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第5章 スーパーナース登場(5)

 14日目の朝となり、検温で6.8度と平熱に戻る。突然

「アーア」

 とナースが叫ぶ。何事かと見たら

「たくさん漏れてる」

 寝ているのでよくわからないが、お通じのストッカーがオーバーフローしたようだ。すぐに応援を呼び、二人係で後片付けをする。このときの臭いが独特で、鼻をタオルで覆う。 

 すでに15日間何も食べていないので、点滴の臭いが特徴だった。ナース二人はマスクをしているとはいえ、消臭剤も使わずに処理をしている。

 隣の患者は臭いから避難して外へ出た。カーテンはフルオープンのままだ。その間オレはタオルで臭いを絶っていた。

 5分後にナースは戻り、きれいにしたマシンを再設置する。オレは彼女に消臭剤を頼む。

「そんなに臭かった?」

「マスクをつけているから、わからないのかな。それともアルコールか、タバコを吸っているかい」

「ええ」

「嗜好品は臭覚や味覚を衰えさせるからね」

 ナースはなるほどと思ったのか

「それでお隣の患者さん、臭いがきつくて避難したのね。でも病院では、我慢してもらわないと」

 アチャー、自分本位な責任転換した看護師らしからぬ考えだ。さて、何と言おうか。

「そこを気付くのが看護師さんの仕事でしょ。これができれば絶賛だよ」

「高山さん、上手いわね」

 と言って、オレの腕を軽く叩いて出て行った。わかったのかな、たぶん気付いてないだろう。この病院のスタッフは、気付かない方が少なくない。オッと、人様のことをとやかく言える身分でもないか。山田先生が午前中、回診に来る。

「おや、元気そうだね。高山さん、白血球が15000まで落ちましたよ。50000のときは焦ったね。再生不良貧血かと思ったぐらい。併発したら、まず助からないからね」

 高熱が収まったので、白血病の疑いはないかなと自分でも思っていた。これで遺書の続きは書かかずにすむ。しかし、この先生は焦ると隠すのね。大腸ガンはすぐに宣告したのに。次に焦った感じを受けたら、本当にヤバイときだな。

「先生、重湯はダメですか」

「そんなに欲しいですか。では出しましょう、醬油を付けて」

 この一連の動きは最初から、ストーリーに組み込まれたのかと思った。誰が仕組んだのだろうか、オレはルシファーの仕業と睨んだ。

 堕天使ルシファー、別名を魔王サタンとはアルコール依存症の離脱症状からの付き合いだ。いや、もっと古い。

 あいつがオレの脳裏に住み着き、悪魔の誘惑を囁き続け、オレを酒に溺れさせた憎き張本人である。大天使ミカエルのお陰で、何とか立ち直ることができた。

 以上は直観に過ぎないが、ルシファーが絡んでいるのは違いない。これも確かに、神様がオレに与えた乗り越えられる試練の一つである。

 昼から、重湯が出るようになった。重湯はお粥のもっと、トロトロなものだと思い込んでいたのだ。何のことはない、米粒を溶かした白っぽいお湯である。

 醤油の子袋を垂らして混ぜて、飲んでみた。・・・・・・!旨い。最初はスプーン一杯を几帳面きちょうめんに飲む。美味しい、何でこんなものがウマいのか。

 一気に、ゴクゴク飲み干した。病院にきて初めての食事である。お茶を飲んで人心地し、16日ぶりの満腹感を味わう。口を拭って、ベッドを倒し横になる。人間は久しぶりだと、些細なことで幸福感を覚えるのだなと痛感した。

