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第9話 変わった雰囲気

 休日が終わって、次の週。

 いつものように仕事をしていたときのこと。

 

 会議の後、画面越しに上司と今後について話している途中、話に一区切りがつくと、ふと上司が真面目な表情を崩し、笑った。

  

『それにしても、古寺さん最近表情が明るくなったね』

「……え?」

 

 突然そんなことを言われて、首を傾げる。


「……そうですか?」

『ああ、笑顔が増えたし、なんだか雰囲気が柔らかくなった』


 ……そうなんだろうか。そう思い、手を自分の口元へ当てる。

 指先を唇になぞらせて、その形を確認して……。


 ……どうだろう。唇は真っ直ぐに伸びているように感じる。

 ただ、男だった頃は乾燥していた唇が潤っていることだけが違うと思った。


「体が変わったからでしょうか」

『まあ、それもあるかもしれないけれど、それだけじゃないと思うよ?』


 モニターの中、スタイリッシュなスーツを着こなした上司がニコニコと笑っている。この上司は僕が会社に入った頃からの付き合いで、もう五、六年になるだろうか。


 出来る男っぽい外見の上司は、実際に優秀な人で、会社でも最年少で出世している人でもある。

 毎日のように顔を合わせている相手だし、これまで散々お世話になったんだけど……。


 ……雰囲気が良くなった?


「……よくわからないです」


 いつも分かりやすくモノをいうのに、今日ばかりはよく分からないことを言う。

 雰囲気が柔らかいって……要するにヘラヘラしているということだろうか。


「仕事は真面目にしているつもりなんですが」

『いやいや、サボってるとかそういうことじゃなくて、角が取れて来たってことさ』


 ……わからない。

 

 何を言っているのかも、なぜ上司が微笑ましそうな顔で僕を見ているのかも。

 でも、その雰囲気から、僕が目くじらを立てて不満を言うのも間違っている気がして。


 ……だって、上司は少しほっとしたような顔で微笑んでいたから。



 ◆

 


「……うーん」


 悩む、なんで僕は変わったと言われたのか。

 それが不思議で仕方ない。だって僕はずっと変わらず生きていたはずだ。


 立派な大人として、間違わず、迷惑を掛けず。

 あの両親とは違い、誰の前に立っても恥ずかしくない生き方をしていたはず。


 それなのに、今回雰囲気が、と言われたのは。


「……女になったから……?」


 男ではなく、少女の体になったから。

 男と女では当然雰囲気も違うだろう。行動が同じでも外見が異なれば周囲に与える印象も当然変わるわけで。

 

「……」


 壁に引っ掛けた鏡と向き合う。

 視線の先、てかてかと光る鏡面の中では、少女の姿をした僕が不思議そうな顔でこちらを見ている。

 

 かつてとは似ても似つかない幼い顔立ちに、真っ直ぐ伸びた金色の髪の毛は蛍光灯の光を反射して輝いている。それはまるで、かつて見た西洋人形にも似ているように見える。


「外見だけは間違いなく変わったけど」


 ……いや、そういうことじゃないと上司は言っていた。

 正確に言うと、それだけじゃないと。だったら、それ以外に変わったところがあるんだろう。


「……でも、それ以外だと……彼のことくらいしか」


 最近変わったことなんて、それくらいだ。

 足の怪我を切っ掛けに、共に過ごす時間が長くなった隣人の彼。


 毎日食事を一緒にして、ゲームをして、なんてことない話をして。

 それはこれまでの僕の人生にはなかったもので、間違いなく変わった点だろう。


「……」


 時計を見る。仕事がもう終わった午後六時過ぎ。

 そろそろ彼が家に来る頃だった。



 ◆



 チャイムが鳴り、扉が開いた。

 扉の向こうから人が入ってくる気配がして、その足音より少し先に、冷気が部屋の中に入ってくる。


 肌を撫でる冷気で最近急激に下がった気温を感じる。体が小さく震えた。

 今年はまだ体が冷気に慣れていない。寒くなり始めるのが遅かったからだ。

 

「こんばんは、ハルさん」

「いらっしゃい。寒かったよね。中に入って温まって」


 コート姿の彼が部屋に入ってくる。

 壁に当てた手を支えに立ち上がり、彼からコートを受け取ってハンガーに掛けた。


「いいんですよ、座っててくれても。足も痛いでしょ?」

「もうかなり良くなってきたし、全く動かない方が体に悪いよ」


 本当に立てないのなら仕方ないけれど、そんなことは無いわけで。

 動けるのなら、生活を助けてくれている彼を歓待するべきだし、そうしなければ一人の社会人として問題があるというものだろう。


「すぐにお茶を入れるから、少し待ってくれるかい?」

「ありがとうございます」


 買って来た総菜を受け取り、彼に座るよう勧める。


 慣れた雰囲気に、いつものやり取り。

 僕も、そろそろ彼が部屋にいることに違和感を感じなくなっていて――


「――そうだ、君ならわかるかな」

「何がです?」


 ふと、上司に言われたことを思い出す。

 僕が変わったという話。僕にはよくわからないけど、こうして共に過ごしている彼ならわかるだろうか。


「ねえ、君は僕の雰囲気が変わったと思う?」

「雰囲気ですか?」


 彼が不思議そうに首を傾げる。


「上司に雰囲気が変わったって言われてさ」

「……なるほど?」


 彼の両目が僕を見る。

 そして、その視線が上から下へと動いて……。


「……確かに変わりましたね」

「え、そう思うのかい?」


 あっさりと肯定されて驚く。

 肯定するにしても、もう少し悩むと思ったのに。そんなにはっきりと分かるほどに変わったんだろうか。


「雰囲気が、なんというか……」

「うん」

「……可愛くなったというか」

「……いや、君ね」


 可愛くなったって……。

 なにを言ってるのやら。可愛いなんて、僕みたいな人間に言う言葉じゃないと、前にも言っただろうに。


「その、そういうのはちゃんとした女の子に言えと言っただろう?」

「いや、まあ……」


 スカートの時といい、今回といい、おかしなことを言うものだ。

 僕が可愛いなんて……色々間違ってる。そう思う。


「……まったく。まあ、いいか。それはそれとして食事にしよう。せっかく買ってきてくれたんだし」

「あ、はい。そうですね」


 少し変な感じになった空気を打ち切り、食事の準備を始める。

 彼も皿を出すのを手伝って、僕は買って来た総菜を皿の上に盛り付ける。


「……うん」


 ……その途中、ほんの一瞬だけ窓に僕の姿が映ったのが見えた。

 それはよく見えなかったけれど、嬉しそうに笑い、頬が少し赤らんでるように見えて。


 ……きっと見間違いだ。別に嬉しいことなんてないし、勘違いだと思う。

 彼がおかしなことを言うから、少しだけ照れてしまったなんて……そんなこと、ある訳ないんだから。


「ハルさん」

 

 彼の穏やかな声が僕の耳を擽る。

 そしてそのまま、なんてことのない夕飯のひと時は過ぎていって――。



 ◆



 ――でも、その夜。

 僕は、昔の夢を見た。

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