飛竜便と傭兵⑧
「よいしょ……っと! これ、ここに置いとけばいいッスか!」
「ああ、そこに積んでくれ。青い目印の付いてるやつな」
盗賊騒ぎから、一日。アルヴィンはようやく飛竜便の本来の業務に戻る事が出来た。即ち、荷降ろしである。
予定であれば昨日中に荷物を届ける筈ではあったが、街に着いたのは夕刻過ぎ。その後に衛兵への報告や捕獲した盗賊への引き渡しを行えば、とても客先を訪問出来るような時間ではなかった。
グレイン率いる護衛団の一部はそこから宴会へと繰り出したようだが、心身共に疲労困憊だったアルヴィンは丁重に辞退させて頂き、翌日、街が動き出すと共に仕事を開始したのだった。
配送先を回り、予定より遅れた事を謝罪しながら運んで来た荷物を積み下ろしていく。運送屋の仕事が特別向いているとは思っていなかったアルヴィンだが、昨日あまりに非日常な体験をしたばかり。こうしていつも通りの行動をなぞっていると安心感を覚えるのだから、不思議なものだ。
顔馴染みの雑貨屋に荷物を運び込み、店のおかみに目録を確認して貰いながら、アルヴィンは日常のありがたみを噛み締めた。
「はい、大丈夫よ。ご苦労さん。……それにしても、飛竜便さんも気のないフリしてやる事やってるのねえ!」
いや、いつも通りではなかったかもしれない。
「いや、そんなんじゃないです。あの子は昨日――」
「聞いたわよ。大捕物したんでしょ? ついでにあんな若い子も捕まえてたなんてね、フフフ」
「いやいやそんな訳ないでしょう。大体そういう話をするには若過ぎます」
「ええ〜? でも、お手伝いもサマになってるじゃない。アタシャてっきり」
「何の話ッスか〜?」
物怖じせず会話に入って来たのは護衛見習いの少女、エレザである。
何故か、この少女。朝方から仕事に出ようとするアルヴィンの元を訪れるなり、迷惑を掛けたお詫びにと、仕事の手伝いを申し出たのである。
当然アルヴィンはそんな事はしなくていい、と突っぱねたのだが、雛鳥のように後を付いて来て、実に自然に配送先の人物との会話に加わり、荷降ろしに加わった。アルヴィンが止めたら止めたで「こんな小さな子が手伝いたいと言ってるんだ、手伝わせてやれ」と客先から逆に怒られる始末だ。実に理不尽であった。
そのままなし崩しに二件目、三件目と同じ事を繰り返されれば、アルヴィンも諦めるというもの。
「うふふ、貴方みたいな可愛い子がお手伝いしてくれて、アルヴィンさんも幸せ者だねって話よぉ」
「えへ、そんな可愛いだなんて、照れるッスよぉ〜。それに、おにーさんは命の恩人なんで、こんなもんじゃまだまだ恩返ししたとは言えないッス!」
「あらら、命の恩人だなんて! 盗賊に囚われた貴方を助ける為に、単身で敵陣に乗り込んだって話は本当なの?」
「あ、その話聞いちゃいますか? そうなんスよ〜、あの時のおにーさんは本当格好良くて――」
また普段から年嵩の護衛達に囲まれているだけあって、エレザは会話が達者で大人受けが良いのである。
話が弾みそうなのを察知したアルヴィンはすかさず離脱を決意する。
「あーあー、ちょっと配送がまだ残ってるんで! 只でさえお待たせしてるんで、この辺で失礼しますね! 飛竜便をまたよろしくお願いします!」
「あっもう行くんスか!? おばさーん、またねー!!」
慌ててその場を離れるアルヴィンに引き摺られながら、にこやかに手を振るエレザ。雑貨屋のおかみはそれを暖かい目で見送った。
「……それにしても、何で俺が盗賊退治に協力したのが行く先々で知られてるんだ? しかも何かちょっと脚色されてないか?」
「それはおやっさん達が昨日のうちに酒場で吹聴して回ってたからッスね。例の盗賊が賞金も出るらしくって、そりゃもうご機嫌で話してました」
「グレインさん達か……余計な事を……」
「あと商人の人達も出入り先に良い土産話が出来たって言ってました」
「………………。」
多少無理をしてでもその場に居合わせた方がまだ良かったかもしれないと、アルヴィンは呻いた。
華やかで話題に事欠かない王都近辺や、日々多種多様な情報が行き交う南領なら兎も角、環境の厳しさから娯楽に乏しい北領である。盗賊団の撃退とそれに飛竜便が関わっていたなど、話題性としては十分に過ぎた。
この噂は僅か一夜にして、尾鰭背鰭がついて街中に広まっていたのであった。
*
最後の配達を終え宿に戻る途中、二人はマルシムと鉢合わせた。
「おやアルヴィンさん。エレザさんも」
「ああ、マルシムさん。お疲れ様です」
「お疲れ様ッス!」
壮年の商人は相変わらずの穏やかな様子だが、幾分か高揚した様子に見えた。
