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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

愛妾は王妃を惨めだと言うが、王妃は憐れんでいます

 リージルンド王国には、麗しの王妃がいる。

 蜂蜜のように甘い金色の髪は陽に照らされると、淡く輝き、翡翠を象ったかのような目は優しげに和らぐ様は全ての人の目を奪う。

 王太子に嫁いだのは十八歳の頃。

 絢爛豪華な華燭の典は、王国中がお祭り騒ぎとなった。

 美しく慈悲深い妃は、皆に歓迎された。

 全ての視線を集める妃に、暗く淀んだ目を王太子が向けていたのを、熱狂する者たちが気づくことはなかった。


 華燭の典からたったひと月で王太子が愛妾を王宮に呼んだという話は、瞬く間に国中に広がった。

 愛妾は平民の踊り子であり流浪の楽団に居たということにより、王宮事情に詳しい者は納得した。

 他国を巡る者ならば、愛妾が如何なる存在か知らなくて当然だ、と。



 王太子妃となったアンジェリカは、悩ましげに息をはく。

 その姿ですら美しいのだから、侍女たちは労しげにしながらも見惚れてしまう。


「……困った方」


 アンジェリカは憂いに満ちた表情の裏で、今後どうするべきかを考えた。

 王太子であるアレクシスは分からないだろう。

 彼は歴代の国王のなかにひとりだけ、愛妾を持つ前例を作った人物が居たことを理由に、王宮に踊り子を招いた。

 何故、ひとりしか愛妾が存在していなかったのかなど、気にもせずに。

 アレクシスのなかでは、如何にアンジェリカを貶められるかが重要なのだろう。

 彼女は、機を見て動くことを余儀なくされた。


 それから半年後。急遽譲位が行われ、アレクシスは国王に。アンジェリカは王妃となった。

 二人は閨を一度も共にせずに、国の頂点に立つことになったのだ。

 即位式の後に行われたお披露目のパーティーでは、にこやかに訪れた貴族と話すアンジェリカとは対象的にアレクシスは鷹揚に頷くだけだ。


「隣に居るのがパエニならば、良かったのだ」


 不満たっぷりに呟くアレクシスへ、アンジェリカは表情ひとつ変えずに、「まあ」と返した。

 愛妾の名を、この場で出す愚かさには気づいていないようだ。


「でしたら、お呼びになりますか?」

「馬鹿か。できるわけないだろう」


 鼻を鳴らすアレクシスに、今度は何も返さずアンジェリカは次の貴族のもとに向かう。


「つまらん女だ」


 吐き捨てるアレクシスを、周りの貴族がひっそりと見ている。

 お披露目の場には、リージルンド王国の国教であるマエナル教の神官も居た。穢らわしいものを見るような視線をアレクシスに向けている。

 アンジェリカは思う。

 アレクシスは宗教が嫌いだ。即位するにもマエナル教の赦しがいるからだ。

 高い驕りを持つ彼は、誰かの下にいるのは耐えられないのだろう。

 だが、アンジェリカは思う。

 嫌いだからこそ、相手を知るべきだったのだ、と。

 先代国王となった父親が、壮健でありながら譲位を強行した真意も図れないようならばなおさらだ。


「本当に、困った方」


 穏やかに呟いたアンジェリカの目には、憐れみが浮かんでいた。



 女性に貞淑さが求められる貴族社会にて、彼女は異質であった。

 それは流浪の踊り子として過ごした日々に培ったものなのだろう。

 よく動き、よく笑う。

 無邪気ではあるが、王の寵愛を得ている状況を理解する強かさも持ち合わせていた。

 これが、貴族の愛人であれば問題なかったであろうに。

 王族の愛妾では、行き先は決まってしまっていた。


「王妃さま、こんにちは」


