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3


「そういうことだから。兄さんも、聞いてたよね」


「……あぁ」


 びくりと今度は違う意味で肩が跳ねてしまった。

 この場を統制出来る者が訪れたことにより、周囲の雰囲気が明らかに安堵するものへ変わっていく。そして、こちらを伺うように見ていた視線の数がぐっと減った。


 いつからそこにいたのか、リュヒテ殿下が真っ直ぐこちらへやってくる。


「そう。じゃあ、睨まないでくれる?」


 普段から無表情であることが常なリュヒテ殿下だが、いつもよりやや顔が怖いかもしれないと思ったのは勘違いではないらしい。


 そんなことにはおかまいなしに、ミュリア王女は春の訪れを受けた花々のように表情を柔らかく綻ばせた。嬉しそうにリュヒテ殿下の胸へ飛び込む様子は仲睦まじい。


「ミュリア、時間だ。ドレスを選ぶのだろう」

「ふふふ。部屋で待っていてくれてかまわないのに」

「ひと目でも会いたくて来てしまった」


 そう言いながらリュヒテ殿下の手がミュリア王女の髪を撫でた。

 その手を見て、なぜか先日の図書館での一幕を思い出し変な気分になる。


 あんな風に触られていたのかと思うと、なんだか気分が悪いというか……嫌な感じだ。


「リュヒテからも言ってくれない?マリエッテさんったら、わたくしに王妃の鍵を渡さないつもりなのよ。私に意地悪をするの」

「あぁ。その件でダリバン侯爵令嬢に話があるんだ。だから、ランドルフ。ミュリアを貴婦人の間までエスコートを頼む。エルシーも戻りなさい」


 頬を膨らませておねだりするミュリア王女に、にこりとリュヒテ殿下は返した。

 何を言われるやら憂鬱だが、次々に指示を出すリュヒテ殿下に各々従って動き出す。


「リュヒテ!」

「ミュリア。私は変わらないよ、王妃の鍵はあなたに渡そう」

「……そうね、また後でね」


 ミュリア王女が自然にリュヒテ殿下に顔を寄せ、頬をさらりと撫で名残惜しそうに離れた。


 それを見たエルシー様は信じられないといわんばかりに目を丸くし、驚いている。兄王子の親密そうなやりとりを初めて見たようだ。


 心配そうに眉を下げるエルシー様も見送り、中庭に残るのはリュヒテ殿下と私だ。


「……少し散策でも?」

「ええ。少し風に当たりたいわ」


 疲労感を飲み込み、提案にのる。ここでする話でも無いだろう。

 くるりと身をひるがえし、花が見頃を迎えている方へ足を向ける。出来るだけ開けていて見通しも良く、侍従たちが離れて見守れる場所が良いだろう。


 先を歩く私に追いつくように近づいて来たリュヒテ殿下はさらりと手を差し出した。


「手を」


 あぁ、エスコートを待つべきだった。

 疲れすぎていたのか、早く人目から逃げたかったのかエスコートを待たずに歩き始めてしまった。いけないいけない。


 差し出された手をじっと見て、唸りそうになる。


 先ほどのミュリア王女の髪を撫でた手を思い出して、なんだかまだ嫌な気分が拭えない。

 というか、あんな話のあとに触れるなんて、また変な言いがかりをつけられそうだ。


 そうよ、そうに違いない。そう結論付けて、リュヒテ殿下と目を合わさないように前を向く。


「いえ、控えておきます」

「そうか」


 さらりと手を下げたリュヒテ殿下は、そのまま無言で私の隣を歩いた。

 一応、歩調は合わせてくださっているが、無言なのが気まずいたらない。


 そろそろいいだろうという頃合いで足を止めて、リュヒテ殿下を見上げる。

 こうして見上げるのは、あの図書館ぶりのことだった。


 あの日と違って、彼の瞳は凪いでいた。


「ミュリアのことだが……」


 そう口を開いて、あとが続かない。


 後に続く言葉はなんだろうか。


 気にするな?そう言っているが、マリエッテはそんなことないと信じているよだとか。図書館で私に言ったようなことをまた繰り返すのだろうか。そして、また私は信じてもらえただとか喜んで。


