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人生には何の役にも立たない知識・思考をつらつらと書くエッセイ集

美味しいコロッケは、アブラが美味しい

作者: 大狼 太郎



 大阪では、揚げ物を食べて美味しかった時、何故かアブラをめる。


「この海老天、アブラ美味しいやん」

「このミンチカツ、アブラ美味しいわ」

「このアジフライ、アブラ美味しいで」


 こんな風に。


 この場合のアブラというのは、端的に言えばころもの部分の事である。

 大阪人(特に年配の)は、揚げ物の衣の部分が美味しい事、さらに言えば衣を揚げた油について、ことさらにめる事が多い。


 これは、他県民にとってはとても不思議な事らしい。

 確かに普通に考えれば、それはそうだろう。


 通常、海老天が美味しいのはエビが美味しいからだろう。衣に包まれたぷりぷりのエビ。それをかみ切れば弾力のあるエビの肉が歯を押し返す。そしてエビのうまみを含んだエキスがぶわっと口に広がりそのうま味を堪能たんのうする。

 それが、海老天のうまさの中心であるはずだ。


 ミンチカツが美味しいのは、玉ねぎと牛ひき肉の絶妙なハーモニーのおかげだろう。玉ねぎの甘味がミンチになった牛肉のうま味を受け止め、揚げたパン粉の衣と口の中で一体化し、甘味とうま味が口の中で混ざり合う。

 それが、ミンチカツの魅力のはずだ。


 アジフライが美味しいのは…………いや、そろそろしつこいので辞めておく(油だけにな、と突っ込まないように)。


 ともかく。

 揚げ物のうまさを構成するのは“具材”であり、衣や油では無い。そこはあくまで脇役。それが常識・定説のはずだ。


 ところが、大阪では揚げ物を褒める際に、具材ではなく揚げた油の方をめる。衣の部分がおいしいことをやたらと強調してめるのだ。


 これは何故か。


 大阪では、商売で良い材料を使うのは当たり前だと考えている。だから、具材がそこそこ美味しいのは当然なのだと考える。そして、アブラが美味しいとめるのは


「アブラ=衣の部分まできっちりこだわり、揚げ油は良いものを使い、さらにはアブラをまめに交換して材料費と手間をかけ、美味しい衣を提供しようとしていらっしゃいますな」


 と、そこまで店側の意図をんでめるからなのだ。


 つまり具材が美味しいだけでなく、ちゃんとアブラも美味しく感じるように手間かけておられますね、とめる。相手のお店の材料費や手間暇てまひまをかけた事までを味の評価に入れるのは、まさに商人の町の感覚と言えるのかもしれない。


 ただし、多くの大阪人は実はこんな小難しい事を考えていない。あくまで通例に従って言っているにすぎないのだが、昔から連綿れんめんと続くこの文化伝統ぶんかでんとう(偏った拘りともいう)を受け継いだ大阪人は、揚げ物をめる際に


「この揚げ物、アブラ美味しい」


 とつい言ってしまうのだ。



 さて、そんな大阪人である私が「アブラが美味しいもの」の筆頭と言われて思いつくのは、やはり肉屋のコロッケだろう。


 つぶしたジャガイモと牛肉のミンチを絶妙な比率で混ぜ合わせたタネを、サクッと歯ごたえのある衣が包み込む。イモの甘味と牛ひき肉のうま味、さらにひき肉から出た牛脂の甘味がほんのり。きっと誰もが大好きなあのコロッケだ。


 肉屋のコロッケは揚げる際に、ラード、そしてヘットという油を使う。ラードはいわゆる豚の脂身。そしてやや聞きなれないヘットというのは牛の脂身の事である。肉屋ではこれらをフライヤーに入れ、熱で溶かしたものを使ってコロッケを揚げる。


 肉屋では肉を切り分ける際に、余分な脂身を取り除くから毎日大量の脂身が出る。それをただ廃棄せず、有効活用しているというわけだ。そしてこれこそが、スーパーで売っているコロッケとの”アブラ”の違いである。