 王妃と愛妾。同じ王宮に住むとはいえ、けして出会ってはいけない二人だ。

 王妃は日々の行動が決まっている。

 であれば、避けるべきは自由に動ける愛妾の方である。

 なのに、対面してしまったことで周りにいる貴族や使用人の間に緊張が走った。

 王妃には公務があるのだ。

 それを、愛妾が邪魔をした。

 新たな国王の愛妾は弁えることが出来ず、教養もなく、そして国王自身が手綱を握ってすらいないと自ら周りに言っているようなものだ。

 アンジェリカはため息を殺し、にこやかに夫の愛妾であるパエニを見やった。


「ごきげんよう、パエニさん。わたくし、公務がありますので、あまり長居はできませんの。挨拶のみで構いませんか?」


 穏やかに言うと、パエニはむっと眉間に皺を作る。

 王妃に対して向けるべきではない態度だ。


「ひどくありません? あたしは、王妃さまとお話したいだけなのに」

「陛下と会話をなさりたいのならば、まずは先触れを出し、予定をお聞きになってください」


 護衛の女性騎士が淡々と告げた。

 パエニは、騎士を睨みつける。


「貴女には聞いていない!」


 まあ、はしたない。と、パエニの姿に不快感を顕にする者たちがいた。

 それに気づいたパエニは、そちらも睨みつける。

 彼女にしてみれば、国王の寵愛があるのに嗤われる事が気に入らないのだろう。

 確かに、国王の寵愛は強い後ろ盾だ。

 だが、そこにはマエナル教が国教となっていない国であれば、と付く。

 周りにいるパエニを蔑む者とは違い、アンジェリカが彼女に感じているのは、憐憫だ。

 彼女は流浪していた身。リージルンド王国史上二人目の愛妾になる恐ろしさを知らないのだ。

 だから、アンジェリカは逃げ道を示そうと思った。


「パエニさん。我が国の国教であるマエナル教が示す教えを一度学んでみませんか?」


 アンジェリカの言葉に、パエニは目を瞬かせた。

 そして、何やら思い至ったようで、意地悪さをたっぷり含んだ笑みを見せる。


「王妃さま、アレクは宗教が嫌いなんですよ。私に宗教を学ばせて、アレクから嫌わせようとしているんですよね? その手には乗りませんから」

「そう……」


 目を伏せたアンジェリカに、パエニは勝ち誇る。


「これから、アレクの執務室でお茶をするんです。邪魔しないでくださいね?」

「無礼な……!」


 激高する女性騎士に、「いいのです」と制してアンジェリカは笑みを浮かべた。


「パエニさんは陛下の執務室に入ったのですか?」


 アンジェリカが探るように問いかけると、パエニは機嫌良く笑う。


「ええ! 毎日!」

「わかりました。では、わたくしは仕事がありますので、失礼しますね」


 パエニはアンジェリカが悔しがると思っていたようだ。

 なにせ、アレクシスは毎晩パエニの部屋に通っているし、王妃が一度も入ったことのない執務室でも毎日のように会っているのだ。

 アレクシスに愛されないかわいそうな王妃さま。

 それがパエニのアンジェリカへの印象だった。

 なのにアンジェリカは悔しがるどころか、まるで憂いが晴れたように清々しい笑顔で会釈をして、去って行ってしまった。


「なによ、惨めな女のくせに」


 アンジェリカの後ろ姿を忌々しく見つめ、パエニはアレクシスの待つ執務室へと向かった。



「よろしいのですか? あの様な……」


 パエニの傍若無人さに女性騎士は怒りを抑えた声で、アンジェリカに尋ねた。


「ふふ、かわいそうなひとだもの」

「それは……そうですが。物事には限度というものが」

「良いのです。あの方、執務室に入ってしまったのだから」

「……」


 王妃の護衛を務められる騎士ならば、言葉の意味を理解するだろう。