「お二人とも、昨日はありがとうございました。お陰様で無事に商いを続けられております。それどころか、お客様との話題が弾みまして、今回の出費も十分に補填出来そうです」
「…………ここでもか…………」
「おや、お疲れのご様子ですね?」
がくり、とアルヴィンは項垂れた。
怪訝な表情のマルシムに、半日程の行動を伴にしたエレザが訳知り顔で解説する。
「おにーさんは話題にされるの苦手みたいッス。……もっと堂々としてればいいのに」
「はは、それはそれは。あれだけのご活躍をされたのに、謙虚ですね」
「いや、あんまり目立つ事はしたくないんですよ……。今更ですけど」
「飛竜便自体が目立つ存在ですから、中々難しいかもしれませんなぁ」
それなら、とマルシムは続ける。
「昼食がまだなら、ご一緒に如何ですか? その調子ですと落ち着いて食事も出来ないでしょう。……個室のある飯屋をご紹介しますよ」
アルヴィンは一も二もなく頷いた。
そうしてマルシムに連れて来られたのは、ありふれた大衆食堂だった。個室と言う事で品の良い食事処を想像していたアルヴィンは拍子抜けしたが、気軽な商談などで使う店だと言われて納得した。なるほど旅商人との商談で、気取った場所では逆に話が弾まない事もあるだろう。
マルシムに薦められるままに注文を済ませ、運ばれて来た四人前はありそうな大鳥の照り焼きをエレザが張り切って切り分け始める。真っ先に自分の皿に入れている辺り、取り分けるのではなく自分が食べたいだけであった。
マルシムはそれをにこやかに眺めながら、アルヴィンに葡萄酒を注ぐ。
「それで、アルヴィンさんはこの後は如何されるので?」
「あー、今日のうちにもう少し北まで行ってから、王都まで戻る感じですね」
「ふぇ? ほういっひゃ…………んっングっ、もう行っちゃうんスか!?」
今日一日はこの街に居ると思っていたエレザが、頬張っていた肉を慌てて飲み下した。
「あー……予定より半日遅れてるしなぁ。練兵場を二日も間借りするのも悪いし」
「練兵場、ですか?」
「この街にウラリスを預けられる宿が無くて、衛兵の練兵場を借りてるんですよ」
意外な単語に目を瞬かせるマルシムに、アルヴィンは説明する。元々飛竜はその9割が軍属である。その為、各地域に遠征をする時は、飛竜を休ませる場所の確保に軍関係の広いスペースを間借りするのが慣例だった。飛竜便もその慣例にあやかっているのである。
「ああ! 確かに竜騎士が来た時もそこに降りますね」
「よくご存知で……そう言えば兵舎に武器を卸してる人もいるんでしたっけ」
「この辺りまで来ると大手の商会も中々手が回らないですからね。我々のような人間にも声が掛かるのですよ」
「へーそうなんスね……。って、そうじゃなくて! もっとゆっくりして行ったらいいじゃないスか! おやっさんも、今日こそは飛竜便の旦那に酒を奢るぜって息巻いてましたよ!」
むしろそこから逃げ出したい気がするな、とアルヴィンは思いつつも、「ごめんな。こっちはちょくちょく来るから、また機会があればって事で」とエレザを宥める。
「商売は信用が大事ですからね。それに、こちらにとっては僅か一日の遅れでも、相手にとって一日の価値は違うかもしれませんし」とマルシムから援護射撃が飛ぶと、さすがのエレザも「うぅ〜……そうッスよね」と肩を落とすが、すぐにまた勢いよく顔を上げた。
「……仕方ないッスね! でも次は絶対!ですからね! 覚悟してて下さいよ!」
「お、おお……」
アルヴィンが面食らっている間に、エレザは手を止めていた分を取り戻すかのように、再び肉をいそいそと頬張った。育ての親譲りであろう割り切りの良さに大人二人は顔を見合わせ苦笑いを交わせ、食事を再開したのだった。
食後、食事代を支払うと主張するマルシムに対し、最初アルヴィンは断ろうとしたが、海千山千の商人にどちらかと言えば話下手なアルヴィンが敵う訳もなく。
「なに、アルヴィンさんの話題でこちらも稼がせて貰いましたからね。名前を使わせて頂いたお詫びと言う事で」
「そうッスよそうッスよ! ……あれ? でもアタシも一緒に奢って貰って良かったんですか?」
「はっはっは。エレザさんを救出に向かった所まで含めで美談になってるので、構いませんよ。
……むしろアルヴィンさんに奢らないとなると、エレザさんにもお支払い頂く事に……」
「えーーっ!? アタシ今お金持ってないっッス!!」
エレザまで引き合いに出されてはお手上げと、アルヴィンは早々に白旗を上げた。
「あーあー、分かった。分かりました。大人しく奢られますよ。……マルシムさん、ご馳走様です」
「ご馳走様ですっ!」
