飛竜便と傭兵④
「さぁて、この辺りが怪しいって話だが……」
ウラリスの鞍上でアルヴィンが呟く。馬車が故障し立ち往生した地点から少し北。その空に彼等の姿はあった。
眼下に目を遣れば、元々は森林地帯だった所を切り開いたのであろう、この寒空の下でも懸命に枝葉を伸ばす広葉樹が折り重なる。それを割るように北へと伸びるのは、丘陵を避けて蛇行する街道。隊商の馬車が近隣の街へ今日のうちに辿り着くには、ここを通る必要があった。
既に街道は盗賊達に抑えられており、この蛇行地点こそ奴等の待ち伏せ場所だろう、とはグレインの弁だ。そんな彼に頼まれて、アルヴィンは偵察に出ているのだった。
地上からの狙撃を意識して普段よりも高度は取っているが、それでも飛竜の巨大はよく目立つ。
「……ウラリス!」「キュィ!」
アルヴィンとウラリスが互いに警告を発したのは同時だった。案の定と言うべきか、地上から数本の矢が飛来し、素早く反応したウラリスは回避の軌道を取る。
向こうも牽制のつもりだったのだろう。矢は飛竜の高度に届かず放物線を描いて落下していったが、
「グレインさんの言う通りだ。待ち伏せされてるな……」
矢が打ち上がったのは、連続した三つの丘陵に挾まれ、街道が”く“の字に折れ曲がった辺りだ。丘の上に茂る木々と街道の距離も近く、身を隠しながら街道を監視するのに適しているように思えた。
アルヴィンはウラリスをゆっくりと旋回させ、望遠筒を手に丘の上を注意深く観察する。三つの丘陵の緑の中には矢を射掛けてきたと思しき粗野な風貌の男達が見え隠れした。正確な人数は分からないが30は下らないであろう。手を出せないと分かって忌々しげにこちらを見上げている。
馬の姿も垣間見え、先程の盗賊団がこの場所に網を張っているのは明らかであった。
その入念さにアルヴィンは下を巻きながらも、安全な高度を保って偵察を続ける。数分ほどそうした後、もと来た方角へとウラリスの首を巡らせた。
*
「――相手はそんじょそこらの雑魚盗賊じゃねぇな。あの規模をまとめ上げる統率力と言い、待ち伏せの手際と言い、ちゃんと戦術をカジッた事のあるヤツがいる。それこそ俺らみたいな傭兵崩れとか、な。
……何処かの流れモンが、この辺りの盗賊をまとめ上げでもしたのかもしれん。ちょっと想定してない規模の相手だ」
この辺り一帯の地図を前に、護衛頭のグレインが髭面を顰めて言った。
「傭兵やってた時代にゃ、この手の野戦が得意なヤツも何人か見掛けたもんだけどな。こういう手合いは大抵性格が悪いんだ」
それに禿頭の大男、ガルダが大いに頷いた。この男は傭兵時代はグレイン率いる傭兵団の副長だったらしく、息の合った遣り取りを見せる。
「ああ、それでおやっさんも性格が悪いんスね!」
「おいこらエレザ」
ニシシ、と笑いながら混ぜっ返すのは護衛の中でも見習いのような立場にある勝ち気そうな少女、エレザのものだ。
「そうだぞエレザ。ウチの大将を悪く言うもんじゃない」
「おういいぞガルダ元副長。聞かせてやれ俺の輝かしい武勇伝を」
「大将の悪いのは性格じゃない。人相と酒癖と女癖と浪費癖だ。あぁいや、戦い方もよく性格悪いって言われてたか?」
この場には他にも周辺の見張りを除いて護衛から3人ほど、そして商人達のまとめ役であるマルシムを含め、10数名の商人達が集まっていた。その人数がガルダの言葉にどっと湧く。
「おいガルダァ!? お前もそっち側かよ! しかも結局性格悪いんじゃねえか!!」
「……隊商とか護衛団ってどこもこんなノリなのか?」
「それぞれだと思いますが……。北領は中央に比べると環境も厳しいですし、商人の数も少ないですからね。お互い持つ持たれつで、横の繋がりは強いかもしれません。それを護衛する彼等も然り、です」
慣れない空気感にアルヴィンがぼやくと、横に居たマルシムは眉を下げながらそう答えた。
なるほどな、と得心してアルヴィンは頷く。北領周辺はしょっちゅう飛び回っているが、一つの集団とこれほど近い距離で話すのは始めての事だった。
そもそも、人付き合いの良い方ではないアルヴィンである。近しい友人自体がほんの一握り、後は空気を読まず近付いて来る魔女くらいのものだったが。
(こういう話なんかも、アイツに話してやれるといいのかもな)
「ええい、話を戻すぞ。とにかく、飛竜便の旦那のおかげで、奴さんの配置は確認出来た。予想通り、俺等を逃がすつもりは無いみたいだな」
アルヴィンが出発前に小さな魔女とした約束を思い返す間に、気を取り直したグレインが場を仕切り直した。