 『男はつらいよ』の寅さんが山形の片田舎で、何をやってもうまくいかず有り金が底をつく。駅前に食堂があり、どうしようもなく飛び込んだ。

『すまねえ、この時計で何か食わしてくれ。頼む』

 それを聞いた女中さんが腕時計を返し 

『いいんですよ、人間はお互い様ですから。今、持ってきますね』

「その人は温かい豚汁とアジの開き、大盛りの白メシを持ってきてくれた。俺は夢中で食らったよ。三日ぶりの食事さ。

 食べながら知らずのうちに、涙を流していたんだ。人の情のありがたさと、幸せを味わったよ」

(男はつらいよ14作葛飾立志編より)

 この作品は初期の寅さんシリーズの名作で、オレのベスト5に入る。良かったら観て頂きたい。高校生だった桜田淳子も出演している。

 彼女は食堂の女中さんの娘役だ。寅次郎と初めて会って

「お父さんなの」

 と言って大騒動になる。お決まりのハチャメチャとなるが、見どころ満載だ。寅さんは義理堅く、恩返しに毎年送金していた。大したものであるが、中身は500円札一枚・・・。

 大谷翔平選手とは桁が6つ違うが、人間は気持ちが大事である。人間の幸福感、幸せはその人の環境や感性で大きく違う。それに気付くことができるか、否かではないだろうか。

 どんな金持ちで不自由のない男でも不幸だと思い、貧乏のどん底の着た切りの女の子が幸せだと思っている。

 この二人が成長し、社長の跡取りと女工となるのだが、お互い同士が輝いて見えた。察しの良い方はおわかりだろうが、使い古されたシンデレラストーリーである。

 お互いがお互いを見て幸福感を感じたのであろう。寅さんが涙を流してとらやの面々に話したのは。これだなと思った次第。


 昼めしを食べてゆっくりしていると、アラサー後半の本日担当ナースが

「高山さん、散歩しますか」

 彼女は今まで1回の廊下散歩をさせてくれたナースだ。オムツも気にしてくれて、チェックをよくする。気配りが高く、スーパーナースをリスペクトしているようだ。彼女のやり方を真似しているように思える。

 だから言葉使いはぶっきら棒になるが、人によるみたいだ。イタイイタイを連発する窓側の住人には

「動かなきゃ、歩けなくなるのよ。それでもいいの」

 怖いぐらいである。しかしオレには丁寧語で対応するようになった。縄文や戦国、江戸時代の話をすると、楽しそうに聞いてくれる。それで態度が変わったのかもしれない。

 彼女の散歩の誘いにオレは

「高熱が収まったけど、歩いたらふらつきそう」

「じゃあ、気晴らしにディルームで漫画を読んだら」

「!、いいね。それで行こう。剣客商売のコミックがあるから読むか」

「幻覚症状?幻覚商売て、何のこと?」

 彼女から漢字を聞いて大笑い。藤田まこと主演の時代劇ドラマを説明したら理解したようだ。幻覚症状はアルコール依存症の離脱症状のことで、実際のオレの体験を話す。

「ベッドの上を天使のような妖精が飛び回り、宇宙戦艦ヤマトやガンダム、鎧姿の武田信玄がいきなり出てくるのさ」

「ヘエー、すごいですね」

「三日間幻覚を見たけど、実害はなかった。ただし断酒とスリップを繰り返すと、離脱症状は重くなるよ。強迫観念の虜になり、監獄みたいな相模湖病院から永久に退院できなくなる。

