飛竜便と傭兵⑤
作戦会議から凡そ一時間ほどの後、隊商の一行は森の縁まで歩を進めていた。もう昼を大きく周り、白竜節の空は早くも西側から赤く染まり始めている。
「……盗賊達の姿は見えないですね」
「ま、さすがに身を隠してらぁな」
長く伸びた木々の影から顔を出せば、すぐ目の前を走る街道が見える。そこから少し進めば、先ほどアルヴィン達が上空から偵察してきた丘陵地帯へと到着する筈だ。
「アタシらが中々出て来ないから、諦めてどっか他に行ったって事はないッスかね?」
隊商と護衛、2人の頭の会話を傍らで聞いていたエレザの言葉を、グレインは丘の上に目を凝らしたまま否定する。
「いや、兎が巣穴から飛び出すのを待ってりゃいいんだ。他に行く理由がねえよ……、ほら、あそこだ。いるぜいるぜ」
商人達には幾ら目を凝らした所で、丘の上には茂みと木立しか映らないが、この男には盗賊達の姿が見えているらしい。早々に盗賊の発見に見切りを付けたマルシムは護衛頭に向き直った。
「それでは、予定通りに行きますか?」
「おう、そうだな。のんびりしてる時間もねえ」
グレインはそう言って背後を振り返る。そこには彼の仕事相手である商人、そして護衛達が集まっている。その表情はまちまちだ。不安そうに眉を下げる者、自信ありげな笑みを浮かべる者。
だが、盗賊達に自らの飯のタネをくれてやろう、などという博愛精神に満ちた顔は一つもない。
(……上等、上等)
グレインは唇を湿らせてから、よく通る声を響かせた。
「よぉし野郎共、さっきは後手に回っちまったからな、意趣返しと行こうぜ!」
まだ潜伏中であるため鬨の声とはいかないが、「おう」だの「やってやるぜ!」だの「野郎じゃないッス!」だのと威勢の良い返事が上がり、商人達が馬車へ乗り込み荷物の固定を、護衛達は自らの装備の具合をと、めいめい戦いに向けて確認を行っていく。
戦いに参加する護衛達はともかく、商人達まで妙に血気盛んなのは、自分達が考え、手を動かした作戦という事もあるが、味方側に飛竜がいるという状況も影響していた。竜騎士ではないにしても、飛竜と共に戦うという状況は王国民にとって心を擽るものなのだ。
「街に着く頃にゃ丁度酒が美味い頃合いだ。祝賀会じゃ飛竜便の旦那に一人一杯ずつ奢るとしようぜ!」
本気か冗談か分からぬ物言いに笑いが起こった。アルヴィンが居れば「30杯も飲めるか!」と辞退していただろうが、今、この場に彼と飛竜の姿は無かった。大事な『配達』の為に別行動中だ。
4台の馬車、12頭の騎馬の準備が整ったのを見計らって、グレインは先頭の馬車から顔を覗かせるマルシムと視線を交わし、頷きを一つ。
「そんじゃ行くぜ! 出陣だ!」
号令が響き渡り、グレインの騎馬を先頭とした一団は木立を抜け、一個の生き物のように一塊となって森の外へと飛び出した。
隊商の一団は街道に乗ると、石畳を踏み鳴らす音も高く丘陵地帯へ向けて疾走する。
街道は広く、隊商の馬車2台分ほどの幅がある。普段であればすれ違えるよう一列になって進むのがマナーだが、今に限っては馬車2台が横に並んだ二列縦隊だ。
「そろそろ来るぞ! 右側、盾用意! 隊列を崩すなよ!」
最初の丘が近付いて来た時、グレインが号令を掛けた。了解、の返事と共に右手に大盾を構えた護衛の騎馬が4騎、速度を上げてそれぞれ馬車を牽引する馬の横に付いた。弓矢によるまぐれ当たりを防ぐための対策だ。
盾は騎士や兵士が拠点防衛で扱うような大仰なものだ。兵舎に卸す予定だったものだが、これを持ち込んでいた商人が居たのは飛竜便が通り掛かった事に次ぐ幸運だろう。盗賊にタダでくれてやるよりは百倍マシだと、快く護衛達に提供されたのだった。
当然、大き過ぎて騎乗したまま戦闘が出来るような代物ではないが、構えたまま馬車に合わせて走る程度であれば何とか可能だった。
グレインの号令から数秒遅れて、風切り音と共に丘上から何本もの矢が飛来する。
半数近くは馬車の手前、或いは前後の地面を抉ったが、数本は先頭の馬を守る大盾に弾かれ、残りはドスドスと鈍い音と共に馬車の側面へと突き立つ――そして幌を貫通する事なく、そこで止まった。
馬車の中から悲鳴混じりの歓声が上がる。
あらかじめ向かって右列の馬車は荷台の右側に、左列の馬車は左側に、それぞれ荷箱等の硬い物を集めて寄せ置いたのだ。荷物を使った即席の防壁である。
歓声は目論見通り機能した事を喜ぶもので、悲鳴は当たり所が悪く商品が破損でもした時のものだろう。