 現に彼女は黙った。


「本当に、おかわいそうに」


 アンジェリカは晴れ晴れと笑う。

 アレクシスもパエニも、かわいそうだ。

 密かに悩んでいたアンジェリカが滑稽になるほどに愚かなのだから。

 いまさら、アンジェリカが何をしようとも二人は後戻りができない。

 ならば、二人に対して憂う必要は無くなった。

 久方振りに心が軽くなり、アンジェリカは心からの笑みを浮かべた。



「お前、何か企んでいるのか?」


 パエニと話して、ひと月後の事だ。

 アンジェリカとはパーティーや催し物以外では会わないアレクシスが、王妃の執務室にやって来た。

 先触れはない。

 突然のことではあるが、彼女はにこやかに椅子から立ち上がる。

 お辞儀をしてから、不思議そうにアレクシスを見た。


「企み事、ですか。何か不快に思う事でもありましたか?」

「いや……」


 いつもであれば、アンジェリカを責め立てるように詰問するアレクシスが珍しく言い淀む。


「パエニが、お前がイリアスと会っている、とな」

「イリアス殿下と、ですか」


 イリアスは、アレクシスの二つ下の弟だ。

 文武両道で、礼儀正しい青年だが。それゆえに、アレクシスが毛嫌いしている相手でもある。

 アレクシスは問題なく政務をこなせるだけの能力があるのだが、彼の最大の欠点はすぐに妬むことだ。

 出来が良く、評判も上々である弟への嫉妬を隠さない。

 アンジェリカを遠ざけているのも、民から人気が高いからという、劣等感であった。

 パエニが、如何にアンジェリカは愛されていないのかを事細かく伝えてくるので知った事だが。

 イリアスに関しては、市井にまで広まるほどアレクシスが悪しざまに愚痴をこぼしてきたので、先代国王から離宮に暫く謹慎するよう強く叱責された過去がある。

 それが理由で、声が小さくなるのだろう。

 部屋が揺れたと言われるほどの、激しい怒声を父親から浴びせられたのを未だに引き摺っているようだ。


「お忘れかもしれませんが、三日後にわたくしは生家に戻ります」

「は、聞いていないぞ! 仕事を放棄するつもりか!」


 相変わらず沸点が低いアレクシスに呆れながらも、アンジェリカは落ち着いた様子だ。


「わたくしたちが婚姻してひと月後にした約束ですよ。結婚から半年が過ぎましたら、一度家に戻ると」

「た、確かに、そんな話は、したが」

「書面にも残されています。体の弱かった妹の様子を見たいと願いましたら、先代国王がお許しくださいました」


 五つ年の離れた妹をアンジェリカが溺愛しているのは、有名な話だ。

 病弱な妹を想い、医療に携わる様々な分野に投資をし、安価な薬を市井にも広めたのと併せて美談とされていた。

 それがきっかけとなり、アンジェリカは慈善活動を積極的に行ってきた。

 民からの人気が高い理由の一つである。

 美しく心優しい王妃は、皆の誇りとなっていた。

 アンジェリカの言葉に、アレクシスは不機嫌さを隠さない。


「父上は許したとして、仕事があるだろう。それに、イリアスと会ったことを否定しないのか」

「わたくしの仕事は、他の方が代わってくださいます。王妃とはいえ、国の機密に触れるわけにはいきませんから、わたくしの仕事には代わりが存在します」


 リージルンド王国では、王妃はあくまでも王の妻だ。

 生家に機密を流されないように、重要な仕事は国王のみが行う。

 だからこそ、歴代の王妃たちは気兼ねなくアンジェリカと同じように生家に帰省をしている。


「それに、イリアス殿下はわたくしの帰省においての警備責任者です。護衛などについて何度か話し合いをしました。侍女や護衛騎士も共におりましたし。何も問題はありませんよ」

