魔女と紛い物
「ふん、ふんふ、ふんふふーん♪」
その日、メリルラーダは上機嫌だった。
その理由は彼女の手の中、光を浴びて燦然と紅く輝く宝石にある。紅の瞳と呼ばれるこの透き通った赤く丸い宝石は、光の反射で中心部に稲妻のような金色の模様が浮き出る特徴があり、その美しさから装飾品としては勿論、魔法使いや魔女達には魔法の素材としても愛用される。
ふらっと立ち寄った自由市場で、驚くべき事に相場の半額以下の価格で手に入れた物だ。メリルラーダは魔女としては見た目通りの若輩者だが、魔法の道具を作る知識については祖母仕込みの腕利きだ。しかし宝石のような高級素材を用いるとなると、今の給金ではとてもではないが手が出せないでいたのである。
(これがあれが質のいい暗視の魔法具が作れるはず…!それで夜間飛行してみたら面白いかも!アルちんも誘ったら喜ぶかなぁ?)
メリルラーダは今の仕事に就いてから知り合った飛竜乗りの配達員の顔を思い浮かべる。あの青年は表面上こそ無愛想だが、無理矢理に追い払ったりはしないし、逆に色々と世間知らずな自分の世話を焼いてくれる。何よりも、空を飛んでいる時の彼の表情は本当に楽しげで、一緒に飛んでいるとその気持ちがメリルラーダにも伝わってくるような気がするのだ。
『こんな夜に空を飛べるなんて思わなかった。メリルの魔法具は凄いな!』
『クオォォオ!クオォォオ!(すごい!くらいところもよくみえる!)』
脳内で手放しに絶賛してくるアルヴィンとウラリスを想像してニマニマと緩む頬を、ピシャリと叩いて矯正する。
「よーし、やるぞー!」
気合も十分に、メリルラーダは魔法具作りに取り掛かる。先ずは使用する道具や素材にしっかりと自分の魔力を馴染ませるのが大切だ。この工程をいかに丁寧に行うかで、魔法具が完成した際の出力や安定性に差が出るのである。それは細い糸を一本一本編み込んでいくような、地道で繊細な魔力のコントロールが必要な技術であるが、何を隠そうこの作業は彼女の得意分野だった。
すぅ、とメリルラーダが浅く息を吸って、吐く。それを合図としたように、その身体全体が淡く燐光を帯びる。いつもはコロコロと変わる表情が人形のように消え失せ、瞳が色を無くした。音もなく持ち上がった指先が宝石にそっと触れると、そこを起点に燐光がメリルラーダの身体から宝石へと伸びて行き———
———パリン!
*
「———ぅあ………。」
住まいから外に出るなり、真上から眩い太陽に照らされ、半開きの口から屍者のごとき呻きが漏れる。
その日、アルヴィンは疲れ果てていた。
事の始まり大体二週間ほど前からだ。昨日今日の二日間で開催される自由市場に合わせ、メイザール運送には各地から配送の依頼が殺到していた。そんな中、飛竜便の乗り手であるアルヴィンは文字通り東奔西走した。休む事もなく各地を飛び回り———実際に飛んだのは飛竜のウラリスだが———ようやく念願の休みを手に入れたのは自由市場も二日目になってからだった。
昼過ぎまで寝過ごしたのは計算外だったが、元々人混みに揉まれるのはあまり好かない性質だ。人が少し掃けてからの方が動きやすいだろうと気を取り直した。
(とりあえず露店で食い物買って、あとは売れ残りで安くなってる品がないか見て回るかー)
気怠さの残る身体を奮い立たせて、アルヴィンは自由市場が開かれる王立公園広場へと足を向ける。
*
王都エステンシアの自由市場、と言えば近隣の国まで噂が届く程で、あらゆる人と物がこの二日間に集うとまで言われている。
元々は戦後の一周年を記念して催されたこのイベントは、あまりの好評ぶりに翌年には年二回、そして三年目となる今年は年四回開催される予定だ。
四季節毎に一回となっており、今回はその三回目、赤竜節の自由市場であった。
*
———じゅわり。
タレのたっぷりと絡んだ肉を噛み締めた途端、中から大量の脂が溢れ出した。それが甘辛いタレと合わさり、旨味の奔流となって口内を満たす。それらをサンドする焼き立ての麵麭もまた格別だ。焼けた小麦の香ばしさが脂っこさを中和し、一つの料理としてその完成度を何倍にも押し上げている。
(うっっっっま!!!)