地面に置かれた地図の上に、彼我の位置関係を示す小石を置いて行く。さすがに普段からこの地域を巡る商人の物だけあり、山林等の地形もしっかりと描かれた、精度の高い地図だ。
最初に置かれたのは、現在位置を示す小石。
南北に伸びる街道の、北側の街にほど近い地点から西に逸れた森の中だ。北に幾らか進めば、再び街道に合流する。街道をそのまま直進すれば、先程アルヴィンが偵察して来た、3つの丘に挟まれ“く“の字に蛇行する道に入る。
早速、その丘の上にもそれぞれ小石が置かれた。続けて、現在の森から南に行った、先程の襲撃を受けた際に待ち伏せがあった地点にも一つ。
「旦那が偵察に行ってる間に、こっちからも一人、足の早い奴を向かわせた。さっきの丘にも、しっかり何人かが残ってた。俺等が道を引き返した場合の、見張りと伝令役だ」
いざ真面目な話が始まれば、そこはプロの護衛達だ。先程までのおちゃらけた空気は何処かへ消え去り、皆が真剣にグレインの言葉に耳を傾けた。
「これからの動きだが、大きく分けて2つだな。1つ目、このまま北上するパターン」
森の中の小石が北の街道へと進む。当然、丘の上の3つの小石――盗賊達に囲まれる事になる。
「最初の2つ目までの丘にいる奴らは、追い込みと後詰めだな。馬車が入って来たら、飛び道具で追い立て、先を急がせる役目だ」
言いつつ、2つの小石が隊商を示す小石の後ろに着いた。逃げるように隊商の小石が街道を北上すると、真正面から3つ目の丘の小石が南下し、その行手を塞ぐ。
「本命はコイツら、3つ目の丘にいる奴らだ。追い立てられた馬車を正面から塞いで、逃げ道を無くす。
引き返そうにも、後ろからは最初の2つの丘の連中が来てる。左右は上り坂、前後は敵。綺麗な挟み撃ちの完成だ」
誰かの唸り声がいやに大きく聞こえた。先程の襲撃も同じような要領ではあるが、こちらの方が明らかに完成度が高い。最初から二段構えで計画されていたのは明らかだった。
「反面、北に抜ければ街はすぐだ。3つ目の丘からの連中を上手く躱して、走り抜ければ俺達の勝ちだな」
「街道を通らずに迂回するルートは取れないですか?」
「連中、見晴らしの良い丘の上を陣取ってるからな。おそらく、街道の要所にも一人二人、見張りを立ててるだろう。
少なくとも、見咎められずに馬車で通り抜けるのは無理だろうな。荷を捨てて徒歩でならイケると思うが」
マルシムの疑問も検討済みであったのだろう、グレインはスラスラと返答する。さすがに荷を捨てる案には商人達も渋い顔で首を横に振った。
「ま、これが一つ目だ。次、南に引き返すパターンだな」
小石が元の位置に戻った。今度は森を南に抜け、先程襲撃を受けた地点で一度止まる。
「ここで見張りをどうにかしないと、狼煙なり伝令なりで、北の連中に知らせが行く。だから、コイツらを先ず排除する必要がある。これはまぁ、俺と数人の精鋭で行けばヤレるだろう」
丘の上の小石が取り除かれる。後は南に直進するだけだ。元来た街まで引き返す事にはなるが、命さえあれば護衛を増やすなりして再挑戦の機会がある。
なんだ、と弛緩した空気が商人達の間に流れた。おそらく意図的にその空気を壊すように、グレインは続けた。
「ただ、定期的に北の連中と確認を取ってるだろうな。俺なら2時間に一回、見張りの人員を交代に行かせる。細かい性格の奴なら一時間毎かもな」
言葉と同時に、北側から3つの小石が南下する。仮にスピードが同じなら、そのまま南の街まで逃げ切れそうなものだが――、隊商を表す小石は、街道の途中で止まる。街への道のりはまだ半分と行った所だ。
「おそらく、この辺りで馬が限界だろうな。ついでに言うと、日が暮れるのもこの辺だろう」
当然の事だった。盗賊達は身一つで馬を走らせているのに対し、隊商は荷物をたんまりと積んだ馬車を轢いているのだから、速度も持久力もまるで違う。
短距離ならばそれほどの差は生まれないだろうが、この距離を走ればその差は如実に現れるだろう。
「こうなると、追い付いてきた奴さんと正面からやり合う事になる。向こうが諦めるか、全滅させるしか生き残る道はねぇ」
言い切ったグレインに、顔色を青くさせたエレザが怖怖と呟いた。
「あのー、これってアタシら、……詰んでるッスか?」
しん、と沈黙が落ちた。
状況の深刻さを、この場の全員が理解した故の沈黙だ。アルヴィンも言葉にこそ出さないが、全くの同感だった。最悪、彼と数人くらいは飛んで逃げる事が出来るが――
「そうだな。……先手を取られ、戦力も不足してる。このままじゃどうにもならん」
