飛竜便と傭兵①
王立公園広場の端っこにある、あまり目立たないベンチを、二人の人物が占拠していた。
一人は緑を基調とした、詰め襟でかっちりとした制服を着込んだ青年。制服は厚手のしっかりとした縫製で、白竜節の肌寒さから着用者を守ってくれるだろう。腕には風を表す流線と飛竜を組み合わせた意匠が刺繍されていた。
もう一人は青年と比べると随分と小柄な少女。こちらは魔女の着るような真っ黒な胴衣をベースとした制服を纏っている。だぶついた印象を極力減らし、女性らしさを感じさせるよう工夫されたデザインで、胸元を箒に乗った魔女と三日月の彫られた徽章が飾っていた。
「はい、これアルちんのジュース、ここに置くね!」
少女――服装に違わず正真正銘の魔女であるメリルラーダが、両の手に持っていた木製のカップの片方を自分と青年の間に置いた。中には鮮やかな橙色をした果汁ジュースが波なみと注がれている。
「ああ、サンキュ。ほれ、こっちお前の分」
「ありがと! わ、熱々だね」
礼を言いながら青年、飛竜便の配達員であるアルヴィンが、油の染みた茶色い包みを広げる。中からまだ湯気を立てる、焼き色からして香ばしい塊肉の串を取り出してメリルラーダへ手渡した。自分の分も取り出し、ほぼ同時に二人の口に肉串が運ばれる。
「うん、いい焼き加減だ。美味いな」「あふっ、汁がっ!? あっ、熱っ」
この時期に東領で獲れる角兎は冬を越すために丸々と肥えており、ジューシーだ。
その塩気と油の乗った肉汁を堪能したアルヴィンに対し、小さな口いっぱいに頬張ったメリルラーダは、溢れ出る肉汁に溺れかける。餌をねだる魚よろしく、はふはふと空気を求めて何とか難を逃れた。
「おいおい、いっぺんに口に入れ過ぎだろ。大丈夫か」
「ううっ、くひのなは、やけどひた……」
「あーあー、まったく……。ほれ、飲み物飲め、飲み物」
「んー」
陽射しも時間の流れも穏やかな昼下がりの一幕。
二人は遅めの昼食を摂っていた。午前中の配達を終えて戻る途中の飛竜便をメリルラーダが捕まえて、最近この広場へ出店したという露店へと誘ったのである。
「――それでね、魔法具の工房をやってる人と会ったの。もうお婆ちゃんなのに、優しくて、凄い魔力の使い方が上手だったんだよ!」
以前に昼飯で同じ卓に着いて以来、二人は偶にこうして一緒に食事を摂る事がある。誘うのも話すのも、専らメリルラーダではあったが。とりわけこの日は、肉の脂と搾りたての果汁で潤った彼女の口はよく動いた。
以前、口に物を入れて喋るなとアルヴィンに注意されて以来、メリルラーダは一口食べ、飲み込み、話し、また食べ、を律儀に繰り返す。それは良いのだが、今日はそのサイクルが忙しないので、お行儀が良いのだか悪いのだか分からない。
相変わらず何処かズレた様子にアルヴィンは呆れ半分ではありつつも、小動物めいた挙動は素直に微笑ましい。返事こそ「ああ」だの「おう」だの無愛想ながらも、しっかりと話したがりの魔女の聞き手に回った。
また魔女独自の技術による魔法具は、他の魔術師では再現出来ない物も多い。その製造に関わる話は興味深くもあり、目の前の少女がその技術を持っている事に改めて感心した。
「……しかしまあ、お前も仕事頑張ってるんだな」
手に付いた脂を包み紙で拭いつつアルヴィンが呟くと、褒められるなどと思っていなかったメリルラーダは虚を突かれて、「えっ、えへ、へへ、うん、まあね」と頬を赤く染めた。
照れを誤魔化す為か、メリルラーダは「そっ、そう言えばさ、」と切り出した。
「私とアルちんは同じ運送屋さんで、お空飛ぶのが大好き同盟でしょ? だからさ、似た者同士で何か色々と情報交換とか出来たら、良いんじゃないかなー……って、前々から思ってたんだけど」
「そんな同盟に入った記憶はないが……」
とりあえず異議を申し立てつつ、アルヴィンは次の串を取り出す前に、ふむ、と思案する。
同業者として話せない事もあるが、現場で鉢合わせる事が多い間柄なのは確かだ。特に空を飛んでの運送は全く未開拓の分野で、飛竜便も魔女便も、手探りで進めている状態だ。地域ごとの情報にしたって、得るものはあるだろう。
とは言え、
「わざわざ俺……仮にもライバル会社に頼まなくても、魔女便だって同僚が何人かいるよな? 俺はあんまり見掛けた事ないけどさ」
飛竜便はアルヴィンとウラリスの一組で成り立っている、極めて特殊な事例だ。何せこれまで騎乗用の飛竜はほぼ国有で、民間に払い下げられる事が滅多になかったのである。対して魔女便には、5〜6人の魔女が所属しているとアルヴィンは記憶している。
そこを指摘すると、