「ぐ……そ、そうか。どうやら、パエニが誤解したようだ」


 アレクシスは悔しげに顔を歪める。

 自分よりも多くの民に愛されるアンジェリカを貶められる絶好の機会だと思ったのだろう。


「では、俺は戻る。大事な仕事があるからな!」


 最後は当て擦りをして去って行った。

 アレクシスが居なくなってから、侍女が温かい紅茶を用意してくれたので、執務に戻る。

 紅茶を飲み、アンジェリカはひっそりと笑う。

 本当に愚かでかわいそうな方、と。

 イリアスについて他に言及がなされなかった事から、王宮にアレクシスの味方が存在しないのだろう。

 誰もアレクシスに教えていない。

 イリアスが現在、先代国王からの命により政を学んでいる事を。

 アレクシスはパエニ以外、敵しかいない。

 マエナル教の権威が高過ぎた。

 せめて、パエニを国王の執務室に招かなかったら、愛する女性だけは逃がせただろうに。

 男性である側近と、女性のパエニを同じに考えてはいけなかった。

 性差で扱いが違う貴族社会だというのに、王族に近い者ならばなおさら厳しい現実がある。

 たとえ理解はしておらずとも、国王の執務室に入ったという時点でパエニは機密に触れた事になるのだ。

 もう彼女は逃げられない。逃げ道を、まさか愛するアレクシスが塞いだとは思いもしないだろう。



 その報せを聞いたのは、アンジェリカが生家に戻ってから二週間後の事だ。

 マエナル教の最高責任者である教皇が、お触れを出した。


「リージルンド王国に居る、パエニは不浄の存在であると断言する」


 教皇の発表を聞いて驚いたのは、アレクシスとパエニぐらいだろうと、アンジェリカは思った。

 そもそも、マエナル教は愛妾の存在を認めていないのだ。

 ひとりの男に、ひとりの女。

 それこそが美しい在り方だと、教えにある。

 リージルンドに前例を作った王は、王妃に子供が出来なかった。

 さらに間の悪いことに流行り病により、他に王位を継げる男子が居なかったのだ。

 当時、王女には継承権がなかった。

 だから、王は愛妾を側に置いたという。

 悲壮な決意を持って愛妾になった女性は王より二十も若く、残酷な役目を負わせたことを王も王妃も泣いて侘びたと、歴史に残っていた。

 マエナル教において、どんな理由があろうと愛妾は居てはならない存在であり、愛妾を持った者は罪を背負うとされている。

 ゆえに、王が崩御された際には、愛妾も倣うのである。

 愛妾が健康体であろうとも、どれほど嫌だと泣き叫ぼうとも関係なく。

 愛妾は王の罪。罪を残したままではならない。

 貴族にも愛人は居るだろう。

 だが、それは隠しているからであり、見つかればマエナル教を敵に回すのと同義だ。

 そして、国の頂点である国王の愛妾は隠しようがない。

 教皇が不浄と告げた。

 パエニは悪であり、罪そのものだと定められたのだ。


「だから、教典を読むべきだと言ったのに」


 アレクシスには怒鳴られ、パエニは先日の反応だ。


「お馬鹿さんですよね。我が国はマエナル教徒が多いのに」


 数年前に健康を取り戻した妹が、困ったように笑う。

 今の国王が愛妾を持ったことにより、リージルンド王国は立場が弱くなってしまった。

 それを憂いているのだろう。

 アンジェリカは、妹の部屋で穏やかな時間を過ごしていた。

 生家は優しい。

 王宮に居た頃は、二人がどうなるか理解していたので、居心地が悪かった。

 あまり良い印象が無くとも、死の運命が定められた二人を見るのは辛い。

 アンジェリカを貶める為に、白い結婚を続けたアレクシス。

 だが、アンジェリカにとっては有り難いことだった。

 体を繋げてしまえば、後味はもっと悪かっただろうから。

 突然の譲位は、先代国王がマエナル教を慮ったのだろう。

 敢えてアレクシスを国王という存在にして、愛妾を糾弾しやすい状況を作った。

 そして、イリアスを次の王に決めたのだ。


「おそらく、アレクシスさまは病を得られるのでしょう」

「そうなったら……」


 妹が言葉を濁す。

 アレクシスが病から回復するのは有り得ない事であり、必ずイリアスに王位が渡る。

 そして、パエニはアレクシスと運命を共にするのだ。


「かわいそうね」


 妹の言葉に、アンジェリカは深く同意した。

 自業自得ではあるが、アレクシスは政は真っ当であったし、パエニは降って湧いたような幸運に酔っていただけの無知な女性でしかなかった。


 パエニはアンジェリカを惨めでかわいそうな王妃と思っただろう。

 だが、真に憐れみを向ける側なのはアンジェリカの方なのだ。

 それにパエニが気づくのは、死の運命が目前に迫った時だろう。

 アレクシスには愛されなかったアンジェリカだが、生家の権威から次に嫁ぐ先は数多あるのだから。


 騒ぎに巻き込まれないようにと、アレクシスが愛妾を持った時に先代国王が帰省を許してくれた生家にて、アンジェリカは部屋の窓から見える王城を見つめる。

 全てが終わったら、アンジェリカは王妃の座を辞す。

 先代国王がそう決めた。

 アンジェリカは思う。

 二度と愛妾が現れないと良い、と。



教皇の宣言で、パエニの反応を知りたい方が居られるかもしれませんが、流れ的にアンジェリカには預かり知らぬ場所でのことなので書きませんでした。


アレクシスにとってのパエニは、新鮮な可愛さは感じていたとは思いますが、たった一つの前例しかない愛妾という希少なアクセサリー感覚が強かったのでしょうね。

本当に愛していたのなら、国王の執務室に入らせたりしませんし。


ざまあとして書いていないので、このような形となりました。


お読みくださり、ありがとうございました!

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