序章 丁髷先生の診察
胃が痛い。腹も痛い。食欲もない。考えてみれば、もう何日もお通じが出ていないのか。1,2,3,4・・・、もう7日間も出ていない。これは不味いぞ、病院へ行かなきゃ。
オレは令和2年5月の朝10時頃、長逗留の伊勢佐木町4丁目のホテルから出て病院へ向かう。少し歩くだけで息が切れる。こいつは重症だと思い、タクシーを探す。
手を上げたらタクシーのウインカーが点滅する。ところが横から朝帰りの酔っ払いに搔っ攫われてしまう。
ツキのないときはこんなもので、がっかりしていると空車のタクシーが来た。まだツキは残っていそうだと考え直す。すぐに横浜関内病院へ着く。450円で、障害者手帳を見せて一割引きの金額である。
初めて入る病院は空いており、きれいであった。受付にソーシャルディスタンスを置いて並ぶ。5分後に名前を呼ばれ、初診で胃腸科内科を希望する。
「胃腸内科は午後からです」
「外科は診察を受けれませんか」
「先生に聞いてみますので、お待ちください」
10分後に医師の承諾を受け、2階の診察室へ向かおうとしていた。このとき、オレが苦しそうにしていたのを見たベテラン看護師が
「車椅子で行きましょう」
とニコやかにオレを運んでくれた。きつかったのでうれしく、この病院の看護師のレベルは高いなと感心した。
担当の外科医師は丁髷に髭面で、江戸時代なら蘭方医に見える。日本の医者の半分は挨拶をしない。もし、「こんにちわ」と先に声を掛けられたら、珍しいかも。
赤髭ならぬ丁髷先生はオレの顔を見て
「・・・、どうしましたか」
日本では至極真っ当な光景であるが、初対面で名前も言わず挨拶もせず、いきなり「どうしましたか」は他の業界とだいぶ違うようだ。
テレビドラマに出てくる医師はニコニコして愛想が良い。名医はコミュニケーション能力が高いから当たり前か。
オレの名医は『ドクターコトー』である。今から19年前にコミックからテレビドラマ化した。主演は吉岡秀隆で、沖縄から遠く離れた孤島のスーパードクターが描かれた名作である。
ドクターXもスゴいが、あまりにも麻雀が弱すぎた。ドクターコトー(吉岡秀隆)の元妻に、何度も役満を振り込んでいたな。
当時オレは水戸に単身赴任で、うつ病が悪化し身動きが取れなかった。このときのドクターコトーが一服の精神安定剤であったなと、今では思い返している。
ドクターコトーは誰にでも笑顔で接した。患者の心情を察知して、難病をいとも簡単に
「治りますよ」
と笑顔で言う。患者のジッちゃんや婆さまはビックリする。不審に思いながらも、誠心誠意のコトーへ信頼していく。何しろ不治の病が完治してしまうのだから。
これがオレのドクター感である。カッコ良すぎて、優笑実行なんて言葉を思い付いた。
コトーに勝てるドクターはいるか。本人さえその気になれば、誰でもなれるだろう。何でそんなに簡単に言えるか。
その心は人に対する思い遣りである。思い遣ることができれば、人にネガティブなことは言えない。いや、言わないであろう。
思い遣り、真心、誠意、この手の日本語の美しさは一入である。英語ではオネスティ、ホスピタリティで、こちらも滑らかな言葉であった。
丁髷先生はオレが書いた初診用の問診表を読んで
「既往症にアルコール依存症があるね。腹の膨張は肝硬変か」
オレは少々呆れて
「アルコールは4年間、一滴も飲んでいません。肝臓腎臓はきれいなもんですよ」
丁髷先生はオレの言葉が気に入らないのか
「だったら、その病院へ行けばいいのに」
「精神病院ですよ。治せますか」
先生はここから態度を入れ替える。
「大石クリニックですか」
この病院名は意外であった。
「違います、県立精神医療センターですよ」
「芹が谷ですか」
これで丁髷先生の考え方がわかった。十中八九酒好きで、己の断酒は難しいと思っている。アルコール依存症の知識はさほど詳しくない。
大石クリニックは民間の依存症科がある精神病院である。久里浜医療センターが国立で一番有名なのだが、それよりも近隣病院の名前が出たのか。
「横になってください。・・・、水が溜まっているな。CTとエコー検査をしましょう。食事を取っていないから、点滴と血液検査を。だいぶ悪いから、入院したほうがいいですよ」
丁髷先生はパーと言うと、看護師がオレを車椅子に乗せて血液採取室へ行く。ここの看護師は愛想が良く
「チクリとしますよ」
と言いながらも、チクリともしない名技を披露してくれた。この手の技術者は少数いるようだ。看護師の芸術、無形文化財であろう。日本医師会は『チクリともしない採血コンクール』をしたらいかがであろうか。コロナのフェイク情報を本当のように流すより、国民から喜ばれると思うのだが。
点滴をされ、不思議なもので腹の痛みが一時的に消えていた。緊張してアドレナリンが体内に抽出されたからか。次はエコー室へ行き、超音波で内臓を検査。丁髷先生が姿を現す。
「アッペが腫れている」
これを聞いてオレは
「盲腸ですか」
「エッ、いやちょと炎症をおこしているなと」
小説を書いていると雑学を覚えますね。その後、先生と技術者がオレのわからない専門用語で意味不明であった。
次は地下へ行って、レントゲンとCT検査である。つくづくMRI検査でなくよかった。今のオレに20分も動かずにいるなんて無理である。腹の痛みは強烈であった。しかしその後、もっとスゴい激痛があることを思い知らされる。
一通り終えて診察室へ戻ると
「大腸ガンですね。ガン細胞が悪さをして、腸閉塞を作ったのです。まずは腸を開通させないと。すぐに入院して治しましょう」
アッサリと言ってくれる丁髷先生である。
「ガンて、すぐにわかるものですか」
「ええ、腸閉塞の95パーセントは大腸ガンですよ。便秘しやすい方ではないですか」
ズバリ言い当てる。
「はい、2,3日の便秘はザラです」
「ガン細胞は大腸に5年くらいいたかも。大腸ガンは成長が遅いのでね」
と言うことは、3年前から始めている生姜紅茶での体温上昇は遅かったか。体温が36.5度以上あれば、ガン細胞は増殖しずらいと書物で読んで実行したのだが。
想定外での医師の発言に躊躇した。丁髷先生、ときどき鋭いことを言う。そして7階へ車椅子ごと看護師に連行された。703号室、ここでオレは6週間を過ごすことになる。