後日談 初デート(3)
この体になって、教えて貰えることのありがたみ、というのを感じるようになった。なぜって、男と女の生き方の違いを細かく書いた教科書なんてどこにもなかったからだ。
――あれ、これ前と全然違うけれど、どうすればいいんだろう。
体が変わって最初の一カ月はそんなことを思う度にネットを開いて、情報を探して。でも多すぎる情報量と一部矛盾した意見に、どれが正しいのかと途方に暮れたことを覚えている。
調べるためにサイトを開いて、その中で分からない言葉があったから調べて。またそれも……と繰り返したこともあった。
その中で改めて実感したのは、やっぱりネットは沢山情報が乗っているけれど、その中で自分に必要な情報を見つけるのには、また別の知識が必要になるということだ。
まして、ことはファッションについてだ。お洒落も、美容も、細かな仕草も。学校で習う数学の問題のような決まった答えは無い。自分で判断して自らに合った答えを選び取っていく必要があって、だからなおさら難しかった。
……元は男だった僕に、その適切な取捨選択を行えるほどの経験なんてある訳がないし。
だから――。
『ハルさん、とっっっても可愛いです!』
「……あ、ありがとう」
――彼女に助けてもらえたのは、とてもありがたかった。
いやもう本当に。だって僕、ここ数日ほど彼女が色々説明してくれたこと、あんまり理解できていないもの。結果的には言われるままに買って、着て、言われるままに髪とか弄っただけだ。
……うん、まあ。
僕がまだまだ未熟なことがよく分かる数日間だったなって。
『やっぱりハルさんはなんでも似合いますね!』
「……そうかな」
思い知らされたのは、彼女のなんでもは決して言葉通りではないことだ。
その「なんでも」は知識と経験に裏付けられたもので、決して服屋で適当に手に取ったものという意味ではないことは理解できた。
「……その、君のおかげだよ。ありがとう」
『いえいえ! 私もすごく楽しかったので』
――だから、彼女には感謝している。
わざわざ時間を使って僕に付き合ってくれたことと、惜しげもなく彼女の努力の成果を僕に分け与えてくれたことに。
いつか、機会があれば今回の埋め合わせをしなくちゃなぁ、なんて。そんなことも思って。
『本当に可愛い……ハルさんは天使です! 間違いなく天使!』
「あ、あはは……」
……それはそうと、さっきからなんだか褒められすぎている気がする。
机の上に置かれたパソコンの画面の向こうでは彼女がくねくねと体を動かしていて――というか天使って。言ってることがいつかの彼と同じだ。これはやはり兄妹だから、なんだろうか。
「……褒めすぎだよ」
『そんなことありません! ハルさん、すっごく可愛くて……本当に可愛すぎて……こんな可愛いハルさんと兄さんが……わかってましたけど……でも私、推しのアイドルの熱愛報道を聞いた気分ですぅ……』
「……ははは」
熱愛報道? よく分からないけどアイドルって、これまた大げさな。
まあ確かに、頑張って着飾ってはいるけれど。それにしたって。
「……うーん」
苦笑しつつ、改めて鏡を見て己の姿を確認する。
そこにあるのはいつもとは違う自分の姿だ。
なんというか、めっちゃ気合を入れています! っていうのが一目でわかる感じ。服も髪型も、今は履いていないけれど靴もいつもとは違う。
首には生まれて初めてつけるアクセサリーが巻き付いていて、当日はこれに加えて美容院の手も入るって言うんだから、なおさらだろう。
「……」
……うん、すごく頑張ってる。
ちょっと恥ずかしくて、背中がむずむずするくらいに。
嬉しいんだけど、頑張ったんだけど、頑張ったからこそ恥ずかしいというか。説明し辛い感じ。
男だったとき、初めてワックスをつけて外に出たときに似ているかもしれない。自分だけ、はしゃいでる気がして……。
「んー……」
……なんだろう。
少し不安になって来た。
「……彼は」
『? はい』
「好きって言ってくれるかな」
『……え? こんなに可愛いハルさんが好きじゃない人とかこの世にいませんよ?』
「……あはは」
呟くと、そんな言葉が帰ってくる。
やっぱり過剰なそれに苦笑しつつ、くるりと鏡の前で回ってみた。
「……」
まあ、似合っているな、とは思う。
……でも、なんだか落ち着かない。
胸の辺りがうずうずとしている。
「……褒めてくれるかな」
思わず、つぶやく。
壮士君、なんて言うのかな。
……褒めてくれるといいなぁ。
『……うぅ……んて、いじらし……悔し……けど後で……がてら兄さんに……忠告……』
「……」
小さく呟く彼女の声を遠くに聞きながら。
……期待と、少しの不安と。
そんな二つの感情が胸の中で回っていた。
◆
それからデートまでの数日が過ぎる。
その間はいつだって頭の中に週末のことがあった。
ふとした時に彼を見てしまったり、当日のことを妄想してしまったり。
そんな僕を彼が不思議がって、それを慌てて誤魔化したり。
落ち着かなくて、意味もないのに着替えて、鏡の前でポーズを取ってしまったりもして、自分に恥ずかしくなって。でもなぜか、しばらくするとまたやってしまったりもした。
……そうだ。不思議だけど。
少し不安なのに、どうしてか、胸が弾んでいたりもして。
「――」
――そして、当日がやってくる。
鏡の中には何度目かの格好をした自分がいる。
「……ん!」
少し気合を入れて、部屋を出る。
するとそこにはもう彼が待ってくれていて。
「ハルさん」
「……あ」
彼の、少し驚いた顔。
……気付いてくれた?
心臓が跳ねて、動きが止まる。
僕の体を、上から下へ彼の視線が通って行く。
「……あ、はは」
なんとなく、笑いながら目を逸らす。
隠れたいような、でも見て欲しいような、そんな気分。
……ほんの数秒間の沈黙。
そして――。
「ハルさん」
「……う、うん」
「すごく、可愛いです」
「――」
――はたして。
彼はそう言った。
帰ってきたのは一言で。でも僕はそれが、ただそれだけが。
「……え、えへへ」
――嬉しかった。ただ嬉しくて。
だらしなく笑っている自覚があった。
口元が緩んでいて、頬はきっと真っ赤だ。
みっともない顔をしてるんだろうなと思う。
それがすごく恥ずかしくて……それなのに、どうしてかこの喜びを隠す気にはなれなくて。
「……そ、そう?」
「はい」
「そっかぁ……」
……なんだか、すごく。
頑張ってよかったなぁって。僕はそう思えたんだ。




