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政治的判断


「お姉様、もう一度よ!」

「エルシー様、ちゃんと息を合わせてくださいね」


 ぴょんぴょんと子ウサギのように跳ねるものだから、小さな手に握られたクロスもふわふわとそよいでいる。

 クロスには瑞々しい黄色の花が乗せられ、わくわくと好奇心に満ちたエルシー様の瞳が早く早くと急かしていた。


 私もつられていそいそとクロスの端を持ち、エルシー様の動きに合わせて立ち上がる。


 本日は王宮でエルシー様の遊び相手を務める日。

 最近、食欲が落ちていると聞いていたので王宮の中庭でピクニックを提案したのだ。


 天気の良さが功を奏したのか、食後も元気な様子で一安心。


 今は食後の手遊びにピクニックバケットに敷かれていた大判のクロスに花びらを乗せ、二人で持ち上げて花びらのシャワーにしているところだった。


 エルシー様はこの遊びが気に入ったようで、何度もせっせと花びらを集めている。その姿の愛らしいこと。最近の気疲れが癒される。


「あ、お兄様!お兄様もやりましょう。早く来てくださいな」


 ビクリ、と肩が跳ねた。


「楽しそうだから来ちゃったよ。ぼくも混ぜて」


 想像していた声よりやや高く、愛想の良い少年の笑顔が飛び込んでくる。

 お兄様、とはランドルフ王子のことだったのかと理解して、肩の力が抜けた。


「ランドルフ殿下もお好きな花びらを集めてくださいね」


 勘違いだったのに、まだ耳の奥には跳ねた心臓の音だけが残っている。

 頭の中に浮かんだのは緑の瞳だ。そして最後に見た寂しそうな横顔が、なぜだか消えないのだ。


「懐かしいね。ぼくもこの遊び好きなんだ」

「殿下はいつも合図をずらしてローマンに花びらを食べさせていたではないですか」

「まあ!ではお兄様は見学ね」

「もうしないって。今日はローマンがいないし」


 もう!と楽しそうに笑い合う二人を見て、またふと記憶が呼び起される。

 まだ幼かったランドルフ王子のために花びらのシャワーをして遊んだこともあった。

 私も幼い頃は、この遊びが大好きだったのだ。


 昔は今より地面が近く、花々は多く見えた。白いサンドイッチや、果物、そして素焼きのクッキー。記憶の中の私も緑の瞳を見ていた。


 三人でクロスの端を持って、掛け声に合わせて立ち上がる。


「いきますよ、1.2....」


 3、の掛け声で持ち上げればクロスはたわんで乗せていた花弁が一斉に宙に舞った。


 青空に舞う色とりどりの花弁を見て、また思い出す。


 この遊びを教えてくださったのは、リュヒテ殿下だった。

 空を見上げるから元気が出ると、そう教えてくださったのだ。


『────やっと顔を上げたな』


 舞う花弁のひとひらも見逃したくないと目を丸くさせていた私に、リュヒテ殿下はそう言った。耳に届いた声に反応して、視線を横に流せば殿下が眩しそうに目を細めこちらを見ている。先ほどまで熱心に見ていたはずの花弁が舞いちらちらと視線を途切れさせるのがもどかしいと感じた。


