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 呼び出され向かった部屋の中には、錚々たる顔ぶれが揃っていたことに思わず息をのむ。


 国王陛下と王太子であるリュヒテ殿下、第二王子のランドルフ殿下、私とも幼馴染で殿下の側近となったローマン・エスピオン公爵令息がいた。


 入室した私を見る視線は様々だ。


 ある方は幼い頃からの親しみを込めて。でも少し申し訳なさそうに視線を伏せて。

 ある方はもう決断したのだと、静かに私を見据えて。

 揃って、まるで今もなおジクジクと血を流す傷でも見るかのように、私を見た。


 しかし、この部屋に私を呼んだ張本人はこちらを見ようともしない。

 記憶の中ではいつも私を優しく見つめてくれた翡翠色の瞳は隠れたままだ。


 なぜ呼び出されたのか、嫌な予感に震えてしまいそうだった。 

 しかし、どんなに居心地の悪い空間でも臆してはならない。そう、教わった。


 一挙手一投足、監視されているような緊張感で王太子妃教育で学んだ通りの挨拶を済ませ、椅子へ腰掛けるように促された時だった。


 バタンと派手に扉が開く音に、下そうとしていた腰が浮いた。

 次いで部屋の中に場違いなほど明るい声が響く。


「ここにいたのね、リュヒテ!」

「ミュリア、どうしてここに……」


 私の目の前を隣国アントリューズ国の王族特有である、豪奢な赤毛がふわりと舞った。


 ミュリア、と呼ばれた女性は王太子殿下しか見えていないかのように、まっすぐ飛び込んだ。私の婚約者の腕の中へと。


「これはこれは。おアツいね」


 ランドルフ王子が茶化すように呟けば、国王陛下の静かな視線が飛び肩を竦めた。

 隣に座る幼馴染のローマンは、難しい顔で視線を手元に落とす。

 この仕草は幼い頃からよく見てきた、二人の癖だった。


 冷静に周囲の反応を観察しながら、ふと気付く。

 私はもう何年も、目の前の王女のように感情が全身から滲みだすような喜びを感じた覚えがない。ましてやリュヒテ殿下に飛びつくことなんて。


 その懐かしさすら覚える光景を見ながら、もしここに王太子妃教育でお世話になった先生方がいらっしゃったら大変だったわね……と他人事のように心の中で呟いた。


 親密そうにリュヒテ殿下に絡まるミュリア王女の白く嫋やかな手や、熱を持って見上げる瞳。距離や空気。その一つ一つが自分を突き刺す剣のようだった。


 実際に目にしたのはこれが初めてだった。


 当然と言わんばかりにミュリア王女の背にはリュヒテ殿下の手がまわされ、親し気に触れていた。それはどんな幼い仕草も、マナー違反さえも、許容しているとまざまざと見せつけられているようで。


 ──なぜ彼女は許されるのだろうか。


 心に浮かんだ疑問を咀嚼し、驚く。急いで浮かんだ黒を消した。


 自分を律するように私は微笑んだ。手本通りの淑女のように。他人事のように。


 ────だから、リュヒテ殿下に私との婚約を白紙にしたいととどめを刺されても微笑んだままだった。


 痛みなんて感じないはずだった。だって、私はずっと前から心に麻酔をかけたのだから。


 わかっていたはず、気付いていたはず、予想して心の準備はしていたはず。


 だから平気だと。


 でも、なんのために痛みを我慢することに必死になっているのか、私の中心を支えていたものが無くなった後のことは考えていなかった。


***


 予兆を感じ始めたのは殿下が王立学園へ入学した頃だった。

 殿下や同じく親しくしていた友人たちより1つ年下の私は、自分だけあの穏やかに過ぎていた時間の中に取り残されてしまった。


 でも、たった1年だけだ。

 殿下と会える時間は今までより減るかもしれないが、手紙のやり取りや長期休みにはお会い出来る。何より1年経てば今まで以上に学園で会えるのだから。その分、この1年は勉学や教養などに力を入れようと自分を鼓舞していた。


 しかし、無邪気な期待は裏切られる。

 手紙の頻度は目に見えて減り、休暇は会えないことの繰り返しだった。次はきっととという期待も、きっとまただめだろうと諦めるようになっていた。


 仕方のないことよね、殿下の世界は広がっていくのだからと理解もしていた。だからしょうがないことだと。いずれ私も同じ世界に行くのだから、今だけだと。

 

 そんな私の耳には色々な噂が入って来てもいた。


 殿下の入学と同時に、隣国から留学生として美しい王女がやってきたという。

 その王女と殿下はたいそう気が合うようで、四六時中行動を共にされているというものだった。


 穏やかではいられない噂を耳にするたび、胸に黒い染みがポツポツと数を増やし、滲んで広がっていくようだった。


 どんどんどんどん、自分の気持ちが黒く染まっていくようで苦しかった。


 幼い頃から自分に課せられていた、家族や講師や周囲からの重圧に耐えてこれたのは、殿下と心を共有出来たからだ。その思い出は確かに自分の糧になっていた。


 その思い出すら何もかもどんどん色あせていくようで、叫びたいほど悲しかった。


 糧はいつの間にか支えになり、自分の中心を支える柱になっていたというのに。




「────マリエッテ、聞いているか?」


 返事がないことに焦れたのか、リュヒテ殿下はこちらに身を乗り出した。

 その腕にはミュリア王女がいる。

 ミュリア王女は申し訳なさそうに、こちらをうかがっていた。


 お二人の顔をぼんやりと視界にいれながら、「はい」と微笑んだ。


 もう癖なのだ。


 心がどれだけ血を流していても、顔は微笑みの仮面を下せない。


 もう私には、王太子妃になるのだと努力してきた過去しか残っていないから。


「それで、マリエッテも明日から学園に入学するだろう。今年は社交界デビューも控えている。その前に、私たちの婚約を白紙にしておきたい。わかってくれるだろうか」


 喉が引きつるように縮まった。

 『わかってくれるだろうか』なんて、飲み込めと同義ではないか。

 この部屋には国王陛下もいらっしゃる。陛下の前で通告されたということは。


 つまり、もう決定事項なのだ。


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