「いえいえ、お口に合ったならそれは何よりです」
マルシムに礼を言いながらアルヴィン達が店の外に出るなり、エレザがしゅ、と手で敬礼の真似事をして、「じゃ、アタシはこの辺で。おにーさん、飛竜便の手伝い、楽しかったッス!」と別れを告げた。
何となく練兵場までエレザが付いて来るような気になっていたアルヴィンは少々拍子抜けした気分だが、そもそも配達を手伝っていたのがおかしいのだと思い直す。
「ああ、俺だけだったら質問攻めに合ってたろうし、何だかんだ助かったよ。まだ護衛の仕事続けるんだろ? あんまり無理はしないようにな」
「気を付けるッス! おにーさんも、お仕事頑張って下さいね!」
「ああ、そっちも。グレインさんにもよろしく言っといてくれ」
「了解ッスー! それじゃ!」
午前中、子犬のように纏わりついて来たのが嘘のようにあっさりと、エレザは踵を返した。その割には、何度も振り返っては手を振る、その姿が街角に消えるまでを残った二人は見送った。
「……それでは、アルヴィンさん、私もここで。またご縁がありましたらご一緒しましょう」
「あ、はい。マルシムさんもお気を付けて」
*
街の外壁に隣接した練兵場、100人程度は入れそうなその一角で、ウラリスは遠巻きに様子を伺いつつ訓練を行う兵士達を気にする素振りも見せず、すぴすぴと寝息を立てていた。何か好物を食べる夢でも見ているのか、むちゃむちゃと口が動いている。
「場所、お借りしてすみませんでした。……あの、これ、いつもお世話になってるので。皆さんで食べて下さい」
「や、これはお心遣い痛み入ります」
アルヴィンが案内してくれた兵士にお礼がてら手土産を渡すと、壮年の男は顔を綻ばせた。昼食の際、マルシムに薦められた菓子店で購入した、クッキーの詰め合わせだ。男所帯では甘い物を食べる機会が少ないらしく、案外と好評な様子である。
人の近付く気配を感じてか、ウラリスが器用に片方の瞼を上げた。その瞳でアルヴィンの姿を認めると、くぁぁっ、と首から尻尾から翼から、全身を大きく伸ばした。
「ウラリス、待たせたな。用事は終わったから、そろそろ出発しようか」
軽く巻かれた首筋の包帯が気になるのか、ふんふんと首筋に寄せられた鼻先を撫でやりつつ、アルヴィンはテキパキと鞍、荷箱を始めとした装具に緩み傷みがないか点検していく。物珍しげにその様子を眺める兵士を横目に、ものの30分程度で出発の準備が整うと、ウラリスが空へ首を擡げて機嫌良さげに喉を鳴らした。
「では、お気を付けて。この度は盗賊の撃退へのご協力、有り難うございました」
去り際、敬礼する兵士に頭を下げ、合図と共に練兵場を飛び立つ。
次の目的地へ向かおうとしたアルヴィンは、練兵場の入り口辺りが妙に騒がしい事に気が付いた。目を遣れば20〜30人ばかりの人集りが出来ている。アルヴィンの意識が向いたのを汲み取ったのか、「あ、おい」ウラリスがそちらに首を向けた。
――ぉ……ぃ
――ひりゅ…………だんな……
――……にーさ……ん
風が運んで来た声に聞き覚えがあるような気がして、アルヴィンは目を瞬かせた。
「グレインさん?……エレザに、ガルダさん、……マルシムさんも?」
グレインのよく通る声は勿論、小柄なエレザの赤髪やガルダの禿頭はよく目立つ。全員ではないのだろうが、昨日の騒動で居合わせた護衛達ばかりか商人達まで。めいめいに手を振り、声を張っている。
「飛竜便の旦那ぁー! 今度は一緒に飲もうなぁー!!」「アンタのおかげで助かったぜー!!」「飛竜格好良かったぞー!!」「おにーさーん! またねー!!」「アルヴィンさーん! また何処かでー!!」「ウラリスちゃーん! かわいいー!!」「今度会ったら割引するぜー!!」
背の低さをカバーしようとぴょんぴょん跳ねながら手を振るエレザの得意気な顔を見て、いやにあっさりとした別れ際の様子にアルヴィンは得心がいった。おそらくこの後街を出ると聞いて、急いで皆を集めて回ったのだろう。その様子を想像して苦笑いしながら、
「ウラリス、ちょっと挨拶してから行くか」と、通り過ぎざまに、彼らの頭上すれすれを旋回する。ウラリスもオヤツをくれた少女の顔は憶えていたのだろう、その際に軽く一鳴きを残して行く。
ウラリスの巻き起こした風に歓声を上げる彼らを背に、飛竜便は次の街へ向かう。
「……今回は大変だった。次の街までは何も起こらないといいな」
『クァウ!』
白竜節の空が見せた束の間の暖かな陽射しの中、鞍上のアルヴィンがぼやいた。言葉とは裏腹にその口元が綻んでいるのを知ってか知らずか、ウラリスもまた機嫌良さそうに声を上げて応えた。