露店で買った焼肉サンドの驚くべき美味さに、アルヴィンのしょぼくれていた目が見開かれる。
配送先で見掛けた記憶のある店名だったので、試しにと思ったが大当たりだった。次にあの街に配送があった時は必ず店に立ち寄ると心に誓った。
あっという間に焼肉サンドを食べ尽くしたアルヴィンは、満たされた腹をさすり、ベンチに腰掛けたままこの後の予定を検討する。
珍しい食材を探してみるのもいいが、数日間家を空ける事も多い生活だ。それよりも白竜節に向けて、厚手の上着を探すのが良いかもしれない。
雲一つない空を見上げながら、頭の中で欲しいものをリストアップしていると、その耳に聞き憶えのある声が飛び込んできた。
「あーっ!!!見つけたー!!!」
反射的に上下左右と見渡すが、怪訝な顔をした通行人と目が合うだけで、彼が想像した魔女の姿は見えない。
聞き間違いか、とほっと息をついた所で、露店の連なる道の少し先に人集りが出来ているのに気が付く。嫌な予感がしつつも、何故か見て見ぬふりが出来なかったアルヴィンは恐る恐る人集りに近付いて行った。
*
「………だからぁ!ほんの少し魔力を込めただけで、割れちゃったの!これ紅の瞳じゃないよ!」
やはり聞き間違いではなかった。
人垣の向こう、とある露店の前で騒ぎ立てているメリルラーダの姿を認め、アルヴィンは天を仰いだ。
(あいつ何やってるんだ………)
メリルラーダに食って掛かられている店主は、この辺りでは珍しい、黒髪に浅黒い肌の若い男だ。遠い異国から自由市場の為にこの国を訪れたのだろうか。
男は宝石商のようであった。設えた展示机の上には大小様々、赤青緑に無色透明と、きらびやかに輝く宝石が区分けされた箱の中に整然と並ぶ。宝石だけではなく、その横には指輪や首飾りといった装飾品も見栄え良く展示してあった。露店ながらも雑多な印象を見せず、手に取りやすさと特別感を両立させる、程良い高級感が醸し出されている。
———いや、
とアルヴィンはそれぞれの宝石の前に置かれた値札に目を留めた。国を渡れば宝石の価値も変わる、それは当然だが、
(随分と安いな?本物だとしたら相場の半額くらいじゃないか?)
「お嬢ちゃんが魔法使いだって?おままごとは他所でやるんだな。大方転んだとか何処かにぶつけたとか、そんな所だろう?」
「んなっ、私ちゃんとした魔女だよ!転んだりとかもしてないよ!」
アルヴィンが露店を観察している間に、店主と魔女の攻防は加熱していた。とは言え、一方的にメリルラーダがあしらわれているように見える。彼女がいつもの魔女制服ではなく、質素なワンピース姿なのも侮られている原因だろう。周囲の人間も、彼女が本物の魔女だとは思っていない、それどころか、子供が何やら騒いでいるぞと物見遊山の空気すら漂っていた。
「大体ウチで買ったってのも本当だかどうだか。その辺で拾ったガラス玉で言い掛かりを付けてるんじゃないだろうな!」
「うぅぅ、そんな、これ、昨日ちゃんとここで買ったのに……!」
そのまま勢いで押し切れると踏んだ店主の剣幕に、周囲の揶揄するような空気も感じ取って、気丈に振る舞っていたメリルラーダの語気が萎んでいく。
涙目で店主を睨むその手には丸まったハンカチがある。おそらくそれに割れた宝石とやらが包んであるのだろう。アルヴィンは溜め息を吐くと、ちょいと失礼と人垣を割って、彼女の背後に忍び寄る。店主との遣り取りに夢中で気付かないその背中越しに、ハンカチの中、粉々になった赤い破片を覗き込む。
「ははぁん………こりゃ確かに紅の瞳じゃないな」
頭のすぐ上から聞こえてきた声に、メリルラーダが慌てて振り向く。そこにある見知った配達員の顔を認めて、潤んだままの目を瞬かせた。
鳥の雛のように口をパクパクさせるメリルラーダを横目に、アルヴィンはそっと破片の一つを摘み上げ、敢えて声高に店主に告げる。
「紅の瞳は金色の模様を中心にして、真っ二つに割れるんだ。落としたり、ぶつけたりした程度じゃこんな粉々になったりはしない」
「な、なんだい、アンタもケチを付けようって———」
突然の乱入者に慌てる店主の言葉を遮るように、アルヴィンは整列する宝石の中から、無色透明なものを手に取る。太陽に翳したりと角度を変えて観察した後、はぁっ、と息を吹き掛けた。秋の寒気で冷たくなっていた宝石が、吐息の熱を受けて白く曇る。
