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私の心が死んだ日

 窓から差し込む西日が、愛しい人の髪を橙色に染めていた。


 一年ぶりに声が届くほど近くまで来れたというのに、瞳に映したいと希った金の髪が見えないのがもどかしい。


 瞳が沁みるのは、きっと、西日のせいだ。


「────婚約を白紙に、でしょうか」

「マリエッテ、長い間不安にさせてすまなかった。アントリューズ国の王女の件は耳にしているだろう?」


 感情の見えない声色で、私の婚約者はそう言った。

 突き放すようにも、決まった文言をただ読み上げただけにも聞こえる。

 なんでもない、どうでもよいことのように。


 私の婚約者であった、この国の王太子であるリュヒテ殿下はこちらを一瞥もしなかった。


 私達を繋いでいた約束を消すという残酷な通告を、まるで卓上遊戯の駒を一手進めたような軽さで決めた。


 とどめを刺された私は、それでも唯一残されたプライドだけで微笑みを崩さなかった。


 私の手にはそれしか無かったから。


*****


 この、私の十六歳という長いようで短い人生を左右するお話の直前。


 病に伏して長い王妃様の元へ、もう日課となっているお見舞いに出向いていた。


 ベッドの上の住人となってしまった王妃様は病に蝕まれながらも、変わらず気高く国母としての責務を忘れはしなかった。


 そういう王妃様だからこそ、いつまでも私の憧れだった。

 王妃様のような国母になるのだと純粋に夢を見て、憧れ、いつの間にかそうなるべきだと義務になった。


 今日も慣れたように王妃様の寝台の横につけられた椅子に腰を掛け、お話をしながら王族の心得や、他国の王族や妃の特徴……王太子妃教育の名の下に様々なお話をした。


「今日はこれくらいにしましょう。マリエッテがとても可愛らしい装いをしているんだもの。早くリュヒテのところに見せに行きたいでしょうから」

「い、いいえ、会うお約束もございませんので」

「ふふふ。もうすっかりお年頃ね。約束なんて無くとも、会いたい時は会うべきよ。リュヒテだってここに飛び込む勢いでマリエッテに会いに来ていたじゃない」

「それは幼い頃の話ですわ」

「あら、照れているのね。マリエッテもまだまだね」


 日に日に声から力が抜けていく王妃様の部屋は、時が止まっているようだった。

 部屋の主を映すことが無くなった鏡台の鏡には薄い布がかけられ、私の青みがかった髪をぼんやりと映した。


 うっすらと存在感の薄い影はすっかり十六歳らしくなったと思うが、この部屋の主である王妃様の中の私はいつまでも幼いまま。


 昔のままの私とリュヒテ殿下だった。


 殿下と私の婚約は、幼い頃に整った。

 当時は様々な政治の流れにより、私の生家であるダリバン侯爵家の協力が王家に必要だったためと聞いている。


 政略ではあれど、私たちの間には真心があった。

 穏やかに心を育む時間があった。

 ゆっくり流れる時間の中で私は殿下と心を通わせ、穏やかな、温かい心をわかちあっていた。


 その特別な時間が、永遠を約束されたものでは無いと気付くのが遅かっただけ。

 

「────マリエッテとリュヒテの仲が良くて安心だわ」


 王妃様は微かに唇を震わせ微笑んだ。


「だからといって甘やかしてばかりはいけないわ。煩わしいと思われても、過ちを止めるのが正妃の務めなのだから。……まあ、マリエッテなら大丈夫ね」


 じくりとわずかに胸が痛む。


 あの頃の私たちの心の距離でいられたら。

 めでたしめでたし、いつまでも幸せに暮らしましたと締めくくるのだが。


 王妃様の中で、私とリュヒテ殿下は昔のまま、おとぎ話のようにいつまでも仲睦まじくお互いを支え合っているのかもしれない。


 わざわざ病床の王妃様に、心労をかけるようなことを告げる者はこの部屋にいないのだ。


 心配をかけまいと誤魔化すのは、本当は誰のためか。


 意識すれば途端に主張するようにジクジクと強くなる胸の痛みを上からおさえて、王妃様を安心させるように微笑みを返した。


 リュヒテ殿下と婚約を結び、王太子妃教育が始まり最初に習ったことは【王族の妃は身が裂けるほど悲しい時も震えるほど怒りを覚えた時も、微笑みを絶やしてはいけない】というものだった。


 婚約者となってから一日たりとも忘れたことがない。

 目が覚めてからひとり寝台の上で目を閉じるまで、ずっとだ。


 もう癖になるほど身についたと思っていたのだが、今日はなぜだが王妃様の視線が刺さった。


 軽く頭を傾げてみるが、王妃様はまるで仕方ない子だと言うように今度は気の抜けた笑みを見せた。それはまるで、昔の元気だった頃を思い出させる表情だった。


「そうだわ、マリエッテに渡したいものがあるのよ」


 王妃様の寝台の影に置かれていた小さな箱が差し出された。

 促されるまま蓋を開ければ、小さな小瓶が入っている。香水かと思えば、薬草のような香りがした。小瓶を窓から差し込む光に透かしてみたが、見たことも無い不思議な色をしていた。


「こちらは……」

「……そうね、『恋心を忘れる薬』かしら。【魔女の秘薬】よ。いずれ飲むことになるから、渡しておくわ」


 恋心、と復唱すればとぷんと薬が揺れた気がした。


 【魔女】はこの世界において現在7人の存在が確認されている。

 魔女と呼ばれる彼女たちの実態は謎で、時には聖女、時には悪魔のように描かれた。

 長い歴史の中で迫害された記録もあり、以来国には属さず人里離れた場所に住んでいるという文献が残っている。


 これは王太子妃教育の一環で初めて文献を目にした程度で、一般的には魔女の存在は架空の存在として伝わっている。


 国家の中枢でしか知りえない存在の名を冠した薬だからといって【魔女の秘薬】とやらを信じたわけではなかった。


 だって、本当に魔女の秘薬というものが手に入るなら王妃様の病が治らないわけが無いのだから。王妃様が衰弱していく様子を近くで見てきた私は、信じられそうにはなかった。


 これは一体なんのための薬でしょうか。

 そう聞こうとしたが王妃様の部屋へ来訪者が来たことで、質問の機会を失ってしまった。


 来訪者は末の姫であるエルシー様のようで、今にも扉を自分で開けてしまいそうな跳ねる足音が聞こえた。


 元気の良すぎる足音はマナーとして褒められたものではないが、私と王妃様は揃って困ったように眉を下げつつもほほえましいと表情を柔らかくするだけだった。


 末の姫様がかわいらしいお顔を覗かせる前に、と椅子から腰を上げた。


「────マリエッテ。その薬は私たちだけの秘密よ」


 王妃様がそう呟いた次の瞬間には、エルシー様の元気で愛らしい声が私を呼んだ。


 リュヒテ殿下が私を呼んでいる、とのことだった。


 それは丁度一年ぶりの、リュヒテ殿下からの呼び出しだった。



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