 あれだって、私を懐柔するための言葉だったのかもしれない。


 今日のリュヒテ殿下とミュリア王女の様子を見て、そう思った。


 なんだかだんだん嫌な気分になってきた。

 でも、なぜこんなに嫌な気分になっているのかがわからない。


 わからない状態が不安だった。


「ミュリア王女は、相当殿下のことを愛しておられるご様子ですね」

「そうか」

「そうですよ。不安になって私を牽制してしまうほどには。また私の時のようにならないように、しっかりなさるべきでは」


 不安からペラペラとどうでもよいことを言ってしまう。ああ、こんなことを話したいわけではないのにと思っているのに、不安を隠すように上辺だけの失言を重ねてしまう。


 だいたい、話があると言ったのはリュヒテ殿下なのに。


 自分が嫌になりそうな失言を重ねる前に口を閉じようと、大きく息を吸い込みリュヒテ殿下に背を向けた。


 よく手入れされた花々を見ながら、しばらくどちらも口を開かなかった。


 そこにびゅんと強い風が吹く。


 髪が風に舞い上がり、咄嗟に目を閉じる。その拍子にふらついたのか、トンと背が当たった。それほど近くにリュヒテ殿下は立っていたらしい。


 私の肩を掴んだ手の熱が、居心地の悪さを増していく。


「────マリエッテ、聞いてほしい。私とミュリアの婚約話が出た理由について」


 静かに、小さく落とされた声だった。


「それは……ミュリア王女と恋仲になったからではないのですか」

「違う」


 風で乱れた髪を手櫛で整えながら振り返れば、クンと髪が引っ掛かる。どうやら、髪がリュヒテ殿下の袖のボタンに絡まってしまったようだ。


 ボタンに絡まる髪をとるために縮まった距離は、今だけは都合が良かった。


「アントリューズ国に逗留していた部隊がスパイ容疑で監視下に置かれた」


 リュヒテ殿下の言葉に息が止まった。


 アントリューズ国とはミュリア王女の国であり、我がエールデン国とは長く同盟関係だった。


 その逗留していた軍とは、留学している貴族子息たちの護衛が多く、つまり我が国の貴族の子息もスパイとして身柄を拘束されているということになる。


「全員の無事は確認しているが、緊張状態は続いている。今はアントリューズ王を操っている背後を探っているところで、その橋渡しに王女が一役買っているんだ。だから」


 絡まっていた髪をやや強引に引いてみるが、手が震えてとれそうにもない。

 私の震える手を包んだ手が、ボタンを引きちぎった。


 なんだかそれが、残酷に見えてしまう。


「……だから、わたくしや我が侯爵家の立場が危なくなっても良いと。王女の非常識さを飲み込めと、そう念を押したいの?」


「いいや、私は、アントリューズ国との関係が安定すればマリエッテを婚約者に戻すつもりだった。白紙では無く保留だと伝えるつもりだったんだ。あの日はミュリアが来てしまって白紙と言うしか無く……」


 つもりだったと言われても。


「なぜ、それを先に相談してくれなかったの。わたくしは何も聞いてなかったわ。何も、何もよ」


 私からすれば、一年もあったのだ。

 どの時点でどのような政治的判断があったのかはわからないが、一言でもあれば。


 あれば、なんなのだろうか。 


「これは極秘事項だ。だから」

「だからって。……今さら、よ」


 肩に置かれた手を見つめる。


「今さらこの極秘事項とやらを聞かせて、何を期待しているの。またわたくしが喜んでリュヒテ様に協力して、婚約者に返り咲きたいと願うとでも?」


 肩から伝わる熱から逃げたい。

 なぜこんなにも胸騒ぎがするのだろう。


 もう心が乱れるのは嫌だった。


 足を一歩、後ろに引こうとした時だった。


「──私が、願っている」


 ぐいと肩を抱き寄せられ、身体がリュヒテ殿下へと傾く。

 リュヒテ殿下に抱きしめられたのは、殿下が学園へ入学する前日が最後だった。


 胸が、苦しい。


「私の隣に立つのはマリエッテでしか有り得ない」


 逃げようとすればするほど、私を包む腕の力が強くなった。

 苦しいのだ。

 なぜこんなにも苦しいのか、自分でもわからない。


「なぜ」


 喉が引き攣れ、言葉が上手く出てこない。


「それをもっと早く言ってくれなかったの。以前のわたくしなら喜んで待ったでしょう。涙を流して信じていたでしょうに」


 リュヒテ殿下の腕の力が強くなる。

 彼も恐れているのかもしれない。 


「でも。わたくしの知っているリュヒテ様は、何度繰り返しても同じ判断をするわ。だってこの国の王太子ですから」


「……ああ。そうだ」


「もっと言葉を尽くすべきだったとは後悔しているが、下した判断に迷いはない。何度繰り返しても、同じ選択をするだろう。私には国を導く責任がある。その未来を、同じ光景をマリエッテと共に見たいと願っている」


 私も恐れている。


「今のわたくしでは、リュヒテ様でないといけない理由がわからなくなってしまいました」


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