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身に覚えのある香りとともに、私は自宅の部屋で目を覚ました。

どうしてか鼻の上が気になって手を添えると、桜の花びらが一枚ついていて、思わずえっと声をあげる。昨日、つつじヶ丘公園に行ってから花びらを持ち帰ってしまったのかと一瞬思ったが、着替えてお風呂にも入ったのに、そんなことはありえない。この辺に桜なんか咲いていたっけ——と部屋のカーテンを開け、窓の外に目をやった時だった。


「どこ見てるの?」


幼く、張りのある声が真後ろから聞こえてきて心臓が跳ねた。

風を切るような勢いでとっさに振り返ると、あろうことか私の部屋の中にちょこんと座る少女が一人。……って、ええええ!? どういうこと? 夢かと思い何度も瞬きをして目を擦る。しかし、少女は何度目を開いても絶対にそこから動かない。頬をつねるという古典的な手段に出た私は、しっかりと痛みを感じて背中から汗が吹き出した。


「誰? どっから入って来たの!」


見た目は可愛らしく、さらさらと艶のある髪の毛に桜色の唇をしている少女だが、完全に不法侵入だ。家出少女か? どうして私の部屋に? というかここは二階だ。どこから入って来たというの?

そのすべての疑問をぶつけるようにして私は叫んだ。家出少女なら親御さんも心配しているだろうし、早く家に帰って欲しい。


「誰……うーん、誰だろう。あ、そうだ、私はユウミ」


「はい?」


ユウミ、と名乗った少女は天真爛漫な口調で目をくるりと瞬かせた。

しかし名前だけ分かったところで、情報量があまりにも少ないことに戸惑いを覚えた私は、彼女に近づき、もう一度目を見て問いかけた。


「ユウミ、名前はいいわ。それ以外は? 何歳なの? どこから来たの? 家はこの辺?」


矢継ぎ早に疑問を口にする私に対し、ユウミはうーんと顎に手を当てて唸る。それほど難しい質問とは思えないのだが。


「名前以外思い出せない」


「思い出せない? 記憶喪失ってこと?」


「そうかも」


てへ、というお茶目な笑い声でも聞こえてきそうなほどあっけらかんとした様子で彼女は答えた。


「はあ……。とにかく私、学校にいかないといけないから」


と制服に手を伸ばしたところで気がつく。

昨日3学期の終業式を終えたばかりで、今日から春休みではないか。ああ、だからお母さんは私を起こしに来ないのか。時計を見ると時刻は午前10時を回っている。母はとっくに仕事に出かけている時間だった。


「……学校、行かないの?」


「今日から春休みだったわ。時間はたっぷりあるし、仕方ないからあなたを家まで帰してあげる」


そう宣言してみせたものの、名前しか分からない彼女を、どう家まで送り届けたらいいのだろう。


「おうちの場所も分からないのよね?」


「うん」


「それじゃあ家に帰れないじゃない」


初っ端から大きな壁にぶち当たる私。まったく手がかりのない暗号を解かなければならないなんて、どれだけ大変なんだろう。脱出ゲームとかパズルゲームとか、頭を使うゲームが嫌いな私にとっては難問すぎてその場から動けなくなった。

しばらくの間、私はうーんと対処法を考えるために黙り込んだ。当事者のユウミは不安がることもなく真顔で私の考え込む姿を眺めている。家に帰りたくないのだろうか? もし私が彼女の立場だったら不安すぎて頭がおかしくなってしまいそうだ。見たところ小学校高学年くらいの歳に見える。あれくらいの歳であれば、保護者だって心配しているだろう。


「あ、そうだ。警察に行きましょう」


至極当たり前の結論に思い至り安堵のため息をつく。警察に行ったのなんて、小学生の頃道端で千円札を拾って届けに行ったとき以来だ。たった千円の拾い物なのに、いろんな書類を書かされて大変だった記憶がある。


やっと正当な解決法が見つかったと思い、ユウミの顔色を窺う。解決の糸口が見えて喜んでいるだろうと予想したのだが、違った。

ユウミは顔を歪め、ふるふると身体を震わせている。幽霊でも目にしてしまったっかのように私に恐れを抱いている様子だ。先ほどまでの楽観的な態度とは打って変わって、記憶をなくした年相応の少女の不安が滲み出ている。


「どうしたの?」


「……いきたくない」


「え?」


「警察には行きたくない!」


イヤイヤと首を大きく横に振って警察に行くことを拒絶するユウミ。何か警察にトラウマでもあるのだろうか。そうとしか考えられないほどの強い拒絶だった。


「だけど、このままってわけにも……」


「お願い! 警察はいや! 記憶思い出すまでここにいたい」


私の腕を掴み、懇願する彼女の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。こんな場面なのに、私はなぜかその涙がとても美しいと感じてしまう。どうしてだろう。単なる人間の涙に過ぎないのに、私はおかしくなってしまったんだろうか。

とにかく首を振り続ける彼女に根負けした私は、仕方なく彼女の要求をのむことにした。まあ、ちょっとすれば警察に行くと言い出してくれるかもしれないし、とりあえず今はやめとくということにするしかない。


「ひとまず警察はやめておくわ。まあ春休みだし、とりあえずはうちにいればいいよ。お母さんにもあとで説明するから」


「やったー! ありがとう」


万歳をしてはにかむユウミを見て、私は自然と顔がほころぶのを感じた。どうしたんだろう。見ず知らずの少女と共同生活を送ることになって大変だというのに、素直で可愛らしい彼女を見ていると胸がすっと軽くなるのだ。

その一方で、お母さんになんて説明しよう……と新たな難問に頭を悩ませるのだった。


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