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【書籍化進行中】【長編版】魔女の秘薬-新しい婚約者のためにもう一度「恋をしろ」と、あなたは言う-  作者: コーヒー牛乳
EP.1

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デビュタント


 昔読んだ絵本では、日が沈み空が闇に染まるのは『魔女が起きたから』とあった。そのお話に耳を傾けていた幼いエルシー様は、早起きの魔女だっているはずと頬を膨らませていた。そんなことを思い出す空だった。


 馬車からコツリと一歩降り立った瞬間。

 ピリリと身体の産毛が逆立つ心地だった。


 周囲にいたのはこれから入場する格の貴族家だ。

 値踏みする視線。婚約を白紙にされた令嬢だと嘲笑する視線。本日の催しでどのように振舞うのか一歩引いて様子を見るような視線。様々な思惑が私を見た。


『まぁ。あの方がダリバン家の……デビュタントにご出席されるのね。見合わせるものかと思いましたのに』

『さすが芯のあるご令嬢ではなくて?長く殿下とのご婚約にしがみついていたのだもの。次の婚約者を探さねばと必死なのよ。ふふ』


 一歩進むたびに好奇の視線と香水の香りと、ささやかな毒のような噂話にあてられる。


 この感覚には覚えがあった。

 王宮で王太子妃教育を受け始めた頃のことだった。


 講師に指摘された未熟な部分を見つけるたび、どんどん自信が削られていった。そして残ったちっぽけな自分を隠し取り繕うことに必死になった。


 このような視線とささやき声が自分の心の無防備な部分に刺さり、たまらなく悲しかった。自分はなぜこんなにも出来ないのだと嘆いて、申し訳なくて、消えてしまいたかった。


 自分の出した一歩が間違えているのではないかと、怒られるのではないかと怯えていた。


 だけれど、今の自分は全く違う。


 幼い頃の私が恐怖で身体を縮こませ、俯きそうになった時。王妃様は私の頬をゆるりと撫で言った。『マリエッテ。王族の妃は身が裂けるほど悲しい時も、震えるほど怒りを覚えた時も、どんな時も微笑みを絶やしてはいけないのよ』