「状況報告!」
鋭いグレインの声が飛び、直ぐ様に馬車に乗る護衛から報告が返る。
「1番馬車、被害なし!」「2番馬車も被害なし!」「後ろから馬も来るッス! いち、にー……3騎!」
「まだ仕掛けては来ない筈だ! 狙わなくていい、近付いたら弓矢で牽制だけしとけ! すぐ次の矢が来るぞ! 左側盾持ち、用意!」
再びグレインの号令が響き渡り、今度は左手に大盾を構えた2騎が、隊列左側面の馬を護る位置へと着いた。
そして方向だけを変えて、先程と同じ光景が繰り返された。荷台の防壁が、大盾が、放たれた矢をいなして行く。
それでも運の悪い者はいるもので、後続の馬車の中から悲鳴が上がった。今度は商品の破損を嘆いたのではなかった。痛みに対して人が反射的に上げる悲鳴だ。
「左側、状況報告!」
「3番、被害なし!」「4番、矢が天井を抜けて来た! キースが腕をやられた!」「馬が追加ッスよ、また3騎! 全部で6騎が後ろに来てるッス!」
元より、被害をゼロにする事など不可能なのだ。それを考えれば、即席の防御策としては上々の成果だろう。
とは言え、盗賊側も大きな被害こそ与えられなかったが、隊商は弓矢により本命部隊の待つ蛇行した街道の先へ追い込まれている。逃げ道を塞ぐ為の後続もしっかりと後ろに付けており、ここまではお互いに目論見通りだろう。
「今のうちに止血をしっかりしとけよ! ここからが本番だぞ!」
いずれにせよ、3つ目の丘は正面に迫って来ていた。変わらず先陣を切るグレインの目には、その上で待ち構える盗賊達の姿が映っている。もう幾らか進めば弓矢による牽制、その後には騎馬による突撃が控えているだろう。
これらの攻撃を前に一度でも足を止めれば、そこで後ろにピッタリと張り付いた後続に挟み撃ちを喰らい、一網打尽だ。
焦げ付くような空気感にグレインは無意識に唇を湿らせ、鋭く告げる。
「よし、笛だ! 鳴らせ!」
護衛頭の号令を受けて、馬車の荷台からピゥ――、と風が谷間を抜けるような、細く高い音が響いた。
*
時間は少々、遡る。
アルヴィンとウラリスの姿は、隊商達から少し離れた木立の中にあった。彼等からの合図があればいつでも飛び立てるようにはしているが、それまで今少し時間がある筈だった。
手を冷やさないように擦ったり、息を吐き掛けつつ待機しながら、アルヴィンは数十分前の出来事を思い返していた。
『すまねえな。戦闘は俺らの仕事だしよ、手を煩わせたくはないんだが』
アルヴィンが隊商と別行動を取る前、飛竜に騎乗しようとするアルヴィンに、グレインはそう声を掛けた。
『……旦那は荒事が苦手なのは見てて解ってんだ。だから無理する必要はねェ、足留めだけしてくれれば後は俺らが何とかするからよ』
こんな時だし構わないさ、と苦笑いを返して出発したアルヴィンだったが、実の所グレインのその洞察は半分合っていて、半分は違っていた。
荒事が得意と言うつもりは無いが、特別に苦手と言う訳ではないのだ。彼が争い事を避けるのは、飛竜を戦いの道具に使う事への忌避感だ。
平和なだけで渡って行けるほど、世界は平和ではない。戦争は起こるし、今まさに巻き込まれているこの状況だってそうだ。
それでも、飛竜を人の都合で戦わせて良いのか、という疑問は、彼が飛竜に乗り始めた頃からずっと胸に燻り続けている。
手を暖める為に吐いた白い息は、いつの間にか重い溜め息となって沈んで行った。
――不意に、『ヴルルゥ』と不満げに喉を鳴らす音が聞こえた。
気付けばウラリスが首を巡らせて様子を伺っていた。視線が合うなり、顔を寄せアルヴィンの頬にその長い舌を伸ばす。
「どうしたウラリ……わぶっ!?」
ザラリとした感触がアルヴィンの顔半分を下から上へと撫でて行った。二度、三度と念入りに唾液塗れにされ、擦られた頬の皮膚がピリピリとひりつく。
「ちょっ、わっ、……分かった、待て、ストップ!!」
手を顔と舌の間に挟み込むと、ようやく舌は口の中に引っ込んだ。隊商達の元に居た時にエレザにそうしたように、毛繕いならぬ鱗繕いは飛竜の愛情表現の一つとして一般的ではあるが、この賢い飛竜がこんな悪戯のような真似をするのは珍しい事だった。
「うお、ベトベトじゃないか……。なんだよ急に」
顔を拭いつつぼやくアルヴィンに、彼の長年の相棒は行動を以て応じた。
翼をばさりと一打ちし、尾先はびしりと地を叩く。喉を唄うようにルルルゥと鳴らし、問い掛けるような視線がアルヴィンを見据えていた。
――飛ばないの?
