第4章 腸閉塞手術(3)8日目
入院して1週間が経過し、8日目の朝に三日連続のレントゲン指示が来た。昼から腸閉塞の再手術で、その前哨戦である。11時30分に手術室へ入った。今回は部屋が狭く、前回の半分の人員である。
手術の前に点滴を心臓に繋げるカテーテル手術をした。これにより、2ヶ月間は新たな点滴箇所が不要となる。採血もここからできた。
腸閉塞手術へと移り、例のごとく山田先生が
「眠くなりますよ」
と言った途端に落ちていく。目が覚めたら、先生が悪戦苦闘していた。何度か痛いと言ったら,朦朧を超えて、また落ちたようだ。
気が付いたら天井が見えた。視野が狭く、ここはどこだろう、オレは何をしているのかと思ったら
「高山さん、気が付きましたか」
「……」
「ここは病室ですよ」
そうだ、手術を受けていたんだ。病室にいるということは終わったのか。そこへ先生が来て
「高山さん、腸閉塞は解消しましたよ。あとはお腹をスッキリすれば、大腸ガン手術です」
「あり…、がとう…、ございます」
とやっとの声を絞り出した。酸素マスクを付けているので、声が籠っている。先生がオレの酸素マスクを外して
「苦しくないですか」
「エエ」
と答えると
「マスクは要らないね」
とナースに渡した。
「今日はゆっくり寝てください。たくさんお通じが出ますよ」
と言って退室した。オレはナースに
「何時間手術したの」
と聞いたら
「1時間半でした」
との返事であった。このあとすぐ眠りに落ち、次に起きたのは午後5時で、またすぐ寝てしまう。再度起きたのは午後9時過ぎであった。
都合7時間、昏睡気味に寝ていたことになる。起きたのには理由があった。久しぶりにガスが出て、それと共にお通じが排出されたのである。
4日ぶりで、出るわ出るわの大量祭である。ナースコールをかけて二人係で後始末をしてくれた。こう書くと、どうってことなさそうだが、オレは寝たきりではない。
オムツをされたのは二度目だが、お通じをしたのは初体験である。それを若いナースに晒されて、処理されるのは還暦過ぎてもね。
まだ病気慣れしていない証拠でもある。このオムツ替えは毎日数回実施し、このフロアのナースほぼ全員のお世話になった。
ほぼと書いたのは1名だけ、入っていないからである。このナースは鎮痛剤を出す出さないで言い争った方だ。思い出して頂けただろうか。あの上級看護師はあれから、オレの側に来たことがない。嫌われたものである。
オムツ替えが手際よく丁寧で、何をしても素晴らしいナースがいたのだ。このナースのエピソードは10日目に登場する。この日の夜勤ナースもファンタスティックであった。
癒し系看護師の最先端で、気遣い抜群、カーテンの閉め方は②のベストで申し分なし。午前2時に呼んだとき、30分もかけてオムツ替えをしてくれる。このときも大量祭で溢れすぎ、シーツから寝間着、毛布までの全交換のラッシュであった。
午後11時、午前2時、午前5時と都合4回、お世話になる。彼女はおねしょした子どもみたいに、恐縮しているオレに
「大丈夫ですよ。今の高山さんの仕事は要らないものを出すことです。後のことはわたしたち看護師にお任せください」
涙が出そうなセリフである。実際のところ、本人であるオレは半べそ状態であった。これが『真実は小説よりも貴なり』であった。奇でないところがミソ。
この大変お世話になった看護師の名前がわからないでいた。夜9時に初対面で、午前5時の最後に世話になってから寝てしまい、ちゃんとお礼が言えてない。
また会えたときに話そうと思っていたが、退院まで会えず終いであった。今から考えてみると、あの看護師は天使に思えてしまうオレだが、可笑しいだろうか。