 ふっと肩の力が抜け、自然と視線が上がる。

 ふわりと視線を流せばピタリと囁きは止まり、微笑みを返せば恭順が返って来た。

 自然と人波が左右に別れ、道が開かれる。


 あの頃のように俯いていては見えなかっただろう。

 あの時の王妃様の優しい眼差しも、私が進む道も。


 見上げた月夜と夕陽を割るようにそびえ立つ白亜の城からは、人のざわめきや音楽が漏れ聞こえる。まるで手招きするように光が伸びていた。


「──今日のマリエッテは一層美しい。皆が見とれているね」

「お兄様ったら。もう何度も聞いたわ」


 馬車の中で不機嫌そうにしていたお兄様は次期侯爵の名に相応しい爽やかな笑顔を浮かべたまま、私を見下ろした。


「おや。私のお姫様はやはり気分がすぐれないようだ。今日は帰った方が……」

「お兄様」


 王妃様直伝の笑顔をつくり、朝から何度も繰り返された言葉を止める。


「……マリエッテのせっかくの門出は祝うべきだ。わかっているよ」


 笑顔を保ったままの小声の応酬はなんだか秘密めいておもしろい。


 毎年、貴族たちの社交シーズンはこの王宮の舞踏会から始まる。

 この舞踏会には国中のほぼ全ての貴族が集まり、新しい季節を言祝ぐ習わしだ。


 初日には社交デビューをする白いドレスを着た16歳から19歳の令嬢たちが参加する、デビュタントという催しがある。

 年齢に幅があるのはほとんど下位貴族や事情がありデビューが遅れた場合であり、ほとんど16歳になればデビュタントで披露目をするのが当たり前となっている。


 もちろん、侯爵家である我が家も1年遅らせる後ろ暗い理由なんて無いのだから。欠席するなんてありえない。


 会場の扉をくぐれば、そこは光の渦だった。


 壁や天井に彩られた絵画が光を受け昼とは違う彩をみせていた。金の調度は温かい光を返し、感じたことのない熱気がここにはあった。


 お兄様は慣れているのか次々と挨拶を交わしていく。

 私も学園やお茶会で見知った令嬢たちからの挨拶を受け、自然と腕から手を放す。


 初めての舞踏会に圧倒されていたのか、ふわふわと足元がおぼつかなかったのか。誰かと肩がぶつかってしまった。予想もしない強さで。


「──魔女め」


 耳元で囁かれたのは、憎しみが滲む声だった。

 思わず振り返ろうとして、足がついてこないことに遅れて気付く。


 身体は声の主を追いかけているのに足は動かない。支えを失くし傾く視界がなんだか不思議とゆっくりと見えた。


 デビュタントで入場した途端に退場なんて、前代未聞の醜聞だ。

 王室との婚約が白紙になるのとどちらが面白い話題になるだろうか。


 そんなことが頭に過るほどゆっくりと見えた回る天井がピタリと止まり、見慣れたゴールデンブラウンの髪が視界に入った。今日は舞踏会の光を浴びていつもより金に近く見える。


「おっと、危なかった。踊るのはまだ早いよ」

「ロ、ーマン……どうして」

「もちろん、探してたんだよ。よかった間に合って」


 遅れて戻って来たお兄様に引っ張り戻されると不思議と動かなかった足が剥がれた。なんだかそれに未知の力を感じてゾッとしてしまう。


 あの声は誰のものだったのか。


 お兄様はまだ続く挨拶で未婚の令息たちの前に私を出したくないという私情の混じった理由で……エスコート役をローマンに代わり、人波の中へ紛れていった。かなり心配そうに何度も振り返っていて、安心させるために手を振っていたら自然と不快感が落ち着いていく。


 大丈夫、大丈夫。


 差し出されるローマンのエスコートを受け、縮まった距離に小声で囁く。


「付き合わせてごめんね」

「いいや?探してたって言っただろう。出来れば一番最初にマリエッテを見たかったよ。とても綺麗だ」

「ありがとう」


 ふふふ、と視線を足元に向けて足先を少しだけ出す。

 ローマンが贈ってくれた靴だ。


 それに気付いたローマンは、一度目を丸くさせてふわりと表情を緩めた。それは珍しく年相応の表情で。久しぶりに見る表情だった。


 この瞬間、私たちの周囲にいた令嬢たちのざわめきが大きくなった。


 どうやらローマンの気の抜けた表情には、周囲も驚きの様子らしい。

 からかうようにもう一度視線をローマンに戻したが、また作り笑顔に戻ってしまっていた。照れ屋なんだから。


 ローマンはどうやらこのままデビュタント組の待機場所までエスコートしてくれるらしい。


 舞踏会の開始は男性王族とデビュタントの令嬢のダンスから始まる。

 王族は直系から傍系まで含まれるので、エスピオン公爵子息であるローマンも今回は対象となる。


 秘密の会話は続く。


「──マリエッテ。気を付けてほしい」


 エスコートをするローマンに重ねた手が強く握られる。


「アントリューズ国王が来訪されるとなって、拘束されたままの軍関係者や親族たちはかなり緊張状態だ。もしかしたら元婚約者として不必要な心ない視線にさらされるかもしれない」


 先ほどの『魔女』という声。あれはアントリューズ国の貴族かもしれない。

 アントリューズ国では魔女は【災いの元】として語り継がれていると聞く。あちらの国から見れば、私はまさしく災いの元であり魔女なのだろう。


 心配そうにこちらを見るローマンに挑戦的な笑みを向け、しっかりと手を握り返す。


「……負けないわ」


 私はたくさんの人に守られてきた。守られてきたのに、勝手に命を捨てようとしたことを後悔している。だから今度は私も守るのだ。


 そう決意して前向きになっているというのに、ローマンは更に心配を深くしたような顔になった。


「いや、勝とうとしないでくれ」

「……っ、ちがうわ、そういう意味ではなくて」


 ざわり、空気が揺れた。

 それだけで誰が近づいて来ているのかわかってしまう。


 言い訳をしようと開いていた口を閉じ、前に向き直る。


「──マリエッテ。来たのか」


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