沈黙を破ったのは、やはりグレインだ。護衛頭の声は、しかし言葉の内容とは裏腹に、諦めなど一切感じさせない力強さに満ちていた。
「……だが不幸中の幸いだったのは、ここに飛竜便の旦那が居てくれた事だ。
おかげで最初の奇襲を回避したし、空から連中を偵察して来てくれたおかげで、向こうの配置も、目論見も丸裸になってんだ。
最初こそ奴さんに主導権を握られちまったが、ここからはそうじゃねえ」
その声に籠もる力に充てられて、冷え切った場に再び熱が灯る。諦める必要はないのだと、今度はこちらの手番なのだと、そう思わせる力がこの護衛頭の声にはあった。
護衛も商人も関係なく、この場の全員の目に光が戻るのをアルヴィンは目撃し、
「相手の手が分かってりゃ、駆け引きの必要もねえ。据え膳の女と同じよ。こっちは相手の股座をどうやって開かせるかだけ考えりゃいいんだからな!」
「最っ低ーーー!!!」
そしてあまりに下品な物言いに、エレザの悲鳴のような罵声が重なった。
――頬を赤く染め、唇をむうと突き出すエレザには気の毒だが、場の萎縮した空気は完全に消え去った。今は現状を打破する為の方策が、立場に関係なく交わされている。
「丘の上の連中を各個撃破してくのはどうだ?」
「坂を登る最中に被害が出るし、最終的に連中全部を相手にしないとならんのがしんどいな」
「森の中で罠を張って、逆に相手を待ち構えるってのどうッスか!?」
「どこにその罠の材料があるんだ」
「相手が攻めて来なかったら兵糧攻めに合うぞ」
「要するにこっちが主導権を握りゃいいんだから、方向性は悪くない気はするが」
「さっきのと折衷案で、最初の丘を攻め落とした後、そこで相手を待ち受けるってのはどうだ」
「上を取れるのはデカいが……。相手の方が数が多いから、包囲されたら終わりだな」
「じゃあじゃあ、南に逃げると見せ掛けて、街道に罠を張って追跡してきた連中を一網打尽にするってのは」
「罠好きだな!?」
「だからその罠の材料は何処から出てくんだよ」
よくもそんなに案が出るものだ、と感心しきりなアルヴィンに、同じく隣でその様子を見ていたマルシムが声を掛けた。
「アルヴィンさん。これ以上、通りすがりの貴方を巻き込む事は心苦しいのですが、この窮地を脱するのに力添えを頂けると大変心強く思います。
……率直にお聞きしますが、どの程度のご助力をお願い出来るものでしょうか? 勿論、相応の謝礼はお渡ししたいと思いますが」
自分より一回りも二回りも上の年齢の男が、深々と頭を下げるのをアルヴィンは慌てて止めた。
「いや、頭を上げてください。乗り掛かった舟だし、出来る限りの事はやりますよ。とは言っても、正面切って戦える訳ではないんですが……」
「……実際、どれくらいやれるもんなんだ?さっきは楽勝だったように見えたが」
いつの間にか傍に寄っていたグレインが興味深そうに口を挟み、アルヴィンは少し考えてから答える。
「……さっきは馬に乗ってる相手を不意討ちで追い払うだけだったけど、相手が待ち構えてて、飛び道具を持ち出されたら厳しいですね」
「飛竜の鱗は結構固いって聞くが、弓は駄目か」
「適切な距離で真正面から喰らったらさすがにダメージがありますよ。それこそ翼とか、俺に直撃するとマズイです」
なるほどな、とグレインは腕を組んで考える。
十把一絡の盗賊ならともかく、今回はしっかりと飛び道具を用意して待ち構えている。飛竜の姿も見られているし、迂闊に姿を晒せば当然、最優先で的にされるだろう。
「近付かないで、上空から飛び道具で援護して貰うってのはどうッスか?」
グレインの後ろからエレザまで顔を出した。気付けば、熱心に議論している数人を除いた、この場の半数ほどがアルヴィンの声に耳を傾けていた。
その事に戸惑い、アルヴィンは慎重に言葉を紡いだ。
「飛び道具を使う竜騎士はいるけど、あれは空中でも巻き直しが出来る特殊な弩を使ってるんだ。さすがにそんな物は持ってないし、そもそも俺は専門外だよ」
「そっかぁ。そうそう上手くはいかないッスねえ」
「……そうだな、非常用の煙幕を出す筒を持ってるから、投げ落とせば多少の足留めは出来るかもしれないですね」
「足留め、か」
ふと、グレインの視線がこの場を離れ、ある一点で止まった。
「……なあ旦那、飛竜ってのはどのくらいの重さを運べるモンなんだい?」
「一般的には、飛ぶだけなら馬車1台分、って言われてるかな……、え、まさか」
途中でグレインの視線に気付き、それを追ったアルヴィンは目を丸くする。
「馬車1台分か。そりゃあいい!!」
元傭兵団長は、性格の悪そうな顔で歯を剥いた。