 それから私は花弁のことなど忘れて、リュヒテ殿下を見ていた。

 僅かな表情も視線のひとつも見逃さないように。


 あれがきっかけだったのだろう。

 好奇心から恋に変わったのは。


 記憶より早く花弁は舞い落ちる。

 花弁を追っていた視線が徐々に下がっていった。ひらひらと高度を落とし、地面に落ちた。さらさらと風に吹かれて花弁が遠くへ行ってしまう。


 でも、いったい何枚の花弁が飛んでいってしまったのか誰も覚えていない。そういうものだ。


 いくつもの綺麗な思い出があっても、飛んでいった花弁のようにもう思い出すことはないのかもしれない。


 久しぶりに、それが寂しいと感じた。


 どのぐらい考え込んでいたのか、髪を少し引かれる感覚に意識を戻す。


「何を考えているの?」


 思ったよりも近くに、記憶より少し大人びた表情のランドルフ殿下がいた。ドキリとしたのは、誰かに似ているからなのか。


 殿下の指が耳元をくすぐるように通る。


「ぼくのことだといいな」


 心の内を覗かれているようで、とっさに顔を横に背ける。

 ふふふ、と笑いながらランドルフ殿下の声が近づいてくる。今にも耳に息がかかりそうなほどの距離だ。


「”マリエッテ。私を見て”」


 その声は、先ほどまで考えていた人の声で。

 思わず正面に顔を戻せば、そこにはしてやったり顔のランドルフ王子がいた。好奇心旺盛な瞳を輝かせているところは、全く似ていない。


「どう?似てた?ドキッとした?」

「似てません。してません」

「えー。顔はそこそこ兄さんに似てるし、好みの範疇でしょ?何が足りないの?」


 先ほどまでのむせ返るほどの妖しげな空気もどこかに飛んで、いつものお調子者に戻っている。


「ランドルフ殿下は、そもそも私のことを好きじゃないからですよ。そういう時はときめかないものなのです」

「大好きだよ!姉として。兄さんの前で、ぼくを選んでって言ったのは本当だし!」


 ぷんぷんと膨れる様子が大変可愛らしい。


「だって腹立つでしょ。王族だからって、マリエッテに愛されて調子に乗ってるんだよ。あげくに悲しませてさ」


 誰の事と言わなくても、誰のことを言っているのかわかってしまうことに苦笑いが出てしまう。


「もう昔のことですから」


「それだよ。マリエッテったら、後ろ向きに行動力があるんだから!どうせなら正面突破すればいいのにさー」


「お兄様、マリエッテお姉さまをいじめないで!」

「いじめてないさ!口説いてるんだよ」


「お、おやめください!」


 ご機嫌だったエルシー様も、ランドルフ殿下には気安くなるようでまた二人で言い合いだ。すっかり騒がしくなってしまったが、少し離れたところで待機する護衛や侍女たちは和やかな空気だ。


「ぼくも”お姉様”が悲しんでるのはいやってこと。ね、じゃあ兄さんじゃなくて、ローマンにしておこうよ。いいやつだよ!」

「また、もう。ローマンもいい迷惑ですよ」


 どうやらランドルフ殿下はローマンのことをいたく気に入っているらしい。そういえば、先日もローマンをおすすめしていた。

 ローマンもいつまでも婚約者を決めないから、やり玉にあがるのだ。


 いつものように流せば、ランドルフ殿下は呆れたように大げさに肩を落とした。


「はー、魔女の秘薬ってやつで惚れ薬でもあればいいのにな」

「お兄様ったら魔女をそんな風に使おうとするなんて!」

「エルシーの絵本では魔女は荷物を運んでいたじゃないか。御用聞きもやるんじゃないか」

「絵本は絵本ですっ!魔女を使おうとするなんて、罰当たりだわ」


 エルシー様は魔女をモチーフにした絵本を気に入っているようで、何冊も所蔵している。

 この国では、魔女は気まぐれな猫のように自由で、弱き者を助けるような存在として伝わっているのも、きっと絵本が一役買っているだろう。


 もちろん架空の存在として、だ。


「あーあ。もし本当にいたら、王国相談役とかになってくれないかな」

「お兄さま、お隣の国では魔女は災いの元という言い伝えがあるのですよ。そんなことを言っていたら、助けに来てくれないかもしれないわ」

「うちの国にいる魔女はきっと気の利く魔女だって」


 なんのかんのと言い合っている二人を仲裁するのに気を取られ、近くまで来ていたことに気付かなかった。


 複数人が草を踏みしめる音、鎧が擦れる音、そして声が届き、ピタリと会話は止まる。


「───あら、いやだ。泥棒猫がこんなところで発情しているわ」

 


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