「えーっと、その、うちは人によって担当地域を分けてるんだよね。私は王都から北の地域を担当してるんだけど」
「ああ、なるほど。それでよく俺と鉢合わせてるのか」
「うんっ、そうそう。それで、やっぱり近い地域で働いてる人の話を聞きたいと言うか」
ふむ、とアルヴィンは頷く。
王都の北は飛竜の産出地にも近く、山がちで険しい地形が続く。飛竜便のウリは地形に左右されない速度と積載量なので、自然とその地域での仕事が多くなるのだった。
「それに魔女便の人達はさ、……その、魔女らしい魔女が多いと言うか」
言葉を濁して目を遠く彷徨わせるメリルラーダの様子に、アルヴィンは「ああー……」と得心した。
産まれながらにして息をするように魔法を使う魔女達は、元来気まぐれで、奔放なものなのだ。
実際は本人次第な所もあるのだが、世間一般の認識としてはそんなものだし、事実そうした振る舞いを見せる魔女は多い。
魔女便という仕事に就いている以上は、ある程度は社会性の高い者達が選ばれているのだろう、とは思うが。
「……つまり、同じような地域で活動してるのは俺だけな上に、同僚のやり方はあまり参考にならない、と」
「あっ、あはは……。まぁ、うん、そうなの」
メリルラーダは一丁前に同僚達に気を遣ってか、曖昧に笑って誤魔化した。
アルヴィンからすればこの小さな魔女は小さな魔女で、会話のテンポが合わなかったり、世間ズレしている所があったり、と魔女らしさを感じてはいるのだが……。注意された事は守るし、人に害のある魔法を使っているのも見た事がない。十分に社会性のある方だろう。
「……いいぞ」
「え?」
「情報交換。仕事上、言えない事もあるだろうけど、地域ごとの情報とか、お互い知った方がいい話はあるだろ」
前にそれで相談に乗って貰った事もあるしな、とアルヴィンは付け足した。
「ほんと? やった!」
意外にあっさりと了承されて燥ぐメリルラーダに、アルヴィンは苦笑しながら釘を刺す。
「あくまでタイミングが合えばな。明日から俺はまた遠出で王都から離れるし。予定じゃ往復4日間かな」
「うんうんっ、無理してやるもんじゃないし。戻って来てからまた、ね」
気にしてないよとパタパタと手を振るメリルラーダだが、ふと押し黙って次の串に齧り付くアルヴィンをじっと見詰めた。
「アルちん、遠出ってまた北の方?」
「おう、そうだな。……どうした? 串が欲しいならもう一本あるぞ?」
つい、と。
凝視されている事に気付いたアルヴィンが包みの中に手を伸ばした間隙を縫うように、メリルラーダは自然な動作で指先を持ち上げていた。
その細く白い指先が、襟足から覗くアルヴィンの首筋にちょん、と口吻のように柔らかく触れる。不意の感触に驚いたアルヴィンがビクリと仰け反って声を上げた。
「うお!? なんだ、どうした?」
その声に驚いて、メリルラーダは我に返った。
「え? あ、あれ、私、」
彼女自身にも無意識下の行動であった。アルヴィンが北に行くと聞いた直後、気付いた時には指がその首筋に触れていたのだ。
「あっ、ち、違うの! その、虫! 虫が付いてたからら!」
「あ、ああ。なんだよ、ビックリするから先に言ってくれ。取れたか?」
「う、うん……」
羞恥と混乱で顔を赤くしながら弁明するが、咄嗟の言い訳にしては合格点だったらしい。納得するアルヴィンに、メリルラーダは密かに胸を撫で下ろす。
丁度その時、広場の中央にある時計台の鐘楼からごぉん、ごぉんと二度、鐘の音が鳴り響き、2人の間に流れた気不味い空気を遮った。
「っと、不味い、もうこんな時間か。悪い、メリルラーダ。この話はまた戻ってきたらな」
「う、うん。あ、カップは私が返しておくから、置いてって。……またね!」
アルヴィンは「悪い、ありがとな」と礼を言うと、いそいそと立ち上がった。
手をひらひらさせて彼が広場を小走りに行くのを見送ってから、メリルラーダは赤くなった顔を今度は青くさせた。
(どっ、どどどうして私、あんな事を!?)
魔力に疎いアルヴィンは預かり知らぬ事であるが――先程、指先で触れた時、メリルラーダは彼に“印“を付けたのだ。
魔女印。
魔女が残す魔力の痕跡、マーキングのようなもの。それ自体には大した力はなく、精々がおまじない程度。だが、それは同じ魔女や精霊といった、魔力の視える者にはハッキリと主張する。それが魔女のお気に入り、或いは所有物だと――
(…………い、言える訳ないよぅ)
何故そんなものを、あのタイミングでアルヴィンに付けたのか。答えは出ずに、魔女は一人ベンチの上で何度も首を捻った。
大変長らく間が空いてしまいました。全8話予定、本日2話投降します。