「あ、おい、お前売り物に何を———」
「………曇りが中々消えないな。本物の耀輝石は透明度の関係でこんな曇りはすぐに消えるんだ。これも偽物だな」
『やだ、私さっきそこでこの宝石買っちゃった』『おい、さっき買ったこの指輪、まさか………』
態々説明するように告げるアルヴィンの姿に、周囲の人々がざわめき出した。これには店主も分が悪いと聡ったらしい。先程の剣幕はどこへやら、顔色も悪くへらへらとした愛想笑いを浮かべた。
「あっ、いや、その………俺も偽物掴まされちまったかな、ハハ、参ったな………」
「なんだ、あんたも騙されたのか?てっきりその辺で拾ってきたガラス玉を売ってるのかと思った」
「い、嫌だなぁ。そんなわけないじゃないですか。ちょっと、仕入元に文句を言って来なきゃなあ。今日は店仕舞いかな、ハハハ」
自分の言葉をそっくりそのまま返されて、頬を引き攣らせた店主がそそくさと宝石の箱を仕舞おうとする。その手を、アルヴィンがしっかりと抑えた。
「とりあえず偽物だって事なら、この娘の買った分は返金して貰えるよな?おい、幾らだ?」
未だに状況の変化に付いて行けず、目を白黒させていたメリルラーダが上擦った声で返事をする。
「あっ、は、ハイッ!金貨15枚ですッ!」
「だ、そうだけど」
「す、すぐにお返しいたしますっ!」
メリルラーダが脂汗の止まらない店主から滞りなく金貨を受け取るのを見届けると、アルヴィンは仕事中ですら滅多に浮かべない笑顔を浮かべる。そしてにこやかな声色のまま、声を張り上げた。
「良かったな!店主がいい人だったおかげで、お金を返してして貰えたぞ!」
途端、周囲が色めきだった。
『ねえ!これさっきアンタの所で買ったんだけど!』『この指輪は本物だろうな!?』
聴衆の中にはそれなりに購入者がいたらしい。アルヴィンの勝利宣言に、固唾を飲んで成り行きを見守っていた人々が店主の元に殺到した。
「ぬあっ!ちょっ!待っ……!!!」
偽宝石商は恨みがましい視線を二人へ向けたが、その姿は人波の勢いに押し出されて、すぐに見えなくなった。
*
騒ぎを聞き付けた衛兵がやって来たのはそのすぐ後だ。周囲の人々に詰め寄られ、逃げる事すら出来なくなった店主がしょっ引かれて行くまでの様を、メリルラーダはずっとぽかんと眺めていた。
「………メリルラーダ、口が開きっ放しだ。虫が入るぞ」
慌てて口を閉じたメリルラーダだったが、すぐにまた勢い込んで口を開いた。
「アルちん、なにあれ、どうやったの!!どうなったの!!!」
真ん丸の目を宝石のようにきらきらさせて見上げてくるメリルラーダから、アルヴィンが瞳を逸した。
「あー、目利きは、昔ちょっとな。それに、最近増えてるんだってよ、自由市場で偽物やら盗品やら売りつける手合いが」
ほえー、と感心しきりのメリルラーダの口は、もうすっかり閉じるタイミングが分からなくなっている。
「あ、でも、何で偽物だって信じてくれたの?店主さんも周りの人も、私のこと完全にこっ、子供扱いだったのに」
その問いに視線を戻したアルヴィンは、不思議なものを見るように眉を寄せて、さも当然とばかりに答えた。
「何でってそりゃ、お前は大切な物を落としたりぶつけたりなんてしないだろ」
相変わらず彼の態度はぶっきらぼうで、素っ気ない。それが配達員として同等に見ている証だと、メリルラーダはこの時に気が付いたのだった。
「………ぅえ、えへへっ、えへ」
「うおビックリした!急に変な声出すなよ!?」
開きっぱなしだった口元は、今度はふにゃふにゃと形を失って、もう完全に閉じ方を忘れてしまったようだった。
(魔法具なんて無くても、褒められちゃったな)
飛竜便と魔女便、ライバル会社の配達員同士。アルヴィンが口を酸っぱくして言うその関係性は、確かに決して交わらないように見える。でも、その2つは隣り合っていて、案外と近い位置にいるのかもしれない。
そんな事を考えながら、メリルラーダは彼に心からの礼を告げた。
*
———このすぐ後、アルヴィンは参考人として衛兵に同行を要請され、王都に住まう一市民として治安維持に“快く“協力する羽目になった。解放され詰め所を出た頃には日はすっかり落ち切っており、当然ながら自由市場はとっくに終わっていた。
こうしてアルヴィンの短い休日は終わりを告げたのだった。