蛙化現象ってやつ
夜。とある店で向かい合って座る二人のカップル。女が深刻な顔をして口を開いた。
「……ねえ、ちょっと話があるんだけど」
「え! なになに!」
「いや、何でちょっと嬉しそうなの……?」
「え、そ、そうかな、ははは……で、なに?」
「うん、その、さ……」
「はい、さあ、どうぞ」
「どうぞって……。何でそんなにニコニコしているの……?」
「まあまあ、いいから、話してみてよ」
「うん……その」
「うんうん」
「冷めさせようとしてない?」
「ん……え?」
「いや、あたしを冷めさせようとしてるでしょ」
「え、と、どういうこと? ちょっと意味がよくわからないな……」
「いや、あたしもわからないけど……いや、それよ!」
「んえ?」
「ペットボトルのお茶! その飲み方よ!」
「ふぅ、飲み方? 別に普通だけど、いやー、喉が乾いちゃって、ははは」
「そのペットボトルの口を全部咥えて飲むやつ! それ、冷めるのよ、いや、そもそもハンバーガ屋で持ち込みして飲むな! 飲み物を注文しなかったのはどうしてかなと思ったら、そういうこと!? いや、大体、いい歳してチェーンのハンバーガ屋で夕食って!」
「ああ、だってお金がもったいないだろう? ちなみにこれ、お茶じゃなくて水ね。水道水」
「おおぉ、もぉ……。あのね、一円単位で割り勘を求めてくるのはまだいいけど、いや、よくないけど、財布がボロボロだし、ゴムのチェーンがついてるし、あたしにわざと嫌われようとしてない? ほら、最近あるでしょ蛙化現象とかなんとか」
「いや知らないなぁ。と、ハンバーガーができたみたいだよ。おれ、取ってくる!」
「あ、話はまだ、はぁ……いや、トレーを持ったままキョロキョロしないでよ! 何でこの距離で迷子になってんの!」
「何だよ、大きな声出してさぁ、ここお店だよ?」
「なんでそっちが冷めてるのよ……」
「まあ、そのなんとかって現象は知らないけどさ、ふふっ、冷めないうちに食べよ」
「その上手いこと言ったみたいな顔も冷めるわぁ……え、嘘でしょ。何してるの?」
「え、なにって?」
「素振り!? 店の中で野球の素振り!?」
「ああ、つい癖が出ちゃったよ、ははは」
「ギアを上げてきた……まさかフルコースを味わわせるつもりなの……?」
「さあ、それは知らないけど、ほら食べようか。おいしそうだねぇ。北海道のほっくほくポテイトととろーりチーズに鬼おいしい特製オニオンソースが効いちゃったジューシーベーコンバーガー」
「その長いメニュー名を全部言っちゃうところも、もうもうもう……いや、食べ方汚っ!」
「え、そうかなぁ? んー、ふふふふ」
「ボロボロこぼしてるし……ああ、拾って食べて……ねえ、あたしと別れたいんでしょ? 最初に嬉しそうにしていたのも、あたしの方から別れ話を切り出してきたと思ったんでしょ?」
「え? いやいや、そんなことないよ、んんん」
「こうしている今も舌で歯に挟まったもの取ろうとしてるし……と思ったら指で……。鼻息荒いし、よく見れば鼻毛出てるし。ねえ、わざとあたしに嫌われるようなことしてるんでしょ。この前だってカードの残高が足りなくて改札に引っ掛かってたし」
「そ、それは仕方ないんじゃ、あ、ごほっ、すみませーん、水ください……おい水!」
「水って! ああ、しかも店員さんに気づかれてないし、態度も悪いし……はぁ、今度は何をしてくれるの? お漏らしでもしてみる?」
「ははは、それはこの前したから大丈夫だよ」
「何が大丈夫なのよぉ……もう、帰ります。望み通り、あなたと別れてあげる。さよなら」
「あ、待って! これ!」
「何よ……え、それって指輪? 嘘……まさか……」
「そう、僕と結婚してほしい。見ての通り、年寄りの身。老い先長いとは言えないけど、でも、この残りの人生を君と二人で過ごしたいんだ」
「まあ、そうだったの……あ、まさかその指輪を買うために節約を?」
「うん、年金を切り詰めてね。えと、蛙化? 君の言っていることはよくわからなかったけど、ははは、思えばカッコ悪いところばかりだね、僕……」
「ああ、今まで言ったことは気にしないで……。あたしもこの前、若い人たちの間で流行ってるとかテレビで見て、それでちょっと調べてみてつい……。ちなみに二つ意味があるみたいなんだけど、まあ、それはもうどうでもいいわ。それに、よく考えたらさっきのあなたがしたことも全部可愛く思えてきたわ」
「そ、そうかな。ははは、それでその、答えは?」
「ふふふっ、もちろん、イエスよ。あなたと結婚します。こちらこそ、老い先長いとは言えませんが、よろしくお願いします」
「はは、やった! やったぁ……あー……うん」
「ふふふっ、それで、ん……? どうしたの? 急に元気が……」
「いや、なんか、その……冷めたなって」
「え、そっちの意味の蛙化現象……?」