 一般にスーパーのコロッケは植物油で揚げるので、衣が油っこくなくさらっとしている。その代わり、時間がたつと衣は柔らかくヘタって、衣はサクサク感を失ってしまう。

 これは何故かというと、サラダ油が常温で液体のため、常温保存中に衣から油が染み出てきてしまうからだそうだ。


 ところがラードやヘットで揚げた肉屋のコロッケは、衣をカリカリに揚げると、数時間程度であればこのカリカリがヘタる事がない。

 これはラード・ヘットは共に常温で固体であるから。

 常温で固体だと、衣から油がどろっとにじみ出てくるようなことはない。このおかげで、時間が経ってもカリッとした食感が続くのだそうだ。


 そう、このカリッと感が、まさに「このコロッケ、アブラ美味しい」のキモである。



 商店街やショッピングモールにある、肉販売専門店の前を通りかかると、カリカリに揚がったばかりのコロッケがいい匂いを漂わせながら陳列されている事がある。コロッケなど買うつもりがなかったとしても、その匂いに釣られた人間(それは私だ)はついこう言ってしまうのだ。


「おばちゃん、コロッケ1つちょうだい」


 頼まれた店のおばちゃんは慣れたものである。


「あいよ、コロッケ1つね」


 そう返事すると、おばちゃんは流れるような手つきでコロッケをトングでつかみ、小さな白い紙袋に入れ、そのまま差し出してくる。

 そう、コロッケを店先で1つだけ買う人間が、すぐこの場でコロッケを食べようとしている事を、勘の良い彼女は知っている。だから「ビニール袋は必要ですか」などという質問はない。どこかの環境相が袋の有料化などしなくても、SDGsにのっとった行為が自然と行われるのだ。


 小さめの包み紙に入った、先ほど揚がったばかりのコロッケ。

 その包み紙も、ちょうどコロッケの頭が出るくらいになっていて、その場でかじりつくのに完全に最適化されている。実に無駄のない仕事である。


 小銭と引き換えに手に入れた、熱々の揚げたてコロッケを、店先でがぶりとかじりつく。

 揚げたての衣の火傷しそうな熱さ。イモと肉が調和した具材の甘味。それに加えて、カリカリとした衣、ラードのかもしだす甘いアブラのうま味、それらが混然一体となって口の中に広がってくる。そして私はこうつぶやくのだ。


「ああ、このコロッケ、アブラ美味しいな」


 それを聞いたおばちゃんは誇らしげにこう言う。


「そりゃ兄ちゃん、揚げたてやからな。それにさっき新しいアブラ、足したばっかりやしな! うちっは100%ラードやで。だからアブラが美味しいんや!」


 食べる人間もそれを提供した人間も、揚げ物のアブラが美味しい事を殊更に強調する。

 大阪の商店街で繰り広げられる、あうんの呼吸だ。


 熱々の美味しいコロッケが、すっかり胃に収まった。


「兄ちゃん、また来てや!」

「ごちそうさま!」


 肉屋のおばちゃんの愛想の良さと、美味しいコロッケのアブラを堪能した私は、幸せをかみしめながら帰路に付くのだった。



 近年は大阪のこういった商人気質も薄れてきて、若い人はサラリーマン気質になってきたせいか、この「アブラが美味しい」の精神を持つ人が少なくなってきているようである。

 大阪に長年住んでいるがそんな話など聞いた事も無い、という人もいるようだ。


 それを聞いて寂しく思うおじさんの私は、今日も揚げたてのおいしいコロッケに出会うと、またつい言ってしまうのだ。


「このコロッケ、アブラ美味しいな」

このエッセイを書いたあと、裏取りのために何人かの知り合いに


「揚げ物食べたときに、アブラ美味しいって言うよね?」


と聞いて回ったところ、なんと同意者が現れず。

このままではこのエッセイが嘘になる。お蔵入りだ、何とかしないとと思案。


ならば、ネイティブ大阪府民かつ年配の方ならどうかと思い当たる。


そこで先日、仕事で付き合いがある80歳の方に


「天ぷらやコロッケが美味しい時、アブラ美味しいって言いますよね?!」


って聞いたら


「言う言う! 言うよ! アブラ美味しいのが一番やな!」


と同意してもらえたことで、このエッセイは日の目を見ることになった。

ありがとう、Nさん。

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― 新着の感想 ―
後天的大阪人(ただし在阪40年以上)だけど、そういう言い方は聞いたことないですね。 でも、お肉屋さんのコロッケがやたら旨いのは完全同意。 何もつけなくても旨いんですよねぇ。
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