そう言われたような気がして、アルヴィンはまじまじとウラリスを凝視した。
その時、ウラリスが東の空に顔を向け鋭く鳴いたので、予備の竜笛が鳴らされた事をアルヴィンも悟った。丘の向こうから響く笛の音はアルヴィンの耳にまでは届かなかったが、飛竜にとってはこの距離で竜笛の音を聞き漏らす事はまずない。
アルヴィンの疑問には、誰が答えてくれる訳でもない。だが相棒が飛ぼうと言っているのであれば、ここで躊躇する理由などなかった。
「悪い、飛ぶ前に余計な事を考えたな。……行こう!」
チラリと相棒の背に載せられた荷を確認して、アルヴィンは竜笛を勢い良く吹き鳴らした。
意を得たとばかりにウラリスは勢い良く翼を打ち鳴らし、笛の奏でる細く鋭い風の音に乗る。後ろ脚で強く大地を蹴り、潜伏していた木立を突き破るようにして飛び立った。
――空に舞い上がれば、そこは盗賊達の潜む丘、街道から見ればその裏手にあたる場所だ。隊商達と別れたアルヴィンは、一度大きく迂回してここで合図を待っていたのである。
丘陵がみるみる内に近付き、その向こうには街道を駆けて来る隊商の一団、そしてまさに街道に向けて突撃しようとする盗賊達の騎馬がアルヴィンの目に入った。
タイミングとしては完璧と言っても良かったろう。眼下がにわかに騒然とした。街道からやって来る隊商に気を取られていた上、その反対側からの西陽を背負っての奇襲だ。盗賊達が浮足立つのも当然と言えた。
「マズい、飛竜だ!」「馬をやられるぞ!」「まだだ! 引き付けて射て!」
それでも弓を持つ者は直ぐ様に狙いを定め、射撃の態勢に移ったのだから、飛竜の存在を警戒し、対策していた事は明らかだった。
だが、アルヴィンは彼等と戦いに来たのではない。だから、弓矢が脅威となる距離に入る、その少し前に行動を起こした。
盗賊達の頭上で高度を保ったまま、後ろ手を伸ばす。そうしていつもの荷箱に代わり、鞍の後ろ括りつけられた“それら“の留め具を外した。
「……行けっ!!」
バチリ、と勢い良く金具が弾け、勢い良くバラバラと溢れ落ちて行くのは、先刻まで馬車の骨組みを成していた木材や、手頃な石といった雑多な重量物だ。布に包まれていたそれらは、留め具から解放されると同時に、物理法則に従って地上へとまちまちに落下していった。
一個一個は大した重量ではない。そもそも、狙いも何もなく、盗賊が潜んでいそうな場所付近に適当にバラまいただけの物が、運良く当たる可能性など無いに等しいだろう。それでも、地上にいる人間からすれば、重量物が幾つも頭上から落ちてくる光景は、本能的に恐怖感を覚えるのに十分だ。
「何か降って来るぞ!」「伏せろ伏せろ!」「ちくしょうが!」「うわあぁぁ!?」
大小様々な怒号が上がった。
それに混ざって、幾つかの風切り音。動揺した盗賊達がそれでも咄嗟に弩のレバーを引いたか、弓の弦を放したか。十を越える矢が頭上へと放たれた。だがその殆どは全く関係ない場所へと逸れていく。
何本かはしっかりとウラリスを狙っていたが、元々射程距離ギリギリの所、一本だけ届いたそれも、飛竜の硬い鱗に弾かれあらぬ方向へと飛んでいった。
ふぅ、と止めていた息を吐き出し、アルヴィンは再び竜笛を鳴らす。身軽になったウラリスは悠々と身を翻し、丘上から離脱した。その際、ついでにのように発煙筒も二本、投げ落として行く。
二本の筒が地面に落ちるなり、たちまち盗賊達の集団の中で真っ白い煙が立ち込め、さらなる混乱を巻き起こした。聞くに堪えない罵詈雑言の声が煙の中から上がる。
打てる手は打った。
上空から戦場を見下ろしながら、アルヴィンは作戦の成功を祈る。
「俺に出来るのはここまでだな。グレインさん、後は上手くやってくれよ……」