冒険者クリア、魔女の事情とテラの事情と。
テラがいなくなって。
バーバラ婆さんがオレの向かいに座った。
「クリア坊、あんたなんかデカくなったね。栄養不足でガリガリだったのが見違えたよ」
「そっか? 自分じゃあんまわかんねえな。テラを見下ろせるようになったから背は伸びてんだろうな」
テラにも大きくなったと言われた。ま、元々が栄養失調で成長が止まってたから、ちゃんと飯食って運動するようになったからでっかくなったんだろう。防具はオレが成長しても使えるようにってアルゴスの親父が調整できるようにしてくれてて助かったぜ。流石にもっかい防具を揃え直すのはきちい。
「自覚なしかい。まあそれはいいよ。それよりも、あんた、マックには勝てそうなのかい?」
勝てるか?
どうだろうか?
テラと、ケル、ベル、スウの三匹娘のスパルタ訓練のお陰で、我ながら自分が強くなったのはわかってる。パワーウォッシュも戦闘に使ってみれば強力だった。水は形を変える。使い勝手はすごく良かった。
「あー、どうだろ。実はオレ、マックがどれくらい強いのか知らんのよね。だから自分とヤツの差がわからんのさ」
マックは底が知れない。オレが知ってるあいつは万能型の天才で何でも出来る。一メリの隙もない人間として認識している。それだけでも現状のオレで勝てるかわかんねえ。そして多分ヤツはそれだけじゃない。オレを穴に突き落とした時、確かにヤツはトーイのスキルを強制的に発動させた。あれの正体がわかんねえ。いったいヤツはどんだけ強えんだろうか。
「は? あんた、自分が戦う相手の事を何にも知らないで戦うつもりなのかい?」
「そだなー。やっぱダメか?」
「そりゃダメだね。あんたこのままならどんなにやったって死ぬよ」
「マジか。あいつってそんなにつえーのか? そういや、ばーさんゴッドブレスといざこざが有ったって言ってたよな? 何か知ってるか?」
考えなしのオレの問い。
少しでも正体不明なヤツの正体を聞く事が出来ないかと考えた自分本位な言葉。
「ゴッドブレスかい……」
それに対して、ばーさんは一言呟いてから、ふー、と深く息を吐き出して黙ってしまった。
どうやらオレが聞いた事はばーさんにとって相当な覚悟がいる話だったらしい。あーこういうとこがオレのダメなとこだよな。さっきのテラの話といい、ばーさんの話といい、考えなしにちょっと踏み込んじまう。
「ばーさん、ごめん。オレが変な事聞いちまった。言いたくないなら無理しねえでくれよ」
ばーさんは俯いて、目を閉じたまま、軽く頭を振る。
「いや、あんたが悪いわけじゃないさ。嫌な記憶が甦っちまっただけだよ。あたしこそすまないね、バカなクリア坊に気を遣わせちまったよ」
「これは流石にバカって言われてもしゃーねーな。すぐ変な事を聞いちまうオレは確かにバカだからよ」
「いいや、あんたのそのバカは長所さ。それに救われてる人間はあんたが思うより多いよ」
「そっか? そうだとうれしんだけどよ」
「ああ、そうさね。そんなあんたの参考になるならちょっとババアの話をしようかね。蜂蜜入りのホットミルクでも飲みながらさ」
そう言ってバーバラ婆さんは席を立ってキッチンへ消えていった。
◇ ◇ ◇
「ねえ……ずっと、一緒にいてくれるんだって」
ゆったりと流れる川の水面に映った自分の顔に向かって語りかけた。
表情がとろっと崩れていくのを水面の乱れのせいにして心を落ち着かせる。
ああ、どうしようもなくうれしい。
光る月と。
その横に映った自分の姿。
水面に映るそれは人の姿をしている。
でもこれが本当に人なのか。人を模したナニカなのか。もう自分にもわからない。
長いというより、永いという言葉が正しいほどの時間を、私はダンジョンボスとして生きてきた。
ずうっと昔は冒険者がやってきたから、来た人間を何も考えずに何人となく滅してきた。それに対しては何の感情も湧かなかった。多分あの時の私はまごう事なくダンジョンボスだったんだろう。
そう自認している。
でもある時から急に冒険者がぱったりとやってこなくなった。
そうすると考える時間が増えた。ダンジョンボスとしてのアイデンティティとでもいうのだろうか? それが曖昧になって、自分が何者なのかがとても揺らいだ時期があった。
ボスの役割を果たせないのなら、ダンジョンから脱出できないかと思って、ボスの間の出口から出ようと試した時がある。でも足の鎖が引っかかって部屋の外へは行けなかった。どれだけ足を無理やり引っ張っても、足をちぎってでもと覚悟をしても、鎖も足もびくともしなかった。そんな行動を何年か繰り返して、この部屋から出る事を諦めた。
そこからはボスの間でひたすら過ごす事になる。ただただ考える。ダンジョンを守らず。冒険者を滅する事もなく。ダンジョンの一室にただ繋ぎ止められて。時間だけが過ぎていく。こんな自分は何者なのか? 自分はここにあるのか? 流れる時間が自分の存在を洗い流していくかのように感じた。
自分が消えていくのが怖くなって。それに抗うようにケル、ベル、スウを生み出し、自分の姿に似せ、他者を作る事で、自分の個を繋ぎ止めた。
だけれどいつしかそんな時間にも退屈して、ケル、ベル、スウを呼び出す事もしなくなった。
このまま自分は消えていくのがいいかと思った。
どれほどの年月がかかるかわからないけれど、この星が消える頃には私も消える事が出来るだろう。
そんな考えでただそこに在っただけのある日。
天から少年が降ってきた。
びっくりした私はケル、ベル、スウを久しぶりに呼び出して、犬の姿のまま、少年を威嚇した。
だけど少年は特に焦る事もなく、犬たちに攻撃を仕掛けるでもなく、ただ寝転んで話を始めた。少年がここまで生きてきた数年間は聞く限り本当に地獄だった。他人からの迫害と少しだけの慈悲で生きながらえていた。ここまで成長できたのが奇跡のような人生だった。
それで少し興味が湧いた私は犬たちを引っ込めて私自身の姿を晒した。
ダンジョンボスの本能で目の前の人間を滅してしまわないか不安だったけれど、そんな心配は杞憂で、殺人衝動は全く起こらなかった。永い時間が私を変えたのか。クリア、あの時はまだ名前を知らなかった少年が特別だったのかはわからない。
でもきっと。
クリアが特別だったんだと思う。
だって、ダンジョンボスだった私が今ここでこうやって人間のふりをして生活しているんだから。
クリアの事を思って火照る頬。
それをもう一度川の水で冷やしてから、私はバーバラさんの家に戻るために立ち上がった。