 お終いはアルコール性認知症だよ。怖い病気でしょ。普通の人はまず知らない」

「私は知りませんでした。高山さんは4年間、アルコールを飲んでいないのですよね」

「アレ、話したっけ」

「いえ、カルテに記載されています。問診で既往症のときの話されたのでしょ」

「オレみたいに入院1回で、スリップ(再飲酒)していない人は稀でね。この病気はほとんどの人が否認する病気なんだ。

 誰もアル中なんて、認めたくないものね。オレはラッキーだった。離脱症状で娘の幻覚を見たんだ。これでは認めないわけにはいかない。

 だからオレは入院してすぐに、アルコール依存症を受け入れたよ。こんな依存症患者は滅多にいない。みんな認めないで苦しんだからね」

「そうなんですか。認めることで、アルコールを止められるのですね」

 オレは笑いながら

「そうだと楽なんだけど、認めるだけではアルコールの誘惑には勝てないよ。自助グループへ通わないと、められないね。

 オレはラッキーだったのが、退院したその日に自助グループへ入会したこと。この他にも自分の合った方法で、アルコールを絶つものを見つけた」

「エッ、何ですか。方法って」

「趣味を作る、暇を作らない、興味のあるサークルに入る。この三つで月間100人と、会話を持つことを目標にしたんだ。

 これで飲酒要求を起こす一つである、寂しさが消えた」

「なるほど、スゴいですね」

「いや、まだダメなんだ。飲酒要求を一番起こす、怒りの抑え方が難しい。タダでさえ短気なのだから、怒りは強敵だった。

 怒りを爆発させ飲酒要求に陥り、何度もスリップになりそうだったよ」

 ここでチャイム音が鳴る。

「アッ、ナースコールがかかりました。3時に車椅子で、デールームへ行きましょう。また話してください」

 彼女は足早に出て行った。あの娘はまだ未熟であるけれど、見どころがある。良い手本がそばにいるから、レベルが急激に上がるかも知れない。要は本人の志と、向上心が最後にものを言う。彼女みたいなナースの成長記も書いてみたい。

 そしてアーでもないコーでもないと、小説を携帯で捻ったり繋げたりしていたら、前隣の住人の音声時計が

「午後3時です」

 と女性の声で告げた。アッという間に、2時間経ってしまう。

「高山さん、お通じドレーンの清掃します」

 と先ほどのアラサー後半ナースが入って来る。前回、前々回のとき、バルブが開かなくて閉口していたのを思い出す。幸いに今回はサッと開いたようだ。

 シャッシャッと片付けて、車椅子にオレを乗せる。文章だと簡単そうだが、ナンヤカンヤと清掃から移動するまで30分かかった。

 デールームは誰もいなかった。天候が良く、窓側は西陽が強い。本棚からコミックの剣客商売を3冊取ってもらう。彼女は

「30分経ったら迎えに来ましょうか」

「オレが呼ぶからいいよ。ありがとう」

 彼女は眼を細めて、マスクの下は間違いなく、笑顔を残して立ち去る。オレは鬱陶うっとうしいマスクを外し、剣客商売に読みふけった。

 一冊半ほど読んだろうか、午後4時半近くになっていた。空は明るく、清々しい天候である。ここから見えないナースステーションへ

「すんません!部屋へ戻してください」

 と大声で呼ぶ。

「ハーイ!少しお待ちくだっさい」

 と返事が返ってきてからものの数分で、本日担当のアラサー後半ナースが現れる。

「剣客商売読めましたか」

「ええ、読み残した2冊を病室へ持っていっていいかい」

「大丈夫ですよ」

 この『大丈夫』は若い女性がよく言っており、最近オレは良いなと思い頻繁に使うようになった。アラサー後半ナースみたいな使い方と、ごめんなさい等の謝罪に対する返礼言葉である。

 上品であり、日本人らしい言葉なので病院では毎日、ナースへ使っていた。痛いことをされると彼女たちは決まって

「ゴメンね」

 と言う。ほぼ口癖でオレは

「大丈夫だよ」

 と返していた。退院後はスムーズに口ずさむのは十中八九、間違いないだろう。今までは謝罪の返礼等しなかったし、ほとんど無言だったから進歩したものである。

 彼女に車椅子を押してもらい病室へ戻る。残りの剣客商売を読むと午後5時となり、ナースの夜勤交代となった。 

 アラサー後半ナースに感謝を伝え、夕食の午後6時となる。集中していると時間の経過が早い。面白い映画を観ているときや好きな女性と一緒にいると、2時間等アッと言う間である。

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