飲む間も無く起きた暴挙に、リュヒテ殿下が割って入る。
「触れないでいただこう。貴殿は護衛なのだから、我が国の騎士に捕らえられては職務が全うできない」
「私を捕らえるとはおかしなことを。そちらの令嬢は自ら危険物を所持していると自白したも同然ではありませんか。心当たりが無ければ女性騎士だの侍女など不要。今すぐ我々に進んで協力するでしょう」
そう言い募る騎士は、リュヒテ殿下の背に隠れた私から視線を外さなかった。
私は二重の意味で背筋に悪寒を覚える。
まさか、私の身体検査を今すぐこの場で、男性騎士の手によって行うことだとは露にも思っていなかった。それは未婚の貴族令嬢としての尊厳を踏みにじる行為だ。
しかし、この騎士はそれを差し出しても無実を証明するべきだと言うのか。
「聞き間違えかな。協力とは名ばかりで、我が国の罪もない令嬢を辱めることと同義と聞こえたが、まさか誇り高きアントリューズ国の騎士が他国でそんな狼藉を侵すはずはない。でしょう?」
「たかだか娘一人をエールデン国王太子殿下が庇うのも不自然です。もしや、殿下が王の命を────」
「もうよい」
場を制したのは、アントリューズ国王だった。
自身の護衛騎士とリュヒテ殿下のやりとりをじっと見ていた王は、たった一言で両者の口を閉ざさせた。
心底つまらない、そういう表情だった。
「私がたった今、思いつきで誘ったんだ。準備をする時間も無い。それに、お嬢さん一人に何が出来る」
本当にそう思うなら、護衛騎士が身体検査と言い出したところで止めてほしいものだ。
「しかしっ」
「しつこいぞ。お嬢さんに害されるほど鈍ってはおらぬ」
そう言って王は腰に履いた宝剣をトントンと叩いた。あまり実用的とは言えない豪奢な鞘の剣は様々な宝石が鈍く光を放っている。
「これは魔除けの飾りだ。安心してくれ」
私にだけ聞こえるような小さな声で呟かれた声に反応し、ちらりと見上げれば。王はこちらをじっと観察するような瞳を隠すように目を細めた。そして「後ほど、騒動の詫びを君のお父上に言付けよう」と言った。それで騒ぐなと、そう言うのだ。
実際にされたことといえば、騎士に腕を掴み上げられたことだが。これが私の持ち札になるのか、足枷になるのか。どう作用するかわからない。
黙って目礼を返す様子を「許し」だと思ったのか、話は終わりだと視線が切り上げられた。
「さあ、争いは水に流して中へ戻るぞ。ダンスは王妃と踊ったのが最後だ。上手くお相手できるといいが」
差し出された手は、氷のように冷えていた。




